オブジェクト‐しこう〔‐シカウ〕【オブジェクト指向】
オブジェクト指向
ソフトウェア開発の考え方の一つ。データとそのデータを処理するためのメソッドがセットになった様々なオブジェクトを作り、オブジェクトに様々な処理をさせるという形でプログラムを作成していく。
具体的には、クラスというデータとそのデータを処理するメソッドがセットになったものを定義しておき、プログラム内で、定義したクラスのインスタンスを作成してメソッドを実行することで、そのインスタンスのデータを処理する。インスタンス一つ一つやクラス自体など、オブジェクト指向では様々なものがオブジェクトと呼ばれる。PHP 5で、はオブジェクト指向開発を行うための言語仕様が大幅に改良された。
関連用語
オブジェクト指向
別名:OO
【英】object oriented
オブジェクト指向とは、主にソフトウェア開発における考え方の一種で、プログラムを、処理の手順(手続き)ではなく、処理対象(オブジェクト)に着目して記述していく考え方のことである。
オブジェクト指向は、1970年代のオブジェクト指向プログラミング言語の誕生とともに始まった。それまで一般的であった手続き型プログラミングに比べて、オブジェクト指向は、プログラムの部品化やメンテナンスが容易なことから、大規模システム開発をはじめとして標準的なソフトウェア開発の手法として普及していった。
1980年代には、オブジェクト指向言語によるソフトウェアの部品化・再利用が進むと同時に、オブジェクト指向のための方法論も盛んとなった。オブジェクト指向プログラミング(OOP)のためにオブジェクト指向設計(OOD)が誕生し、オブジェクト指向設計のためにオブジェクト指向分析(OOA)が誕生した。
オブジェクト指向にはさまざまな開発方法論があったが、1995年に標準化のための統一方法論が発表された。統一方法論は、結果的に普及しなかったものの、表記方法のみを標準化した統一モデリング言語(UML)が広く用いられるようになった。
オブジェクト指向の特徴としては、おおむね、「カプセル化」、「継承」、「多様性」といった要素を挙げることができる。
「カプセル化」とは、オブジェクトが持つ属性(フィールド)や動作(メソッド)を外部から隠蔽し、必要最低限のインターフェースのみを公開することである。カプセル化を行うことによって、オブジェクトの変更や再利用が容易になる。
「継承」(インヘリタンス)とは、共通の性質(プロパティ)を持ったオブジェクトの集まりを意味するクラスについて、サブクラスがクラスの性質を自動的に受け継ぐこととである。例えば、「動物」-「ほ乳類」-「イヌ」といった階層構造を持ち、「イヌ」を「ほ乳類」のサブクラスとして定義すると、「ほ乳類」の性質を自動的に受け継ぐことになる。継承によってプログラミングの効率化を図ることが可能となっている。
「多様性」(ポリモーフィズム)とは、クラスごとに異なる実装のメソッドを、同じメソッド名で呼び出すことである。例えば、「イヌ」は4本足を交互に動かして、「クルマ」はタイヤを回転させて「走る」が、ポリモーフィズムにより、こうしたクラスごとのメソッドの詳細を意識しないでそのメソッドを呼び出すことが可能となる。
今日、オブジェクト指向は、複雑で大規模なシステム開発にはとんど必要不可欠な手法として利用されている。オブジェクト指向プログラミング言語の主な例としては、Smalltalk、Java、Python、Rubyなどを挙げることができる。
オブジェクト指向
オブジェクト指向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/22 04:37 UTC 版)
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オブジェクト指向(オブジェクトしこう、英: object-oriented)は、ソフトウェア開発とコンピュータプログラミングのために用いられる考え方である。元々は特定のプログラミングパラダイムを説明するために考案された言葉であり、その当時の革新的技術であったGUI(グラフィカル・ユーザーインターフェース)とも密接に関連していた。明確な用語としては1970年代に誕生し、1981年頃から知名度を得て、1986年頃からソフトウェア開発のムーブメントと化した後に、1990年頃にはソフトウェア開発の総合技術としての共通認識を確立している。ソフトウェア開発における一つの標語のような扱い方もされている。
オブジェクトとは、プログラミング視点ではデータ構造とその専属手続きを一つにまとめたものを指しており、分析/設計視点では情報資源とその処理手順を一つにまとめたものを指している。データとプロセスを個別に扱わずに、双方を一体化したオブジェクトを基礎要素にし、メッセージと形容されるオブジェクト間の相互作用を重視して、ソフトウェア全体を構築しようとする考え方がオブジェクト指向である。
オブジェクト指向の来歴
オブジェクト指向プログラミングの発案
