コンビ解消とは? わかりやすく解説

コンビ解消

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/20 14:25 UTC 版)

エディ・コクラン」の記事における「コンビ解消」の解説

1955年12月から1956年3月にかけケープハートはまだエコーとの契約の残るコクラン・ブラザースをバッキング起用し2枚シングル制作キッシュ(Cash)からリリース出版社アメリカン・ミュージックに対しコクラン・ブラザースの宣伝開始4月4日ゴールドスター・スタジオ同社へのデモ「ピンク・ペグ・スラックス」他5曲を録音。「ピンク~」はエディ初めてソロ・ヴォーカルを取るロカビリー・タイプの曲。 4月(もしくは5月)、エコー3枚目のシングル制作カントリーからロックンロールへ、新たな方向性を示すセッションとなった。しかしハンクはカントリーシンガーとしての矜持商業主義とも思える路線変更対し疑問抱き、この録音最後にエディとのコンビ解消する事になる。また、エコーのレッド・マシューズは事あるごとに干渉してくるケープハートに嫌気がさし「タイアードスリーピー/フールズ・パラダイス」のリリース(6月)をもってコクラン・ブラザースとの契約終了する結果的に二人別れ双方音楽キャリアに最高のものをもたらしたこの後ハンクナッシュビルに赴き数々ののヒット曲送り出しカントリー・ミュージック殿堂入りを果たす。 「アメリカン・ミュージック」はハリウッドカウボーイ映画使用される曲の需要見越してシルベスター・クロスが1935年設立した音楽出版社。サン・オブ・ザ・パイオニアズの「クール・ウォーター」(1947)がヒット。マール・トラヴィス、デルモア・ブラザース等の数々のウェスタン・スタンダードを発表1950年代初頭には西海岸最重要出版社となっていた。1954年自社専属ライターのためのコンセプト・レーベル「クレスト(Crest)」を立ち上げ急速に変化する音楽シーンに対応すべくカントリーR&B、ノヴェルティのレコード制作行っていた。 シンガーギタリストとして独り立ちすることになったエディ7月から8月にかけ多数セッションを行う。その中からリトル・リチャードの「ロング・トール・サリー(のっぽのサリー)」にちなん書かれた「スキニー・ジム(やせっぽちジム)」がクレスト最初シングルとして7月発売される

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コンビ解消

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 07:26 UTC 版)

