仏教の歴史 仏教の歴史の概要

仏教の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/01 07:08 UTC 版)

仏教の拡大について。紀元前6世紀に始まるインドにおける仏教の中心地(濃いオレンジ色)。仏教徒が多数を占める地域(オレンジ色)。歴史的に仏教が影響をおよぼした地域(黄色)。大乗仏教の伝播(赤色の矢印)、上座部仏教の伝播(緑色の矢印)、密教の伝播(青色の矢印)

仏教の歴史は、数多くの活動や分裂、大乗仏教 (: Mahāyāna) 、上座部仏教 (: Sthaviravāda) 、密教などの学派およびその発展や衰退の対比のなかに特徴が見られる。

仏陀の生涯

ゴータマ・シッダールタ(紀元前563年 - 紀元前483年)の時代における古代インド十六大国十六大国は主として肥沃なヒンドゥスターン平野に位置しており、古代インドの歴史の中では他に数多くの小王国も存在した。

ゴータマ・シッダールタ(仏陀: Gautama Śiddhārtha)は仏教の歴史的創始者である。初期の文献によれば、彼は古代インドコーサラ国領にある釈迦族(: Sakka)の小国(現在はネパール国内)に生まれた[1]。このことから、彼は「釈迦牟尼(シャカムニ)」(釈迦族の聖者、: Śākyamuni)として知られた。釈迦族は氏族の会議体によって統治されており、ゴータマは支配氏族のひとつに生まれたため、バラモン(婆羅門)[2]と話す時には自らをクシャトリヤ[3]と称した[1]。初期の仏典では仏陀の生涯は描かれていないが、紀元前200年頃以後の文書では様々な神話的脚色を含んだ伝記(本生譚、本生経)が残っている[4]。これらの文書に共通して、ゴータマが氏族の長としての人生を放棄したこと、禁欲的な修行者(沙門)として一定期間生活して様々な師のもとで学んだ後に、禅定(瞑想)によって涅槃(煩悩を滅すること)と菩提(悟り智慧の覚醒)を得たこと、が描かれている。

35歳の時に悟りを得てから80歳で入滅(死去)するまでの45年間、仏陀インド中央部のヒンドゥスターン平野(ガンジス川およびその支流の流域)をまわり、カースト制度の中の様々な階層の人々に教えを広め、僧侶を僧団(僧伽)に参加させた。仏陀は弟子(仏弟子)をインド全域に派遣し教えを広めさせた。仏陀はまた尼僧の僧団を形成した[5][6]。仏陀は仏弟子に対し、行った先の地域の言葉で教えを広めることを求めた[7]。仏陀は、シュラーヴァスティー(舎衛城、: Sāvatthī[8])、ラージャガハ(王舎城、: Rājagaha[9])、およびヴァイシャーリー(毘舎離、: Vāiśalī[10])の近郊にいることが多かった[6]。仏陀が80歳で入滅するまでに、数千人が彼に付き随った。

仏陀入滅後 400年間の間に、仏教には様々な活動が見られた。部派仏教(今日、上座部仏教だけが現存している)の成立、および大乗仏教密教および横断的な部派の成立である。新しい経典が受け入れられ、古い技術が改訂された。

仏教に帰依する者のことを「仏教徒」と呼ぶが、古代インドでは「シャキヤン」(Sakyan)もしくは「シャキャビクス」(Sakyabhiksu) と自称していた[11][12]。 仏教学者のドナルド・S・ロペス英語版は、仏教徒が自らを「バウッダ」(Bauddha)と呼んでいたと主張している[13]。一方、宗教文学者のリチャード・コーエン(Richard Cohen)は、「バウッダ」は外部の人間が仏教徒を呼ぶのに用いる言葉であると主張している。[14]


他の文献では お釈迦様は、母親である摩耶夫人(マーヤー)がルンビニーの花園で休んでいたときに、脇の下から生まれたとされています。そのときに9匹の竜が天から清浄の水を注ぎ、生まれ落ちたお釈迦様はすぐに7歩歩き、右手で空を、左手で大地を指して「天上天下唯我独尊」と言葉を発した、という伝説があります。