オブジェクト指向(object-oriented)という言葉自体は、1972年から80年にかけてプログラミング言語「Smalltalk」を開発したゼロックス社パロアルト研究所の計算機科学者アラン・ケイが、その言語設計を説明する過程で誕生している[1]。本人の述懐によると、大学院時代のケイがプログラミング言語「Simula」に感化されて日夜プログラミング・アーキテクチャの思索に耽っていた1967年頃、今何をしているのかと尋ねてきた知人に対して「object-oriented programmingだよ」とその時の造語で答えたのが原点であるという。このオブジェクト指向が知名度を得るようになったのは1981年頃からであり、当時の著名なマイコン専門誌BYTEによるSmalltalkの誌上紹介が契機になっている。オブジェクト指向の中でケイはメッセージングという考え方を重視していたが、世間の技術的関心はクラスとインスタンスの仕組みの方に集まり、オブジェクト指向の解釈はケイの考えとは異なる方向性で推移していった。クラスを初めて導入した言語はSimulaの1967年版だったので、こちらも後付けでオブジェクト指向の源流に位置付けられることになった[2]。Simulaに結び付けられたオブジェクト指向と、Smalltalkで提唱されたオブジェクト指向の性格は全く異なるものだったので、後のオブジェクト指向の解釈に数々の齟齬を生じさせている。1983年に計算機科学者ビャーネ・ストロヴストルップがSimulaをモデルにした言語「C++」を公開し、このC++が人気を博した事や、Smalltalkでも実際の開発に対応するためにSimulaスタイルの継承などの機能が取り入れられたことで、オブジェクト指向プログラミングはSimulaスタイルの方で認識されるようになった[3]。
オブジェクト指向開発の始動
1986年からACM(計算機協会)がOOPSLA(オブジェクト指向会議)を年度開催するようになり、オブジェクト指向はコンピュータサイエンスの一つのムーブメントになった。OOPSLA初期のチェアパーソンは、Smalltalkが生まれたゼロックス社パロアルト研究所のフェローが務めることが多かった。Smalltalkは正確にはプログラミング言語とGUIフレームワークを合わせた統合開発運用環境であり、ゼロックスAlto機上のOSまたはミドルウェアとして制作されていた。ゼロックスAltoはGUIを初めて汎用的にサポートしたコンピュータとOSであり、かのスティーブ・ジョブスを啓発してMacintoshのモデルになったことはよく知られている。1980年代前半のコンピュータ界隈は、CUI(キャラクタ・ユーザーインターフェース)からGUI(グラフィカル・ユーザーインターフェース)への過渡期であったので、すでにプログラミングパラダイムとGUIデザイン理論をミックスさせていたオブジェクト指向は、その当時における次世代的なソフトウェア開発技術になり得るものとして関心を集めていた。
また別の背景としては、1970年代からの主流である構造化開発が拡張を続けていた中で、様々なデータ構造図やデータフロー図の技法およびデータモデリングの手法がやや乱立気味になっていたという事情があり、その見直しを兼ねて一からの仕切り直しによるソフトウェア開発技術の標準化(standardization)を図りたいとする産業界や計算機科学界の思惑もあった。オブジェクト指向はそのためのスローガンとしても最適であった。こうした経緯から技術的以外の意味も与えられたオブジェクト指向は同時にバズワード化することにもなっている。構造化開発が機能を中心にして機能とデータ構造を個別にデザインする段階的詳細化を基礎にしていたのに対し、オブジェクト指向はデータと機能を一つにまとめたobjectをソフトウェアデザインの中心にした上でエドガー・ダイクストラ発案の抽象データ構造及びバーバラ・リスコフ提唱の抽象データ型を基礎にしていた。これは前述のSimulaスタイル由来である。オブジェクト指向開発(object-oriented development)という言葉を最初に引用したのは、1986年のソフトウェア技術者グラディ・ブーチであったとされる。その最初の活用対象になったのは、データベース開発とオペレーティングシステム開発およびユーザーインターフェース設計であった。
オブジェクト指向方法論の進展
OOPSLAの開催と連動してまずオブジェクト指向設計(OOD)とオブジェクト指向分析(OOA)が立ち上げられた。これは構造化開発のSDとSAに倣っていた。1980年代後半からOOPSLA界隈の識者たちによって様々な分析メソッドと設計メソッドが発表されるようになった。この分析/設計メソッドから導出される概念モデルを、形式的にチャート化ないしダイアグラム化するという作業がモデリングであり、構造化開発でも機能モデルやデータモデルや実体関連モデル(ER図)などが存在していたが、抽象化を尊ぶオブジェクト指向開発では特にこのモデリングが重視されたのが特徴である。1988年のオブジェクト指向システム分析(OOSA)、1990年からのCoad&Yourdon法、1991年のBooch法とオブジェクトモデル化技法(OMT)、1992年のオブジェクト指向ソフトウェア工学(OOSE)、1993年のフュージョンメソッドとMartin&Odell法といった数々のオブジェクト指向方法論(object-oriented methodology)によるモデリング手法が発表され、いずれも形式言語化されていたのでオブジェクト指向では、モデリング言語とプログラミング言語が並んでソフトウェア開発の両輪になった。
