電卓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/06 17:16 UTC 版)
電卓(でんたく)は、電子式卓上計算機また電子式卓上加算機の略であり、加減乗除の四則演算を中心とする比較的簡単な計算を内蔵された電子回路で行う小型計算機である[1]。JISの用語では、1979年のJIS B 0117で電卓の呼称が標準化した。世界初の電卓は1963年につくられたANITA。
注釈
- ^ 以前は他の分類に相当するモデルにもあったが、近年はキヤノンのKS-Smart(既に絶版の旧モデル。現行のKS-Smart Liteは通常の方式)のような例外を除き、ほとんど見られない。
- ^ カシオの1970年代の機種(F-2など)は、取扱説明書には「加算機」と「器」ではなく「機」と表記されていた。
- ^ ただし、レンズの光学計算は何本もの光線について高精度の計算を必要とするため、ボタン操作のミス等を考慮すれば、単独回の演算のみが電子化されただけの手動計算機である電卓をその主力とすることは考えにくい。実際に、同社内の光学計算用には、当時製造販売が始まっていた大型のコンピュータが導入されている。
- ^ 前述のように電卓以外の計算機では既にテンキー方式のものは存在するため、「初のテンキー式計算機」などとするのは正しくない。また、ショー展示のみのものを含めればソニーMD-5がある。
- ^ 「~系統化調査」では無事に動いたとしているが、「~かく戦えり」では表示が点いたり消えたりと散々だったとしている
出典
- ^ 『電卓』 - コトバンク
- ^ “Amazon | アスカ(Asmix) 消費税電卓(S) シルバー C1226S | ビジネス電卓 | 文房具・オフィス用品”. www.amazon.co.jp. 2020年8月12日閲覧。
- ^ “ビックカメラ.com - W税率計算対応電卓 Asmix ホワイト C1244W [W税率対応 /12桁]”. ビックカメラ.com. 2020年8月12日閲覧。
- ^ 関数電卓マニアの部屋
- ^ 職種別専用計算電卓
- ^ “このボタンは何?意外と知らない電卓機能と活用方法 | 企業のお金とテクノロジーをつなぐメディア「Finance&Robotic」”. www.robotpayment.co.jp. 2020年8月12日閲覧。
- ^ a b c d 産業技術史資料情報センター「電子式卓上計算機技術発展の系統化調査」(PDF)
- ^ “Parametron, Chronology”. The History of Computing Project (2000年9月29日). 2008年11月18日閲覧。(英語)
- ^ 液晶電卓開発物語|液晶の世界:シャープ
- ^ NHKスペシャル 『電子立国日本の自叙伝』 第4回 「電卓戦争」
- ^ 日本国語大辞典が示している用例は、加藤秀俊『生きがいの周辺』より
- ^ 『愛しの昭和の計算道具』 p. 178
- ^ a b Texas Instruments Calculator Chips (Calculator Technical Information)
- ^ 『電子立国日本の自叙伝・下巻』日本放送出版協会、1992年2月20日、333頁。
- ^ 『電子立国日本の自叙伝・下巻』日本放送出版協会、1992年2月20日、344頁。
- ^ 『日本の半導体開発-超LSIへの道を拓いた男たち-』ダイヤモンド社、1981年12月17日、204頁。
- ^ “OMRON desktop calculator”. 2022年12月15日閲覧。
- ^ “市民生活の革新をめざして|オムロンの歴史|会社案内|オムロン”. 2022年12月23日閲覧。
電卓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/07 03:18 UTC 版)
電卓の早打ちの特技を持つ。 全日本電卓競技大会の戦績1998年、第1回大会、中学2年生のとき読上算で個人優勝。 2006年、第9回全日本電卓競技大会、大学4年生の時、出身地にある珠算塾にて団体優勝。 2008年、第11回全日本電卓競技大会、個人・団体・種目別速打ちで優勝(3冠)。 2009年、第12回大会は個人2位・団体3位。 2010年、第13回大会は個人5位・団体4位。 2011年、第14回大会は個人・団体優勝(2冠)。また、幼なじみである男女各1人も前述の珠算塾出身者で、2011年度の大会に入賞している。 『行列のできる法律相談所』(2008年4月20日放送)では、歌いながら電卓打ち、両手で電卓打ちなどの技を披露した。 2009年7月より『電卓名人』としてカシオ計算機の電卓イメージキャラクターに採用された。 電卓アイドル=電ドルというニックネームを持つ。 テレビ朝日の『松岡修造の情熱チャージ 熱血!ホンキ応援団』にて、愛知県立新城高等学校(電卓ガールズ)のコーチ(スペシャル応援人)を務め、全国3位まで育てた。2009年12月19日と2010年2月20日に放送された。初回の放送日のGoogleの急上昇キーワードランキングにて「重原佐千子」が1位になった。
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電卓
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「DuckDuckGo」の記事における「電卓」の解説
calculator と検索すると三角関数などの計算も可能な電卓ウィジェットが表示される。また直接式を検索する事でも結果が得られる(例: 5*13= と検索すると答えの65が表示される)。
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電卓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 07:43 UTC 版)