29歳までは王子として生きていたお釈迦様ですが、人生の真実を追究するために出家します。修行を乗り越えて35歳で悟りに達し、仏陀となります。それから80歳までインドの各地で教えを説き、その後入滅しました。入滅とは、お釈迦様や高僧の死に対して使われる言葉です。

初期仏教

「ハチンソンンの国々の物語」(Hutchison's Story of the Nations)インドの章において、マガダ国アジャータシャトル(阿闍世)王が罪悪感を鎮めるために仏陀を訪問したことを描いた図。

仏陀の死後、僧伽(僧侶の集団。サンガ、 : Saṃgha)はガンジス川流域の中央部に残り、古代インド世界に徐々に広まっていった。資料では様々な僧伽が記録されており、それぞれの僧伽では口頭で伝えられた仏陀の教えを暗唱し体系化していったと同時に、集団における規律上の問題を解決していた。現代の仏教学は、このような伝統的な説明の正確性と史実性に疑問を呈してきた[15]

第1回の仏教徒の集会(結集:けつじゅう、: Saṃgīti)は、仏陀の死(パリニルヴァーナ英語版)後まもなく、上位の弟子(十大弟子)の一人であるマハーカーシャパ(摩訶迦葉、大迦葉、: Mahākāśyapa)が座長となり、マガダ国アジャータシャトル(阿闍世、: Ajātaśatru)王の支援を受けてラージャガハ(王舎城、: Rājagaha)(今日のビハール州ラージギル) にて開催されたと言われている。チャールズ・プレビッシュ(Charles Prebish)によれば、ほぼすべての学者がこの第1回の集会の史実性に疑問を呈している[16][17]

時間がたつにつれ、分裂(根本分裂。訳注:仏陀の死後約100年後の第2回結集の際に分裂したとも言われる[18])した2つの僧伽(上座部(: Sthaviravāda)と大衆部 (: Mahāsāṃghika)はさらに様々な部派仏教に分かれる。上座部は、説一切有部(せついっさいうぶ、: Sarvāstivādin)、犢子部(とくしぶ、 : Pudgalavāda、ヴァツィープトリーヤ(: Vatsīputrīya)としても知られている)、法蔵部(ほうぞうぶ、 : Dharmaguptaka)、分別説部(ふんべつせつぶ、 : Vibhajyavāda)など、いくつもの影響力のある部派に分かれた。今日の上座部仏教はこれらの部派の流れをくんでいる。一方、大衆部は、説出世部(せつしゅっせぶ、: Lokottaravāda)所伝のマハーヴァストゥ(: Mahāvastu)などの文書や、超越論的な学派である一説部(いっせつぶ、 : Ekavyāvahārika)に見られるように、初期から独自の学派と教義を形成した[19]。この学派には、特に、ゴータマ・ブッダのすべての言行は、悟りの境地に達する前のものであっても、超越的ないし超俗的なものであったという思想により、後の大乗仏教の予兆となる概念が見られる[19]

紀元前3世紀には、アビダルマ(阿毘達磨、: Abhidharma)と呼ばれる、それ以前の時代に存在した教義上の論点の集積(マートリカー、 摩窒里迦、: Mātṛkā)を基に新しく体系化された教義を導入する部派も現れた[20]。アビダルマは、ニカーヤ(部。: Nikāya[21])とは種類が違う散文経典ないしは対話形式の文章であり、教義が異なる部派ごとに体系的に記述された様々なものが存在した[20]。アビダルマはすべての経験を、ダルマ(法。: Dharma)と呼ばれる究極の構成要素や現象ないしプロセスにまで分解し分析しようとした。

サーンチー(: Sāñcī[22]。)の第1のストゥーパの南のトーラナ(塔門)に描かれた、クシナガラ(拘尸那掲羅、: Kuśinagara[23])の町に攻撃を受けているマッラ国(末羅国。Malla)の人々。マッラ国の指導者は、仏陀の「遺骨(仏舎利)をめぐる戦争」(War of the Relics)において、周辺国の7人の王に包囲された。マッラ国はガナ・サンガ国 [24]で、古代インド十六大国のひとつであったことが、パーリ語経典のアングッタラ・ニカーヤ(増支部、: Aṅguttaranikāya[25])に記されている[26]

