コンビ結成前
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「チュートリアル (お笑いコンビ)」の記事における「コンビ結成前」の解説
徳井、福田とも同市左京区出身。 2人は幼馴染で、幼稚園(菊の花幼稚園)→小学校(京都市立修学院小学校)→中学校(京都市立修学院中学校)→高校(京都府立北稜高等学校)を共に過ごす。そして2人揃って大学受験に失敗し、同じ予備校(河合塾京都校)で1年間浪人。そして徳井は花園大学、福田は大阪学院大学へ進学した。 徳井は高校在学中、ティーアップのネタを友人と完全コピーして演じた時に笑いが獲れたのをきっかけにその友人とコンビ『赤とんぼ』を組み、漫才を始める。さらに大学浪人時代には、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の「お笑い甲子園」で優勝した経験を持つ友人からNSCへ一緒に行こうと半ば強引に誘われ、NSC大阪校13期生として入学後にコンビ『チューイング』を結成。しかしNSCを卒業してから、徳井を誘った相方が彼女との結婚を考えて芸人引退を決意したことでコンビは解散。徳井も一旦お笑いを辞め、大学へ進学した。 その後、徳井からコンビ解散の旨を聞いた福田が徳井を再びお笑いの道へと誘う。徳井は快諾するものの共に行動力がなかった上に次の一歩が踏み出せず、さらに「会ったら真剣に色々と話をしなくてはいけない」ということが当時学生だった2人にとって重かったことから、それまで毎日会っていたのだが突然連絡を取らなくなり2人は疎遠に。だが3年後、大学4回生の春に社会人になるのか芸人を目指すのかを再び話し合い就職難も相まって1998年3月、正式にコンビを結成。当時は大学在学中だった彼らだが、芸人になりながらも福田は大学を卒業。一方の徳井は4回生の時点で2単位しか取っていなかったこともあり、もう一度芸人の活動を続けようと決めて中退した。
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コンビ結成前(吉本所属時代)
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「スピードワゴン」の記事における「コンビ結成前(吉本所属時代)」の解説
NSC名古屋校2期の同期として2人は出会う。名古屋吉本時代に井戸田は『マグニチュード』、小沢は『バツイチ』と各々が別のコンビを組んでいた。共にランキングシステムの上位常連で、常に優勝を争う関係だった。吉本時代は新田敦生(よしもとエリアアクション副社長、当時は名古屋吉本の所長)の世話になり、ホリプロに移籍してからもラジオでの共演を経てプライベートでも親しくしている。 先に上京していた井戸田が、コンビ解散寸前だった小沢を誘って1998年にコンビ『小沢と井戸田』を結成。井戸田が大須に位置する小沢の自宅にトラックで押しかけ、そのまま上京させたというエピソードがある。吉本では銀座7丁目劇場を拠点としていたが、同劇場が閉鎖直後に吉本側から「2人はお休みです」と言われて事実上仕事を干されてしまう。危機感を持った2人は他事務所のライブへの参加・ネタ見せなどを積極的に行い、その中でも高評価してくれたM2カンパニー(後のホリプロコム)への移籍を決意した。それに伴い、コンビ名を現在のものに改めた。なお吉本を退社する際、井戸田が吉本の事務所へ電話をかけたところ対応した女性から「はいオッケーです」とにべもなくあっさり決まったという。
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