1990年前後から認知されるようになったオブジェクト指向方法論とは、要求分析・概念設計・モデリング・プログラミングといった一連の工程を総括的に形式化した理論体系であり、ソフトウェア開発の総合技術としてのオブジェクト指向を体現していた。1994年にモデリング言語をプログラム設計に直接適用したGOFデザインパターンが初回発表された。Booch法とOMTとOOSEの考案者(スリーアミーゴス)は、後のIBMブランドになるラショナルソフトウェアで合流して統一モデリング言語(UML)を制作し、1995年のOOPSLAで初回発表した。オブジェクト指向はソフトウェア開発工程の分野にも広がり、モデル駆動工学、ドメイン固有言語、リファクタリング、アジャイルソフトウェア開発といった数々のトピックもOOPSLAから誕生している。IBMラショナルはオブジェクト指向開発工程フレームワークを標榜するラショナル統一プロセスを2003年に公開した。
1989年にはIBM社、Apple社、ヒューレットパッカード社、サンマイクロシステムズ社、アメリカン航空などの11社がコンピュータ産業共同事業団体OMG(Object Management Group)を設立した。その主な目的は、企業システムネットワークの基盤になる分散コンピューティングを構築するための分散オブジェクト設計の標準化を図ることであった。ここでのオブジェクトもデータとメソッドの複合体と定義されていた。1991年に分散オブジェクトの規格パラダイムとなるCORBAが発表された。1997年にOMGの標準モデリング言語はUMLに策定された。モデリングの形式体系化に力を注いでいたOMGはモデル駆動工学のメソッド確立を進めて、2001年にモデル駆動アーキテクチャを発表している。
オブジェクト指向の種類
- オブジェクト指向プログラミング - 1970年代から
- オブジェクトデータベース - 1980年代から
- オブジェクト関係データベース - 1990年代から
- オブジェクト指向オペレーティングシステム - 1980年代から
- オブジェクト指向ユーザーインターフェース - 1980年代から
- オブジェクト指向ユーザーエクスペリエンス - 2010年代から
- オブジェクト指向設計 - 1980年代から
- オブジェクト指向分析 - 1980年代から
- オブジェクト指向モデリング - 1980年代から
- オブジェクト指向方法論 - 1990年代から
- Meyer法(オブジェクト指向ソフトウェア構築 - OOSC)
- Shlaer and Mellor法(オブジェクト指向システム分析 - OOSA)
- Wirfs-Brock法(責任駆動設計 - RDD)
- Coad and Yourdon法
- Booch法
- オブジェクトモデル化技法(OMT)
- オブジェクト指向ソフトウェア工学(OOSE)
- Gibson and Goldberg法(オブジェクト動作分析 - OBA)
- フュージョンメソッド ← Booch法・RDD・OMT・OOSE
- Martin and Odell法
- Graham法(意味論オブジェクトモデル化導入論 - SOMA)
- Henderson-Sellers法(オブジェクト指向システムソフトウェア工学方法論 - MOSES)
- 統一モデリング言語(UML)← Booch法・OMT・OOSE
- Openモデリング言語(OML)← フュージョンメソッド・SOMA・MOSES
- オブジェクト工学プロセス(OEP)← UML・OMT・OOSE
- ラショナル統一プロセス(RUP)← UML・OMT・OOSE
- オブジェクト指向存在論 - 哲学分野
アラン・ケイのオブジェクト指向とは
1980年代の言及
1989年に発表された「User Interface A Personal View」という記事の中でアラン・ケイは、Smalltalkのオブジェクト指向性は大変示唆的であると前置きした上で、そのプログラミング言語でのOOPと、そのGUIフレームワークでのOOUIを照応させながらこう述べている[4]。これは人とコンピュータの対話形式としてのオブジェクト指向に沿ったものになっている。1970年代から80年代にかけてのオブジェクト指向は、GUI(グラフィカルユーザーインターフェース)と半ば表裏一体で扱われていたという技術史背景がある。
object-oriented means that the object knows what it can do.