マウリヤ朝時代(紀元前322年 - 紀元前180年)

マウリヤ朝(: Maurya)のアショーカ王(阿育王。: Aśoka) の治世(紀元前273年 - 紀元前232年)に、仏教は王室の援助を獲得してインド亜大陸の大部分にまで拡大した[27]カリンガ国への侵攻後、アショーカ王は後悔の念を抱き、臣民の生活の改善に取り組み始めた。アショーカ王は人や動物のために井戸や宿泊所や病院を建設し、拷問や王族の狩猟旅行やおそらくは死刑をも廃止した[28]。アショーカ王はジャイナ教バラモン教といった非仏教徒の信仰も支援した[29]。アショーカ王は、ストゥーパ(卒塔婆: stūpa)を建立したり、人々にとりわけすべての動物の生命を尊重し、喜んで仏教のに従うよう記した柱を建設したりすることで仏教を広めた。彼は複数の仏教の文書に理想的な君主である転輪聖王(てんりんじょうおう、: cakravartiraajan)の模範として称えられている[27]

アショーカ王時代における仏教の伝道活動の地図

マウリヤ朝時代の仏教のもう1つの特徴は、仏陀や他の聖者の遺骸(仏舎利: sarīra)を収めた塚である、ストゥーパに対する崇拝や畏敬である[30]。これらの遺骸やストゥーパへの信仰の習慣は祝福をもたらすと信じられていた[30]マウリヤ朝仏教遺跡のなかで最もよく保存されている例はサーンチーの大ストゥーパ(紀元前3世紀に遡る)であると思われる[30]

アショーカ王が残した石板や柱の記述(アショーカ王碑文)によれば、仏教を広めるために、南はスリランカ、西はグレコ・バクトリア王国(バクトリア王国)をはじめとしてギリシア系の様々な国に使者が送られた。地中海世界にも使者が送られた可能性がある。

上座部仏教の文書によれば、アショーカ王は紀元前250年前後にパータリプトラ(華氏城。: Pātaliputra。現在はインドビハール州州都のパトナ)において、長老のモガリプッタ・ティッサ英語版とともに第3回の仏教徒の会議(結集。けつじゅう)を召集した[29]。 会議の目的は王室の後援を目当てとした非仏教徒からの僧伽の浄化であった[31]。この第3回結集の後、仏教の布教のための使者が、(当時マウリヤ朝が)把握していた世界各地に派遣された。

ヘレニズム世界における改宗

アショーカ王碑文には、ヘレニズム世界に仏教を広めることに努めたという記述がある。当時のヘレニズム世界は、ギリシアからインドとの国境地帯まで途切れのない文化的連続体を形成していた。アショーカ王碑文からは、主要なギリシア人国家の名前や所在地域が記されるなど、ヘレニズム世界の諸国家の政治組織について明確な理解がなされていたことが窺える。アンティオコス2世紀元前261年 - 紀元前246年)のセレウコス朝王国(首都は現在のトルコアンティオキア)、プトレマイオス2世紀元前285年 - 紀元前247年)のプトレマイオス朝エジプトアンティゴノス2世紀元前276年 - 紀元前239年)のアンティゴノス朝マケドニアキュレネのマガス英語版紀元前288年 - 紀元前258年)によるキレナイカ(現在のアフリカリビア[32]アレクサンドロス2世紀元前272年 - 紀元前255年)のエピロス(現在のギリシア北西部地域)、などの国々が仏教への改宗の受け手として記されている。アショーカ王碑文の一節には下記のような記述がある。

「国境から600ヨージャナ(由旬、5,400 – 9,600km)離れたところ、ギリシア人の王アンティオコスが統治するところ、その向こうにあるプトレマイオスアンティゴノス、マガス、アレクサンドロスの4人の王が統治するところまで、南方においても同様に、チョーラパーンディヤタンバパニ英語版スリランカ)に至るまで、ここにによる支配は勝ち取られた。」(アショーカ王碑文、第13大摩崖碑文英語版。S. Dhammika)