「Microsoft Windows 7」の記事における「電卓」の解説
プログラマ用と統計用のモードが追加され、日付の計算や単位の変換、燃費やローンの計算などが以前よりもわかりやすく扱えるようになった。Windows 95からWindows Vistaまで採用されていた外観は一新された。
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電卓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 17:13 UTC 版)
「Micro Instrumentation and Telemetry Systems」の記事における「電卓」の解説
エド・ロバーツがコンピュータに興味を持ったのは、高校時代にリレーで簡単なデジタルコンピュータを作ったことがきっかけだった。彼が初めてコンピュータを実際に使ったのはオクラホマ州立大学にいたときで、工学部の学生はIBM 1620を自由に利用することができた。兵器研究所のロバーツのオフィスには、1968年に当時最新のヒューレット・パッカード製のプログラム電卓・HP 9100Aが入った。1970年7月、半導体メーカー・エレクトロニック・アレイズ社が4関数電卓用の6個組のLSIのセットを発表した。ロバーツは電卓キットを設計することを決意した。 新しいプロジェクトの資金の調達のため、ロバーツはMITS社の株式の15%を仲間の空軍士官、ウィリアム・イエーツに売却した。彼はまた、もう一人の兵器研究所の将校であるエド・ラフリンからも出資を受けた。研究所の他の何人かの将校や科学者は、この最先端の電卓キットに興味を持ち、設計に協力した。フォレスト・ミムズは組立てマニュアルを書き、その原稿料代わりとして電卓キット1セットを受け取った。 MITS 816は、足し算、引き算、掛け算、割り算ができる「4関数」電卓である。表示は8桁だけだったが、計算は16桁の精度でできた。特注の成形ケースは、キットでありながらプロ仕様の外観だった。キットは179ドル、組み立て済み製品は275ドルで販売された。MITS 816は『ポピュラーエレクトロニクス』1971年11月の表紙に掲載された。MITS社が販売したそれまでのキットとは違い、電卓の注文は毎月数千件入ってきた。 電卓が安定して販売されるようになったことで、MITS社は、『ラジオ=エレクトロニクス』誌、『ポピュラーエレクトロニクス』誌、『サイエンティフィック・アメリカン』誌にフルページの広告を掲載することができた。『ラジオ=エレクトロニクス』1972年6月号で、MITS社はキット199.95ドル、組み立て済み249.95ドルの、メモリと平方根機能を備えた14桁の電卓(Model 1440)を発表した。元の816のキットは179ドルから149.95ドルに値下げされた。どちらの電卓もプログラミングユニットで制御できるようになっていた。 1973年3月には月商が10万ドルに達し、MITS社は1万平方フィート(930平方メートル)の広い建物に移転した。組み立て済み電卓の需要を満たすために、自動ウェーブはんだ付け(英語版)装置が導入された。1973年にMITS社は、「作っては出し」の状態で電卓を製造・販売していた。110人の従業員は、2交代のシフトで電卓を組み立てていた。 電卓用ICの機能が急速に向上し、ロバーツは新機種の設計・製造を行っていた。科学技術計算機MITS 7400が1972年12月に発売された。これは、三角関数、極座標から直交座標への変換、2つのメモリ、最大7段のスタックを特色としていた。3段スタックのキットは299.95ドル、7段スタックの組み立て済み製品は419.95ドルだった。翌月には、4関数ポケット電卓のSeries 1200が発表された。6桁モデルは59.95ドル、12桁モデルは99.95ドルだった。 初期の広告でプログラムアクセサリについて触れられていたが、1974年3月になってようやく販売された。これはデスクトップ電卓と同じサイズで、256ステップのプログラミングが可能だった(512ステップまで拡張可能)。機能は、電卓のキー操作をエミュレートすることと、単純なシーケンス分岐に限定されていた。プログラミングは16進数のキーコードを入力することによって行われた。MITS 7440とプログラムアクセサリの組み合わせは、HP 9830(英語版)ほど洗練されたものではなかったが、両方のキットを買っても400ドルで、HP 9830よりも安かった。
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電卓
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「ワング・ラボラトリーズ」の記事における「電卓」の解説
1965年、対数を計算できる初の電卓 Wang LOCI-2 が発売された[要出典]。集積回路を使っていない電卓としてはかなり意欲的な製品で、1275個のトランジスタを使っていた。乗算を対数の加算を行うことで実現しており、誤差が表示にも現れやすかった(例えば、2×2 = 3.999999999 となった)。 1965年から1971年ごろまで、ワングは電卓製造会社として成功していた。ワングの電卓は、ニキシー管を表示に使い、三角関数などをサポートし、磁気コアメモリを巧妙に利用していた。当時のライバルとしては、1968年に HP9100A を発売したヒューレット・パッカードや、機械式計算器を製造していたモンローやマーチャントがあった。 ワングの電卓は、科学技術計算向けとされたが、その後金融サービス業での採用も勝ち取った。70年代初め、アン・ワングは電卓がいずれ利益が出ないほど低価格化すると予想し、ビジネスの転換を図ることを決断した。