(オブジェクト指向とは、オブジェクトが出来る「なにか」を知っていることを意味している)
これは認知心理学のアフォーダンスにつながる考え方と解釈されている。その説明の中でケイは、Smalltalkプログラミングを抽象シンボル舞台と形容しており、GUIフレームワークを具象ユーザーインターフェース舞台と形容している。前者の抽象シンボル舞台では、我々は最初にオブジェクトの名前(識別子)をコーディングし、次にそのオブジェクトが実行する「なにか」を伝えるメッセージをコーディングすることになる。後者の具象ユーザーインターフェース舞台では、我々は最初に操作する対象(アイコン)を選択し、次にその対象が提供する「なにか」のメニュー欄を表示選択することになる。この双方を踏まえた上でケイはこう結論している。
In both case we have the object first and the desire second. this unifies the concrete with the abstract in highly satisfying way.
(双方の事例において私達は、オブジェクト(対象)を第一とし、欲求を第二とする。これは高い満足度で具象と抽象を一体化する)
80年代前半までのオブジェクト指向はプログラミングとGUIの融合思想と言った方が適当であり、オペレータがプログラミングでカスタマイズした結果をGUIビュー環境でほぼ同時に確認できるという特性は、コマンドライン実行とキャラクタ文字環境が当然であった時代において革新的であった。プログラミングはコンピュータとの潜在的な対話であり、GUIは顕在的な対話であると形容されている。長じてアイコン選択とメニュー処理を適宜に連携させるGUIの考え方をプログラミングにも応用したものが、後述のオブジェクトとメッセージ式になっている。
1990年代の言及
1992年にACMからプログラミング言語史編纂の一環として執筆を依頼されたアラン・ケイは、翌93年の「The Early History Of Smalltalk」でオブジェクト指向の原点としてのSmalltalkについて解説している[1]。冒頭の序章で設計理念が説明され、第一章から第三章まではその着想元になったバロースB5000、Sketchpad、Simula、Flex machine、LISPなどの技術史が記され、第四章から第六章まではSmalltalkの開発史が綴られている。ここでは序章から特徴的な要点のみを抜粋する。
Smalltalk's design—and existence—is due to the insight that everything we can describe can be represented by the recursive composition of a single kind of behavioral building block that hides its combination of state and process inside itself and can be dealt with only through the exchange of messages.
(Smalltalkの設計―及び存在―とは、私たちの思い描ける全てが、自己の状態とプロセスの結合を内部隠蔽した個々の振る舞い組立ブロックの再帰構成によって表現され、徹底的なメッセージの交換のみによって処理されるということだ。)
再帰構成すなわち再帰の概念は、後続文にも繰り返し登場している。もっとも再帰は一般知識であり、例えばジョン・マッカーシーもLISPの設計をrecursive functions of symbolic expressions and their computation by machine.
(記号式の再帰関数群と機械によるその計算)と概略していた。メッセージ交換は、徹底的な疎結合および情報隠蔽を示唆している。
In computer terms, Smalltalk is a recursion on the notion of computer itself. Instead of dividing "computer stuff" into things each less strong than the whole—like data structures, procedures, and functions which are the usual paraphernalia of programming languages—each Smalltalk object is a recursion on the entire possibilities of the computer.