さらに、スリランカ叙事詩マハーワンサ』 (XII) によれば、アショーカ王の使者の中には、ダルマラクシタ英語版をはじめとしたヨナ(Yona)[33]と呼ばれるギリシア人たちがいた。ヨナたちは、ギリシア語アラム語で書かれたアショーカ王碑文を建立した。現在のアフガニスタンにあるカンダハールから発見された碑文(カンダハール2言語併用碑文英語版も参照。)には、ギリシアの社会に「敬虔さ」(ギリシア語エウセベイア(: εὐσέβεια: Eusebeia)という用語を用いており、サンスクリット語ではダルマ(: Dharma)にあたる。)を採り入れるよう求めているものもある[34]

これらの交流がどの程度影響力があったか不明であるものの、ロベール・リンセン英語版仏教は当時の西洋思想宗教に影響を与えたと述べている。リンセンは、当時のヘレニズム世界にはアレクサンドリア(アレクサンドリアのクレメンスが言及)などに仏教徒のコミュニティが存在したこと、西暦紀元前テラペウタイ派英語版(Therapeutae。パーリ語の「テーラワーダ(上座部) 、: Theravāda)」の変形の可能性がある[35]。)という会派が存在し、彼らが「仏教禁欲主義の教義と習慣からほぼ完全な形でインスピレーションを受けている」可能性があること [36]、また彼ら自体がアショーカ王西洋に派遣した使者の末裔である可能性さえもあること[37]を指摘している。キュレネのヘゲシアスピュロンのような哲学者は仏教の教義に影響を受けたと考えられることもある[38][39]

アレクサンドリア(現在のエジプト。)からは、法輪が描写されたプトレマイオス朝時代の仏教徒の墓碑も発見されている[40]。アレクサンドリアに仏教徒が存在したことから、彼らがキリスト教の修道院生活に影響を与えたかもしれない[41]2世紀キリスト教神学者アレクサンドリアのクレメンスは、バクトリア[42]シュラマナ(śramanas。沙門のこと。)と、インドギムノソフィスト英語版[43]の双方がギリシアの思想に影響を与えたと認識している[44]

スリランカにおける仏教の成立

スリランカ北中部のアヌラーダプラにある、世界最大の煉瓦造りの建造物ジェータワナラーマヤ英語版[45]

ディーパワンサ」などのスリランカ年代記では、アショーカ王の息子マヒンダ(: Mahinda)が紀元前2世紀にスリランカのあるセイロン島に仏教をもたらしたことが記されている。加えて、アショーカ王の娘サンガミッタ英語版(Sanghamitta、: Saṅghamitta)は、ビクニ(比丘尼、: bhikkhunī)と呼ばれる尼僧修道会を設立し、仏陀成道したブッダガヤ菩提樹の苗木をもたらしアヌラーダプラに植樹した[46]。マヒンダとサンガミッタはスリランカの上座部仏教の伝説的な創始者とみなされている[47]。 彼らは、デーヴァナンピヤ・ティッサ英語版王(Devanampiya Tissa、紀元前307年 - 紀元前267年)をはじめ、他の多くの上流身分の者たちを仏教に改宗させたといわれている。

最初の仏教建築はヴァサバ英語版王(Vasabha、紀元前109年 - 紀元前69年第1ランバカンナ朝英語版)の時代にさかのぼる[48]。古代のスリランカにおける主な仏教寺院や学院は、アヌラーダプラ大僧院(大寺、: Mahāvihāra)、アバヤギリヴィハーラ英語版(無畏山寺、: Abhayagiri vihāra)、およびジェータヴァナ(祇多林寺、: Jetavana)である[49]パーリ仏典は、戦争や飢饉が起こっても仏教の教えが保存されるよう、紀元前1世紀に書かれた[50]。パーリ仏典は、中期インド・アーリア語群英語版(Middle Indo-Aryan languages)において完全な形で現存する唯一の仏典である[51]。パーリ仏典は、アヌラーダプラ大僧院学派の伝統が反映されている。ブッダゴーサ(仏音(ぶっとん)、: Buddhaghosa4世紀 - 5世紀)やダンマパーラ(護法、: Dhammapāla)など、後の上座部仏教におけるアヌラーダプラ大僧院派のパーリ語注釈者により、スリランカの伝統的仏典注釈書アッタカター(: Aṭṭhakathā)が体系化された。

