浄土寺 (松山市)とは? わかりやすく解説

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浄土寺 (松山市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/30 07:38 UTC 版)

浄土寺
本堂
所在地 愛媛県松山市鷹子町1198
位置 北緯33度49分0秒 東経132度48分30.7秒 / 北緯33.81667度 東経132.808528度 / 33.81667; 132.808528 (浄土寺)座標: 北緯33度49分0秒 東経132度48分30.7秒 / 北緯33.81667度 東経132.808528度 / 33.81667; 132.808528 (浄土寺)
山号 西林山
院号 三蔵院
宗派 真言宗豊山派
本尊 釈迦如来
創建年 (伝)天平勝宝年間(749年 – 757年
開基 恵明
正式名 西林山三蔵院浄土寺
札所等
文化財
  • 本堂・木造空也上人立像(重要文化財)
  • 不動明王像(市指定文化財)
法人番号 5500005000254
浄土寺
浄土寺
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浄土寺(じょうどじ)は、愛媛県松山市にある真言宗豊山派の寺院。山号は西林山(さいりんざん)、三蔵院(さんぞういん)と号す。本尊は釈迦如来四国八十八箇所第四十九番札所。伊予十三仏霊場第2番札所。

  • 本尊真言:のうまくさんまんだ ぼだなん ばく
  • ご詠歌:十悪(じゅうあく)のわが身を棄てずそのままに 浄土の寺へまいりこそすれ
  • 納経印:本尊、奥之院地蔵尊

沿革

山門前に咲く御衣黄桜
仁王像

伝承によれば、天平勝宝年間(749年 – 757年)に孝謙天皇勅願を受けて恵明(えみょう)上人が開創、本尊として行基が刻んだ釈迦如来像を祀ったという。当初は法相宗であったが、空海(弘法大師)が伽藍を再興した際に真言宗に改宗したという。

平安時代中期の天台宗の僧空也天徳年間(957年 – 960年)にこの寺に滞在し布教に努めた。建久3年(1192年)に源頼朝が堂宇を修復するが、応永23年(1416年)には兵火で焼失。河野通宣によって文明14年(1482年)に再建された。現在の本堂はそのときのものである。慶安2年(1649年)には大規模な修繕、昭和36年(1961年)には解体修理が行われている。

なお、本堂に置かれた厨子に巡礼者が書いた墨書落書きがあり、その最古のものに大永5年(1525年)の年号が見られる[1]。 また、院号の「三蔵院」は、浄土宗の開祖・法然上人、第二祖・聖光上人、第三祖・良忠上人の自作像を安置していたことに因むが、1945年の出先での空襲で焼失している。

境内

  • 山門(仁王門):4月中旬には緑色の花びらの御衣黄桜が咲く。
  • 本堂:向って右陣に空也上人立像を安置。
大師堂
  • 大師堂:大師像を拝観できる。
  • 鐘楼
  • 弁財天:山門から本堂への石段右にある。
  • 阿弥陀堂:本堂の左にあり、賓頭盧像が外にいる。
  • 愛染堂:阿弥陀堂の前にある。
  • 茶堂
  • 仏足石
  • 句碑:正岡子規「霜月の空也は骨に生きにける」が本堂の壇に上がって右にあり、森白象「お遍路や杖を大師とたのみつゝ」が四脚門の手前右にある。なお、下記の奥之院牛之峰地蔵堂に向って右奥に森白象「子遍路の人なつかしきことあはれ」がある。
  • 中門(四脚門)
  • 七福神石像
  • 納経所

石段を上って山門を入ると右手に手水場その後ろに弁財天、さらに石段を上って右に鐘楼があり、正面に本堂が建つ。本堂の左側に阿弥陀堂と愛染堂が、右側に大師堂がある。納経所は鐘楼の後ろにある門を入りずっと奥にある。

  • 宿坊:なし
  • 駐車場:20台、大型4台(駐車料金:普通車で100円)

文化財

国の史跡
重要文化財
  • 本堂(附:厨子)文明16年(1484年)建立、昭和28年3月31日指定[1][6]
  • 木造空也上人立像 - 彩色、玉眼、121.5 cm、鎌倉時代作、昭和2年9月18日指定[7]
松山市指定有形文化財
  • 不動明王像 - 三尺不動といわれる、一木造り、像高94.4 cm、平安時代後期作、昭和62年5月26日指定、(光背と二童子は1756年の追補作)[8]

交通案内

鉄道
バス
道路

奥の院

牛之峰地蔵堂
本堂左から裏山に入って行くと山頂に地蔵菩薩が祀られている地蔵堂がある。後ろにはミニ八十八箇所があり、中央奥には石造大師像がブロック小屋に祀られている。

前後の札所

四国八十八箇所
48 西林寺 --(3.2 km)-- 49 浄土寺 -- (1.7 km)-- 50 繁多寺
伊予十三仏霊場
1 大蓮寺 -- 2 浄土寺 -- 3 太山寺

脚注

  1. ^ a b 浄土寺本堂 1棟、附 厨子1基”. 松山市 (2021年4月28日). 2023年6月27日閲覧。
  2. ^ 令和5年文部科学省告示第17号
  3. ^ 伊予遍路道”. 松山市 (2023年3月29日). 2023年6月27日閲覧。 “指定(登録)年月日、平成28年10月3日 指定、令和5年3月20日 松山市内分追加指定”
  4. ^ 伊予遍路道 - 文化遺産オンライン文化庁
  5. ^ 伊予遍路道 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  6. ^ 浄土寺本堂 - 文化遺産オンライン文化庁
  7. ^ 木造空也上人立像 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  8. ^ 不動明王像 1躯”. 松山市 (2012年3月1日). 2023年6月27日閲覧。

参考文献

  • 四国八十八ヶ所霊場会 編『先達教典』四国八十八ヶ所霊場会、2006年。 
  • 宮崎建樹『四国遍路ひとり歩き同行二人』 地図編(第8版)、へんろみち保存協力会、2007年。 

関連項目

外部リンク




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