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電卓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/05 10:03 UTC 版)
「エレクトロニカ (ソビエト社会主義共和国連邦)」の記事における「電卓」の解説
エレクトロニカで最も有名なものは電卓である。1968年に製造が開始された。エレクトロニカの電卓は多様な大きさと機能のものが製造された。大きな一般電卓(四則演算が可能な電卓)からより小型の学校向けに特化した操作をする機種まであった。学校向けの機種は、MK-SCH-2のように従来品より安全な42V ACアダプタを使用していた。時が経つに従って、エレクトロニカの電卓はさらに機能を拡張したものが製造された。比較的新しい機種の一部はプログラミング可能かつ現在のアメリカで設計されたグラフ電卓のような機能も搭載している。 「エレクトロニカ」ブランドは、ノヴォシビルスクのRPNプログラマブル電卓 Electronika MK-152 (ru:Электроника МК-152)そしてElectronika MK-161 (ru:Электроника МК-161) で今でも使われている。
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電卓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 13:54 UTC 版)
ロバーツが初めてコンピュータに触れたのは、オクラホマ州立大学に在籍していたときだった。工学部の学生はIBM 1620を自由に利用することができた。兵器研究所の彼の職場には、1968年に最新のプログラム電卓であるHP 9100Aが入った。ロバーツは、デジタルコンピュータを自分で作りたいと考えていた。1970年7月、エレクトロニック・アレイズ社が、LSIを6つ使った4つの関数の計算ができる電卓のキットを発表した。ロバーツは電卓キットを設計することを決意し、兵器研究所の同僚のウィリアム・イエーツとエド・ラフリンに投資してもらった。 最初の製品は、足し算、引き算、掛け算、割り算ができる「4関数」の電卓だった。表示は8桁しかなかったが、16桁の精度で計算ができた。MITS Model 816 電卓キットは、『ポピュラーエレクトロニクス』1971年11月の表紙に掲載された。キットは179ドル、組み立て済み製品は275ドルで販売された。MITS社がそれまでに提供してきたキットとは異なり、電卓の注文は毎月数千件入ってきた。 1973年3月には月商が10万ドルに達し、MITS社は1万平方フィート(930平方メートル)の広い建物に移転した。1973年には、「作っては出し」の状態で電卓を販売しており、110人の従業員が2交代で電卓を組み立てる作業を行っていた。電卓の集積回路の機能性が急速に高まり、ロバーツは新しいモデルを設計して生産していた。 電卓の人気により、従来の事務機器メーカーや半導体メーカーも電卓市場に参入した。1972年9月、テキサス・インスツルメンツ(TI)は、ポータブル4関数電卓「TI-2500」を発表し、120ドルで販売した。大企業は、市場シェアを獲得するために、原価割れの価格で販売することができた。1974年初頭までに、ロバーツは、小売店で電卓を材料費以下で購入できることに気づいた。このときには、MITS社は30万ドルの負債を抱えており、ロバーツは新たなヒット商品を探していた。
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電卓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 08:35 UTC 版)
電卓は機種によって演算子の優先順位が異なる場合がある。もっとも、電卓は数式を評価しているのではなく、単に操作順が数式に類似しているに過ぎず、本質的には、計算機としての内部の計算モデルの違いによるものである。 多くのいわゆる普通の電卓は、入力された順に計算する。例えば、 1 + 2 × 3 = 9 {\displaystyle 1+2\times 3=9\;} となる。これに対し、たいていの「関数電卓」は、加減算中の乗除算について別に計算できるバッファを持っており、 1 + 2 × 3 = 7 {\displaystyle 1+2\times 3=7\;} となる。Microsoft Windowsに添付されているアプリの電卓も、「普通の電卓」と「関数電卓」のモードに応じて、同様に異なった動作をする。 なお以上で説明した「関数電卓」は、いわゆる「標準方式」と呼ばれるもので、近年の関数電卓には数式をそのまま入力して評価する方式のものもある。 冪乗を計算できる電卓の場合、冪乗の結合性(英語版)が左右どちらなのかは機種によって異なる。例えば、TI-92とTI-30XIIで a ^ b ^ c を計算した結果は異なる。 TI-92では冪乗は右結合性なので次のようになる。 a ^ b ^ c = a ^ (b ^ c) = a ( b c ) = a b c {\displaystyle a^{(b^{c})}=a^{b^{c}}} 一方TI-30XIIでは左結合性なので次のようになる。 a ^ b ^ c = (a ^ b) ^ c = ( a b ) c {\displaystyle (a^{b})^{c}} また 1/2x のような式は、TI-82では 1/(2x) と解釈されるが、TI-83では (1/2)x と解釈される。 −32 が −(32) ではなく (−3)2 と解釈されることがあることも上述の通りである。
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