スリランカでは、アバヤギリヴィハーラ英語版寺院やジェータヴァナ寺院において大乗仏教が学ばれており、大乗仏教にも一定の影響があったが、パラークラマ・バーフ1世英語版(Parakramabahu I。在位1153年 - 1186年)はアバヤギリヴィハーラとジェータヴァナの影響を廃したため[52]、アヌラーダプラ大僧院派が支配的なものとなった[53]


  1. ^ a b Harvey, 2012, p. 14.
  2. ^ 当時のバラモン教社会におけるヴァルナ制度の最上位に位置する僧侶の階級。
  3. ^ 当時のバラモン教社会におけるヴァルナ制度において、僧侶であるバラモンに次ぐ第2位に位置する王族や武人の階級。
  4. ^ Harvey, 2012, pp. 14–15.
  5. ^ 尼僧が僧団に参加することを認めた。具体的には仏陀の養母の摩訶波闍波提(マハープラジャーパティー王妃、: Mahā-prajāpatī)および500人の釈迦族の女性が、男性の僧である比丘(びく、: Bhikkhu)よりも厳しい規律を課すことを条件に出家を認められた。
  6. ^ a b Harvey, 2012, p. 24.
  7. ^ Harvey, 2012, p. 25.
  8. ^ 十六大国のひとつコーサラ国の首都。
  9. ^ 十六大国のひとつマガダ国の首都。
  10. ^ 十六大国のひとつヴァッジ国の首都。
  11. ^ Beyond Enlightenment: Buddhism, Religion, Modernity by Richard Cohen. Routledge 1999. ISBN 0415544440. p. 33. 「(仏教僧伽に)寄附を行った者は、シャカムニ・ブッダの姓を名乗ることで、制度的にも観念的にも、ブッダを正当に継ぐ者だと言おうとした。シャカの名を名乗ることは、名乗った者自身がブッダと関係していると自己定義することであり、現代の仏教の信仰者が自分自身を「仏教徒」と呼ぶことと似ている面がある。」
  12. ^ Sakya or Buddhist Origins by Caroline Rhys Davids (London: Kegan Paul, Trench, Trubner, 1931) p. 1. 「仏教」という言葉を脇において「シャカ」について考えることで、いっぺんに正しい見通しを得ることができる。そうすることで、「ブッダ」や「仏教」についての関心は薄められ、インドでシャカムニ(釈迦族の聖者)と知られたその人、そして、記録にとどまる範囲内ではあるが、シャカの息子たち、あるいは「シャキヤン」と呼ばれた釈迦の弟子たちについてより多くを学ぼうとすることができる。」
  13. ^ Curators of the Buddha By Donald S. Lopez. University of Chicago Press. p. 7
  14. ^ Beyond Enlightenment: Buddhism, Religion, Modernity by Richard Cohen. Routledge 1999. ISBN 0415544440. p. 33. 「「バウッダ」は、「ブッダ」の母音を伸ばすことで元の言葉との関係性の存在を示す、二次派生語である。「バウッダ」と「ブッダ」の関係は、「サイヴァ」と「シヴァ」(ヒンドゥー教の破壊、再生の神)、「ヴァイシュナヴァ」と「ヴィシュヌ」(ヒンドゥー教の破壊的な力からの守護を司る神)との関係と同じである。…「バウッダ」は形容詞的にも名詞的にも用いられる。ブッダの話した教義やブッダの享受したもの、ブッダに関する文献のことを表すだけでなく、ブッダに崇敬をよせブッダの名によって保証された価値観念を受け入れた人々や団体や社会のことをも表す。厳密に言うと、「バウッダ」の言葉はアジャンターの遺跡に記されていないことから、「バウッダ」より「シャキヤ」(Sakya)の方が好ましい。実のところ、集合名詞としては、「バウッダ」は外部の者が仏教徒を指して呼んだ言葉である。インドにおいては仏教徒は自分たちのことを「バウッダ」とは呼ばなかった。時には「仏陀の」というように、所有格の意味で形容詞的に用いた場合があったとしても。」
  15. ^ Berkwitz, Stephen C. South Asian Buddhism: A Survey, Routledge, 2012, p. 43.
  16. ^ Prebish, Charles S. Buddhism:上座部大衆部の最初の僧伽の分裂を一人の人間が引き起こしたとも言われている。分裂の原因は(僧団の規律)をめぐる論争であることには同意している。
  17. ^ Harvey, Peter (2013). An Introduction to Buddhism: Teachings, History, and Practices (2nd ed.). Cambridge, UK: Cambridge University Press. pp. 88–90.
  18. ^ 岩波仏教辞典 1989, p. 228.
  19. ^ a b Harvey, 2012, p. 98.
  20. ^ a b Harvey, 2012, p. 90.
  21. ^ 仏教初期に成立したパーリ語仏典で、阿含経の一部。
  22. ^ マウリヤ朝アショーカ王以来の仏教遺跡世界遺産に指定。釈迦の遺骨(仏舎利)を安置するストゥーパ(卒塔婆)がある。現在のインド中央部、マディヤ・プラデーシュ州