(Smalltalkは計算概念の自己再帰である。コンピュータプログラムをその全体からの劣化要素―データ構造、手続き、関数といった言語機能の諸々に分割していくのではなく、Smalltalkのオブジェクトはそれぞれが計算の総体可能性を備えた再帰要素になる。)
ケイが理想とする計算の総体可能性の反対である劣化要素への分割とは、いわゆる型システムの導入を指している。他の論考でもケイは特に静的な型システムに対して否定的な見解を示していた。
Philosophically, Smalltalk's objects have much in common with the monads of Leibniz and the notions of 20th century physics and biology. Its way of making objects is quite Platonic in that some of them act as idealizations of concepts—Ideas—from which manifestations can be created.
(哲学面でのSmalltalkオブジェクトは、ライプニッツのモナドや20世紀の物理・生物学思考との共通点を見出せる。オブジェクトの構築は、イデアから現象が創生されるという全くのプラトニックである。)
第四章では、Smalltalkの言語仕様が六つに概略されている。
1, EverythingIsAnObject.2, Objects communicate by sending and receiving messages (in terms of objects).
3, Objects have their own memory (in terms of objects).
4, Every object is an instance of a class (which must be an object).
5, The class holds the shared behavior for its instances (in the form of objects in a program list).
6, To eval a program list, control is passed to the first object and the remainder is treated as its message.
この和訳は以下のようになるが、ここでは長い説明を避けて特徴的な要点のみを解説する。
- すべてはオブジェクトである。
- オブジェクトはメッセージの送信と受信によってコミュニケーションする。
- オブジェクトは自身の記憶を持つ。
- すべてのオブジェクトはクラスのインスタンスである。クラスもまたオブジェクトである。
- クラスはその各インスタンスで共有される振る舞いを保持する。振る舞いとはプログラムリスト・オブジェクトである。
- プログラムリストの評価では、制御は最初のオブジェクトに渡され、残りはそのメッセージとして扱われる。
(2)は様々に解釈されるが、コミュニケーションするオブジェクトは、プロセスやアクターとしての性格が強くなる。(3)の記憶は簡単に言うとフィールドやプロパティや属性であるが、オブジェクトの振る舞いを制約するための私的環境を示唆している。(4)は、クラスもまたメタクラスのインスタンス化であるという再帰構成を示唆している。(5)の振る舞いは簡単に言うとメソッドであるが、LISPのフォームリストに似たオブジェクトとして保持されることを示唆している。(6)は、式内のオブジェクトはその時の並べられた順序によって、いずれもがコントローラ(関数式)になり、いずれもがそれへのメッセージ(引数)になることを示唆している。
2000年代の言及
2003年にアラン・ケイはオブジェクト指向の貢献でチューリング賞を受賞し、知人から改めてオブジェクト指向の意味を尋ねられたケイは以下のようにメール返信している[5]。このメールは60年代末からの構想をさり気なく簡潔にまとめたものとしてしばしば引用される。ここでは文章順に各要点を抜粋していく。
I thought of objects being like biological cells and/or individual computers on a network, only able to communicate with messages.
(さながら生物の細胞、もしくはネットワーク上の銘々のコンピュータ、それらはただメッセージによってコミュニケーションする存在、僕はオブジェクトをそう考えている)
上記はケイ本来のオブジェクトの在り方を述べたものであり、特に解説はしない。
I wanted to get rid of data. The B5000 almost did this via its almost unbelievable HW architecture. I realized that the cell/whole-computer metaphor would get rid of data, ...
(僕はデータを取り除きたかった。これをバロースB5000は驚くべきHWアーキテクチャでほとんど実現していた。僕は気付いた。細胞/全体コンピュータメタファはデータを除去できるであろうと、)
ここでプログラムからデータを取り除きたいという考えが提示されている。
My math background made me realize that each object could have several algebras associated with it, and there could be families of these, and that these would be very very useful.
(僕の数学専攻経験がこれを気付かせた。各オブジェクトは幾つかの関連付けられた代数を持ち、またその系統群もあるかもしれない。それらは大変有用になるだろうと)
ここでの代数は、プロセス代数か、プログラミングに適用した代数的構造とも解釈できる。
OOP to me means only messaging, local retention and protection and hiding of state-process, and extreme late-binding of all things.
