コンビ結成-大阪時代
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「さらば青春の光 (お笑いコンビ)」の記事における「コンビ結成-大阪時代」の解説
2006年に松竹芸能タレント養成所の先輩後輩として出会う(森田が半年先輩)。2008年に森田は「カサブランカ」、東ブクロは「ヤンバルクイナ」のそれぞれのコンビが解散した後、『キングオブコント』への参加を目指して結成。カサブランカの解散がヤンバルクイナ結成のわずか3日後であり、以前から「森田と組みたい」と思っていた東ブクロはそれに合わせるかのようにヤンバルクイナも解散。森田へ「一緒にやりたい」思いを長文のメールにして伝えたが、森田は先輩と組んでいるのにも関わらず直ぐに乗り換えようとしていた東ブクロに不信感を抱き、その誘いをはぐらかしていたものの、同時期に創設されたキングオブコントに出てみようと結成に至ったという。その時、森田は西口という名前の先輩に誘われており、結果、東口(東ブクロ)を選んだ。コンビ名の名付け親は元ピーマンズスタンダードの南川聡史(現・みなみかわ)。由来はイギリス映画『さらば青春の光』で、コンビ結成を報告するため南川に挨拶に行ったところ、「じゃあ俺が付けたるわ。昨日見た映画が2本あるからどっちか選べ。」と言われ、もう1本が『復讐するは我にあり』だったため、消去法でこちらにしたという。キングオブコントの1回戦で初舞台を踏み 通らなかったが、その後の事務所ライブで一位になり、2009年の「NHK上方漫才コンテスト」の本選に行けたこともありコンビを継続する。 『キングオブコント2009』3回戦では森田がインフルエンザに罹ったため出場を辞退、東ブクロに「マジで申し訳ない。次のABCお笑い新人グランプリの決勝にいけるネタを作るから」とメールで謝罪した。実際にさらば青春の光は2010年、『第31回ABCお笑い新人グランプリ』の決勝進出を果たす。 2011年に初の単独ライブ『〜東京上陸大作戦〜』を開催。大阪から毎月東京に通い、バトルライブに参加し成績が良かったため、事務所からのご褒美的なものだった。東京では無名だった彼らは客足すら不安だったものの、本番当日は客席が満席に近かった。それはいろんな芸人がSNSで告知してくれたり、当時面識の無かった囲碁将棋やニューヨークの屋敷裕政などの吉本の芸人が足を運んでいたりしたからだという 。 当時、森田はヒモ同然の生活で、東ブクロは月10万円ほどの小遣いを貰う実家暮らしで貧しい大阪時代を過ごした。それでもネタをすればウケたり、賞レースに引っかかったりと暗い気持ちはなかった。また、大阪で仕事がなかったため、自腹で夜行バスに乗り、東京のライブに出ていた。非吉本ながら吉本主催の舞台に出演し賞レースには食い込み、吉本芸人と親交を深めていきインディーズライブで呼ばれるようになった。 『キングオブコント2012』では決勝初進出で準優勝となった。優勝はバイきんぐで、森田はバイきんぐの2本目のネタ「帰省」の序盤までは「(優勝)いけるんちゃうん?」と思っていたが、小峠英二の「なんて日だ!」で地響きのような笑いが起こって優勝を諦めた。東ブクロは「あのとき以上にネタがウケてる現場を未だに見たことがない」と2018年のキングオブコント回想ライブで語った。 以降、2015年まで4年連続で、2017年から2年連続で決勝進出を果たした。
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