コンビ結成の経緯
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太平かつみは、1984年8月に「トラコ&与作」の与作と「太平かつみ・ひろみ」を結成。1985年に月亭八方の弟子であったきびのだんご(本名:前谷正弘)とともに漫才コンビ「どんきほ〜て」として活動していたが、だんごが妻の父が経営するディスカウントチェーン店『ジャパン(現・スギホールディングス)』に後継者として入社するために引退しコンビは解散。 その後、中田カウスの勧めにより、妻である小百合とともに漫才コンビを結成。小百合が髪飾りを自分で引っ張る「あ~ボヨヨ~ン」のギャグで人気を得る。なお、かつみ♥さゆりの結婚披露宴の媒酌人は六代桂文枝夫妻であった。
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コンビ結成の経緯
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ともに大阪府立交野高等学校の同級生。高校1年生のときは別のクラスだったが、最初に下駄箱で顔をつき合わせたとき「俺ら、もっと仲良くなっていいんちゃう?」と口をそろえて言った。高校2~3年生では同じクラスとなる。 高校時代は修学旅行で一緒にネタをやったりしていたが、兼光はクラスで10番以内から落ちたことがない優等生だった一方で、岩橋は両親が教師に土下座をして留年を免れたほど勉強が苦手だったので、同じ大学には行けなかった。兼光は阪南大学に、岩橋は桃山学院大学に入学(後に中退)。別々の大学に通うも、2人で月1回ペースで遊び感覚でbaseよしもとのオーディションを受けていた。 岩橋は兼光の大学卒業を待って「NSCに行こう」と誘う。すでにバーミヤンへの内定が決まっていた兼光は一度は断るものの「芸人になったらいろいろな経験ができる」と思いなおし、NSCに行くことを伝えた。
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