きつね‐び【×狐火】
狐火
狐火
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狐火
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狐火
狐火
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/08 07:48 UTC 版)
狐火(きつねび)は、日本各地に伝わる怪火[1]。ヒトボス、火点し(ひともし)[2]、燐火(りんか)とも呼ばれる[3][4]。
- ^ 村上 2000, p. 134.
- ^ a b 林 1977, p. 5
- ^ a b 鈴木 2002, pp. 38–39.
- ^ a b “きつねび【狐火】”. Yahoo!辞書. Yahoo! JAPAN. 2013年3月20日閲覧。
- ^ a b c d e 根本 1985, p. 597
- ^ a b 草野 1997, p. 102
- ^ 有賀喜左衛門「爐辺見聞」『民族』4巻3号、民族発行所、1929年4月、 144-145頁、 NCID AN00236864。
- ^ a b c 多田 1990, pp. 344–345
- ^ 土井卓治「伯耆大山を眺めつつ歩く」『あしなか』通巻49号、山村民俗の会、1955年11月、 22頁、 NCID AN00406352。
- ^ 「石川県鳳至郡門前町 調査報告書」『常民』27号、中央大学民俗研究会、1991年1月、 75頁、 NCID AN00116782。
- ^ 宮澤千章「火の玉と狐火」『伊那』51巻1号(通巻896号)、伊那史学会、2003年1月、 30頁、 NCID AN00015559。
- ^ a b c 清原編 2009, pp. 28–29
- ^ 石川正臣「飯田の伝説 飯田の烏」『伊那』32巻1号(通巻688号)、伊那史学会、1984年1月、 15頁、 NCID AN00015559。
- ^ 中島繁男「狐火」『日本民俗』2巻12号、日本民俗協会、1937年8月、 19頁、 NCID AN00018761。
- ^ a b 角田 1982, pp. 31–32
- ^ a b 宮尾 1963, p. 93
- ^ 角田 1979, pp. 174–178.
- ^ 日野 1926, p. 256.
- ^ 日野 1926, p. 76.
- ^ 笹間良彦 『図説・日本未確認生物事典』柏書房、1994年1月、109頁。ISBN 978-4-7601-1299-9。
- ^ a b c 鈴木 1982, pp. 198–199.
- ^ a b 井上 1916, p. 160
- ^ a b 大藤他 1955, p. 929
- ^ 村上 2000, p. 219.
- ^ 角田 1979, p. 183.
- ^ a b 菊岡 1800, p. 474
- ^ a b c 神田 1931, pp. 15–17
- ^ a b c 神田 1931, pp. 23–25
狐火(きつねび)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/14 03:58 UTC 版)
様々な伝説を産んできた正体不明の怪光で、狐が咥えた骨が発光しているという説がある。水戸の更科公護は、川原付近で起きる光の屈折現象と説明している。狐火は、鬼火の一種とされる場合もある。
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狐火
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 22:31 UTC 版)
「日本の文化における狐」の記事における「狐火」の解説
詳細は「狐火」を参照 「狐に化かされた」として、説明のつかない不思議な現象一般を狐の仕業とすることも多かった。得体の知れない燐光を「狐火」、あるいは「狐の嫁入り」と呼ぶ伝承もある。江戸の王子では大晦日の夜に関八州の狐が集い、無数の狐火が飛んだというが、里人はその動きで豊作の吉凶を占ったと伝えられており、この王子の狐火は落語「王子の狐」のモチーフとなっている。
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狐火
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 02:43 UTC 版)
「王子の狐火」を参照 『江戸砂子』王子稲荷の段に以下のとおり記されている。 狐火おびただし、この火にしたがひて、田畑のよしあしを所の民うらなふことありといふ。(訳) 狐火がおびただしい。当地の農民はこの火によって田畑の豊凶を占ったりするという。 狐火にわうじ田畑のよしあしを知らんとここに金輪寺かな 年毎に刻限おなじからず、一時ほどのうちなり。宵にあり、あかつきにありなどして、これを見んために遠方より来るもの空しく帰ること多し、一夜とどまれば必ず見るといへり。(訳) 狐火の現れる時刻は年によって違うが、1~2時間ほどのことだという。晩に現れることもあれば明け方に現れることもあり、遠方からわざわざ見に来た人も見ずに終わることが多いが、一晩中待機していれば必ず見られるとのこと。 毎年大晦日の夜、諸国のキツネ、社地の東、古榎のあたりにあつまり、装束をあらためるといい、江戸時代、狐火で有名であった。 「関東八州」の稲荷(参照:稲荷神)の総社と観光紹介されるようになっているが、元来は東国三十三国の稲荷総司の伝承をもっていた。 社伝には「康平年中、源頼義、奥州追討のみぎり、深く当社を信仰し、関東稲荷総司とあがむ」 とある。この「関東」を中世以来別当寺金輪寺は、陸奥国まで含む「東国三十三国(参照:出羽三山*歴史項)」と解釈してきた。「三拾三ケ国の狐稲荷の社へ火を燈し来る」との王子神社の縁起絵巻「若一王子(にゃくいちおうじ)縁起」(紙の博物館蔵)の付箋が示す通り江戸中期までは神域に「東国三十三国」の幟、扁額を備えていた。寛政の改革時に幕府行政の上からの干渉を受けて以降、関八州稲荷の頭領として知られるようになった。 「三十三国」とあるが、北陸道・東山道・東海道を全部あわせても東国は30国しかない。33という数字は全令制国の合計66国を半分にした観念的な数字とする説、平安時代までに廃止された諏訪国・石城国・石背国を加えたものとする説、当時「蝦夷ヶ島」と総称された渡党(わたりとう)・日本(ひのもと)・唐子(からこ)を加えたとする説などがある。
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狐火(狐の提灯、狐の嫁入り)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 17:16 UTC 版)
「キツネの入った言葉一覧」の記事における「狐火(狐の提灯、狐の嫁入り)」の解説
いわゆる鬼火。きつねが口から吐く火らしい。「狐の嫁入り」は狐火が複数並んで嫁入り行列の提灯のようにみえるもの。空は晴れているのに雨が降ることも「狐の嫁入り」という。
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狐火と同じ種類の言葉
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