(僕にとってのOOPとは、メッセージング、ステートプロセスの局所保持かつ保護かつ隠蔽、徹底的な遅延バインディング、これだけの意味だった)
メッセージングは造語に近く、メッセージパッシングに類似の概念であり、ただのリモートプロシージャコールとは異なることが明言されている。ステートプロセスは、データとコードの一元化概念であり、これも造語である。遅延バインディングは、シンボルと実体の結合をランタイムで決定する概念である。
One of the things I should have mentioned is that there were two main paths that were catalysed by Simula. The early one (just by accident) was the bio/net non-data-procedure route that I took. The other one, which came a little later as an object of study was abstract data types, and this got much more play.
(僕が触れるべきだった一つは、Simulaを触媒にした二本の道があったということだ。最初の一本はバイオ/ネットな非データ手順で僕が選んだ方。少し遅れたもう一本は抽象データ型でこっちの方がずっと賑わっている)
ここで抽象データ型に対しての、非データ手順(non-data-procedure)というワードが登場する。振る舞いを通してデータを扱うというデータ抽象の概念を、更に抽象化したものが非データであり、代数学で言う写像だけでデータを表現するという概念を指している。これにケイの生物学専攻を背景にしたバイオ/ネット(bio/net)なる考えが加えられている。
And the very first problems I solved with my early Utah stuff was the "disappearing of data" using only methods and objects. At the end of the 60s (I think) Bob Balzer wrote a pretty nifty paper called "Dataless Programming", and shortly thereafter John Reynolds wrote an equally nifty paper "Gedanken" (in 1970 I think) in which he showed that using the lamda expressions the right way would allow data to be abstracted by procedures.
(ユタでの専攻知識で僕が解決した最初期の問題はメソッドとオブジェクトのみを用いてのデータの消滅だった。1960年代末にBob Balzerはデータレス・プログラミングというものを書き示した。直後の1970年にJohn Reynoldsはラムダ式を用いての手順によるデータ抽象化の方法を書き示した)
非データ手順(non-data-procedure)に関連付けられるものとしては、代数的構造、圏論の射や関手の構造、Futuresとpromises、ポイントフリースタイル、プロセス代数、アクターモデル、自由モナドなどが挙げられる。
The people who liked objects as non-data were smaller in number,
(非データとしてのオブジェクトを好む者は少なかった、)
ここで歴史に戻る。1970年前後になるとソフトウェア危機としても語られるプログラム規模拡大に対応するために、サブルーチンとデータをまとめたプログラムモジュールという機能が登場した。それと同時期の1967年にオルヨハン・ダールらはクラスという機能を備えたSimula67を開発し、1969年からエドガー・ダイクストラは抽象データ構造という概念を備えた構造化プログラミングを提唱した。1974年からIBM社中心の研究者たちが構造化分析/設計と総称される技法を発表し、構造化プログラミングはこちらに取って代わられた。1972年からアラン・ケイはメッセージングという概念を備えたオブジェクト指向を誕生させている。オブジェクト指向は後にクラス・パラダイムにマウントされている。
構造化設計は、サブルーチン複合体とデータ構造を扱っている具象データ(concrete data)技術である。Simula発のクラスとダイクストラ発の抽象データ構造は、プログラムモジュールにカプセル化・継承・多態性を備えて抽象体として扱おうとする抽象データ(abstract data)技術である。そしてアラン・ケイ本来のオブジェクトとは、プログラムモジュールを生物学と代数学の観点から再解釈した非データ(non data)技術であった。構造化開発は1980年代までの主流であり、続けてオブジェクト指向が主流になったが、現在においてもクラスをただのデータとメソッドの複合体として扱っているようなオブジェクト指向は、構造化開発と大差ないものになり「具象データ」から「抽象データ」への思考転換の難しさを物語っている。モジュールの抽象化が提唱され始めたのは1970年代であったが、同時期にアラン・ケイは「抽象データ」を更に抽象化した「非データ」を構想していた。
2020年の言及
Q&AサイトのQuoraで「1966~67年のオブジェクト指向という造語を発したアラン・ケイに誰かが影響を与えていたのか?」という質問に対して本人がこう回答している。なお、強調されている“rotation”は「The Early History of Smalltalk」などにその経緯が記された1966年頃の彼自身による“オブジェクト”の、特にソフトウエアの基本構成単位としての発見(念のため、この時点ではSimulaはまだ「オブジェクト」ではなく後述のように相当するエンティティを「プロセス」という用語で表現していた)とその後の彼の中での発想の大転換を意味する。
In the 1960s, software composites that were more complex than arrays, were often called “objects”, and all the schemes I had seen involved structures that included attached procedures. A month or so after the “rotation” someone asked me what I was doing, and I foolishly said “object-oriented programming”.