  23. ^ 十六大国のひとつマッラ国の西部にある都市。仏陀入滅の地。現在のインドウッタル・プラデーシュ州クシナガラ県。
  24. ^ 有力者の集会によって統治される国。
  25. ^ 阿含経増一阿含経に相当。
  26. ^ Asiatic Mythology by J. Hackin pp. 83ff
  27. ^ a b Harvey, 2012, p. 100.
  28. ^ Harvey, 2012, p. 101.
  29. ^ a b Harvey, 2012, p. 102.
  30. ^ a b c Harvey, 2012, p. 103.
  31. ^ Berkwitz, Stephen C. South Asian Buddhism: A Survey, Routledge, 2012, p. 45。王が疑わしい者に教義について質問をし、回答をモガリプッタ・ティッサが確認していた(英語版Buddhist councils参照。)
  32. ^ 塚本 1976, Kindle版、位置No.51/224.
  33. ^ 古代ギリシアの地域名イオニアに由来。
  34. ^ History of Afghanistan
  35. ^ According to the linguist Zacharias P. Thundy
  36. ^ "Zen living", w:Robert Linssen
  37. ^ "The Original Jesus" (Element Books, Shaftesbury, 1995), Elmar R Gruber, Holger Kersten
  38. ^ キュレネのヘゲシアス(ペイシタナトス、「死に導く者」(The advocate of death)とも呼ばれる。)は、キュレネのマガス英語版と同時代の人で、(アショーカ王の時代に)キュレネ(現在のリビア)やアレクサンドリア(現在のエジプト。)に派遣された仏教徒の使者から影響を受けた可能性がある。彼の影響は、 (死を最大の幸福と捉えた消極的快楽主義を唱え、聴講したものから自殺者が続出したため) 最後は講義を禁止されたほどであった。" Jean-Marie Lafont, w:Inalco in "Les Dossiers d'Archéologie", No. 254, p. 78
  39. ^ Adrian Kuzminski, Pyrrhonism: How the Ancient Greeks Reinvented Buddhism (Studies in Comparative Philosophy and Religion) 2008
  40. ^ Tarn, The Greeks in Bactria and India
  41. ^ w:Robert Linssen, Zen living
  42. ^ 現在のアフガニスタンタジキスタンウズベキスタン地方。
  43. ^ インドの哲学者修行者で、裸行や菜食主義を行っていた。
  44. ^ Clement of Alexandria "The Stromata, or Miscellanies"(日本語名ストロマテイス) Book I, Chapter XV: Clement of Alexandria: Stromata, Book 1”. 2010年5月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年8月11日閲覧。
  45. ^ National Engineering Technological Heritage Gallery ceremonially opened”. The Sunday Times. 2013年11月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年9月30日閲覧。
  46. ^ この木は世界最古の木と見なされている。ブッダガヤ菩提樹は、5世紀インドの仏教弾圧により切られている。
  47. ^ Crosby, Kate (2013), Theravada Buddhism: Continuity, Diversity, and Identity, Wiley-Blackwell, pp. 1–3, ISBN 978-1405189071
  48. ^ Bandaranayake, S.D. Sinhalese Monastic Architecture: The Viháras of Anurádhapura, p. 22
  49. ^ Warder, A.K. Indian Buddhism. 2000. p. 280
  50. ^ Gombrich, Theravada Buddhism, a social history from Ancient Benares to Modern Colombo, Routledge; 2 edition (July 26, 2006), p. 152
  51. ^ Bhikkhu Bodhi, In the Buddha's words, p. 13
  52. ^ パラークラマ・バーフ1世の主導でサンガの改革の会議が開かれ、堕落したとみなされた(主要3派のうちアヌラーダプラ大僧院以外の、アバヤギリヴィハーラおよびジェータヴァナに属する)僧侶は島外に渡ったり僧衣を脱いで日常生活に戻ったりした。詳細は英語版w: Parakramabahu I参照。