藤子不二雄」の記事における「コンビ解消」の解説

1987年昭和62年)の暮れ二人出版関係者あいさつ状配布し、コンビ解消の意思表明した。その理由として「この辺で、二人三脚ヒモをほどいて、それぞれの足で歩いてみたらどうか、と話し合いました新しい展開としてそれぞれやりたいことをやってみるのも面白いんじゃないかと」とした。藤本自身入退院を繰り返したことから「二人三脚くくっていたほうの足が、かすかにヒリヒリしていた。ひもを解いてみれば、何か新しいことやれるのではないか」とし、安孫子は「いままでのように二人ペース合わせるのは無理なになってきた。漫画だけでなく、ぼくも文章なども書いてみたいが、藤子不二雄の名前では勝手なことやれない」とした。このあいさつ状で、これまで合作とされてきた各作品それぞれ分担描いていたことを公式に明らかにした。 コンビ解消後、安孫子は「藤子スタジオ」に残り藤本は「藤子プロ」を立ち上げ藤子スタジオの隣のビル移った安孫子藤子不二雄Ⓐに、藤本藤子不二雄Ⓕとしたが、1年後藤子不二雄Ⓕ石ノ森章太郎薦めにより藤子・F・不二雄へと変えた安孫子死去するまで藤子不二雄Ⓐとして執筆活動続けた)。 後に安孫子インタビュー(『別冊宝島409 ザ・マンガ家 / 宝島社)で、コンビ解消の理由として「藤本君は生活ギャグ一本でやってきたが、自分傾向変わってきた。ブラックユーモアを描くようになったのが転機となった作品も生活も自分と藤本君とは違い出て来た。自分過激なのを描こうとして、藤本君の『ドラえもん』を傷つけるといけないから。50まで漫画やるとは思わなかったし、やる事はやり尽くして来たので、あとは好きなように気楽にやろうと別れた(以上要約)」と語っている。 しかし『笑ゥせぇるすまん』の元となった黒ィせぇるすまん』はコンビ解消より20年近く前(昭和40年代)に執筆された作品であり、その時期既に安孫子は『黒ベエ』、『ブラック商会変奇郎』など、昭和50年代には『魔太郎がくる!!』などダーク作品群多く発表している。 安孫子によると、青年漫画を描くようになった1973年頃、「少年雑誌また、たくさんおもしろマンガをかいてください」という子供ファンレター読み少年漫画への回帰決意した。しかし後年安孫子藤本『ドラえもん』大ヒットしたのを見て、「このままだと、藤本氏のマネジャーアシスタントやるしかないのでは」と内心悩んでいたと振り返っている。安孫子その後、再び青年大人向け漫画での活動多くなるが、ブラックユーモアを描くようになってから、コンビ解消を決断するまで、かなり長い期間を必要とした。 また安孫子は「自分社交性があるため、酒やゴルフ覚えたが、藤本君はそのようなことは一切しなかった。結果的に藤本君は少年のような心を持ち続けきっかけとなり、逆に自分こども心薄れ作風に差が出た」とも語っている。 コンビ解消を切り出したのは、安孫子によると、藤本の方であった藤子不二雄としての著作権料は関与度合いに関係なく均等に二分割だったが、どちらか死後遺族によって『ドラえもん』巨額著作権料の分配問題となると予想され、それを未然に防ぐためにコンビ解消したという。藤本夫人藤本正子によると、コンビ解消のきっかけ1986年起きた藤本胃癌藤本告知受けていなかった)だった。手術後藤本復帰したが、また体調崩し、その翌年に「安孫子氏と別れようと思う」と打ち明けたお互い不仲によるコンビ解消ではなかったため、藤本海外旅行へ行くたび安孫子には土産プレゼントしており、安孫子自宅応接間にそれらを飾っているなど、コンビ解消後も交遊関係続いていたという。また、映画鑑賞が共通の趣味である事から、映画試写会顔を合わせるのが常だったという。 事実上コンビとしての活動期間36年に及び、“他人同士漫画家ユニット”としては、2015年『キン肉マン』などの作者ゆでたまご更新するまで日本の漫画家最長だった。

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コンビ解消

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/20 02:30 UTC 版)

ハム (お笑いコンビ)」の記事における「コンビ解消」の解説

2011年2月28日付で解散したことを諸見里自身ブログ報告した。しかしハム解散について川見は、自身ブログで「僕にとっても解散青天の霹靂でまだ茫然としており、受け止められておりません。ショック一か月で5kg痩せたくらいです。『解散するだけですぐ痩せられる! 川見式ダイエット本』を発刊してくださる出版社様がございましたらぜひご一報下さい暗雲立ち込める出版業界風穴をぶち開けましょう。」と突然の解散劇をギャグしながらも、諸見里によって突如一方的に決められ解散納得していない旨の発言をした。そのため一時は「諸見里相方見捨てたのでは?」という疑惑浮上したが、それについて後に諸見里は「今まで長い間楽しい事やつらい事を共有して来た相方捨てたなんて思っていません。(中略)僕の滑舌のせいで、滑舌絡めネタばかりになり、最近では正直劇場では飽きられいました。それでも応援してくれる皆さん為に頑張ってきました。川見くんはネタを書く力があるので、僕は川見くんが別の相方組んだ方が何にも縛られ自由な発想ネタ作れると思いました。」と説明している。また、2011年3月31日の『アメトーーク!』において、「自分ピン番組呼ばれた事と解散発表するタイミング重なった事で周囲から『調子に乗っている』と言われたが、実際に解散は(2010年の)年末には決まっていた」と語った。しかし関西では知名度があっても、全国区ではさほど知名度無かったハム解散はやはり諸見里過信による一方的なものと認識され滑舌笑い取ったからと言って薄情過ぎる」等ネット上を中心に批判を受け、先輩芸人からも揶揄された。

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