(60年代、配列より複雑なソフトウェア構成体はしばしばオブジェクトと呼ばれており、僕のスキームにあった手続き付きの構造体もそうだった。私の中での“発想の転換”が起こった後、今何をしているのかと尋ねられた僕は愚かにもこう言った。オブジェクト指向プログラミングと。)
The foolish part is that “object” is a very bad word for what I had in mind — it is too inert and feels too much like “data”. Simula called its instances “processes” and that is better.“Process-oriented programming” would have been much better, don’t you think?
(愚かしいこのオブジェクトは僕の考えを表現するのにとても悪い言葉だった。不活性的でデータを過剰に意識させたからだ。Simulaはプロセスと呼んでいた。こっちがよかったな。プロセス指向プログラミングの方がずっと良かったと思わないかい?)
脚注
出典
- ^ a b “The Early History Of Smalltalk”. 2019年1月閲覧。
- ^ How Object-Oriented Programming Started
- ^ “OO History: Simula and Smalltalk”. 2019年2月閲覧。
- ^ “User Interface A Personal View”. 2020年1月閲覧。
- ^ “Dr. Alan Kay on the Meaning of “Object-Oriented Programming””. 2019年1月閲覧。
関連項目
外部リンク
オブジェクト指向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 16:15 UTC 版)
詳細は「オブジェクト指向プログラミング」を参照 Javaは、クラスベースのオブジェクト指向である。クラス、インターフェース、インスタンスといった概念を中心にしたものである。クラスのメンバ要素は、フィールド、メソッド、静的フィールド、静的メソッド、定数、内部クラス、コンストラクタ、ファイナライザである。インターフェースは抽象メソッドと定数で構成される純粋抽象クラスである。クラスはインスタンスのひな型であり、インスタンスはクラスを実体化したものである。Javaプログラムは、1個以上のクラス定義文から形成される。Javaのクラスはカプセル化、継承、多態性をサポートしている。 カプセル化は、クラスメンバの可視性 (private, package, protected, public) でサポートされている。可視性とはメンバのアクセス許可範囲を定めるものであり、privateは同クラス内限定、packageは同クラス内と同パッケージ内限定、protectedは同クラス内と同パッケージ内と派生クラス内限定、publicは制限なしを意味する。パッケージはプログラム全体を任意に分割したソースファイルの1個以上のまとまりである。Javaのデフォルト可視性は、ファイル単位のpackageなので隠蔽性よりも利便性が重視されている。 継承は、スーパークラスが一つに限られる単一継承をサポートしている。多重継承は不可である。既存クラスに任意メンバを追加した新規クラスを作成できる。Javaの全クラスはObjectクラスをルートクラスとしてデフォルト継承する。Objectクラスにはロック機能が備えられており、これは並行プログラミングを前提にした仕様である。 多態性は、仮想関数、抽象クラス、インターフェース、動的ダウンキャストでサポートされている。スーパークラスのvirtualメソッドを、サブクラスの同名メソッドでオーバーライドできる機能を仮想関数と言う。スーパークラス変数にサブクラスインスタンスを代入してその変数からサブクラスのメソッドが呼ばれるようにするのは、サブタイピングになる。インターフェースは抽象メソッドだけの純粋抽象クラスであり、任意の数だけクラスに実装できる。実行時ダウンキャストはinstanceof演算子の実行時型チェックが可能で、ダウンキャスト失敗時は例外発生する。
※この「オブジェクト指向」の解説は、「Java」の解説の一部です。
「オブジェクト指向」を含む「Java」の記事については、「Java」の概要を参照ください。
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