  53. ^ Hirakawa, Akira; Groner, Paul (1993). A History of Indian Buddhism: From Śākyamuni to Early Mahāyāna. Motilal Banarsidass. p. 126. ISBN 978-81-208-0955-0.
  54. ^ Harvey, 2012, pp. 108, 110
  55. ^ Neelis, Jason. Early Buddhist Transmission and Trade Networks.2010. p. 141
  56. ^ Harvey, 2012, p. 108.
  57. ^ Snellgrove, David L. Indo-Tibetan Buddhism: Indian Buddhists and Their Tibetan Successors, 2004, p. 56.
  58. ^ Snellgrove, David L. Indo-Tibetan Buddhism: Indian Buddhists and Their Tibetan Successors, 2004, p. 58.
  59. ^ Harvey, 2012, p. 109.
  60. ^ Williams, Paul. Buddhist Thought. Routledge, 2000, p. 131.
  61. ^ Williams, Paul. Mahayana Buddhism: The Doctrinal Foundations 2nd edition. Routledge, 2009, p. 47.
  62. ^ Guang Xing. The Concept of the Buddha: Its Evolution from Early Buddhism to the Trikaya Theory. 2004. pp. 65–66 "般若経はおそらく大衆部において、南インドのアーンドラ国のクリシュナ川に沿った場所で発展した主張してきた学者もいる。"
  63. ^ Akira, Hirakawa (translated and edited by Paul Groner) (1993). A History of Indian Buddhism. Delhi: Motilal Banarsidass: pp. 253, 263, 268
  64. ^ "The south (of India) was then vigorously creative in producing Mahayana Sutras" – Warder, A.K. (3rd edn. 1999). Indian Buddhism: p. 335.
  65. ^ Guang Xing. The Concept of the Buddha: Its Evolution from Early Buddhism to the Trikaya Theory. 2004. pp. 65–66
  66. ^ Akira, Hirakawa (translated and edited by Paul Groner) (1993. A History of Indian Buddhism. Delhi: Motilal Banarsidass: pp. 252, 253
  67. ^ Warder, A.K. Indian Buddhism. 2000. p. 313
  68. ^ Padma, Sree. Barber, Anthony W. Buddhism in the Krishna River Valley of Andhra. SUNY Press 2008, p. 2.
  69. ^ Buddhist Landscapes in Central India: Sanchi Hill and Archaeologies of Religious and Social Change, C. Third Century BC to Fifth Century AD, Julia Shaw, Left Coast Press, 2013 pp. 88ff
  70. ^ Divyāvadāna, pp. 429–434
  71. ^ Indian Historical Quarterly Vol. XXII, pp. 81 ff cited in Hars.407
  72. ^ Elst, Koneraad Ashoka and Pushyamitra, iconoclasts?”. 2017年4月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年1月12日閲覧。
  73. ^ Ashoka and the Decline of the Mauryas by Romila Thapar, Oxford University Press, 1960 p. 200
  74. ^ "Gandhara", Francine Tissot, p. 128: "ガンジス川流域から追放された僧侶たちは、部派によって違いはあろうが、北の道(Uttarapathaもしくは Daksinapatha)を通って移動した。北の道は、ある者にとってはインドの北西部であり、またある者にとっては茫洋とした西洋であり、様々な美術作品がそれぞれの道に残されていた。
  75. ^ Narain, "The Indo-Greeks" 2003, p. 124
  76. ^ Plutarch, Praec. reip. ger. 28, 6
  77. ^ ガンダーラ語を記すための文字で、サンスクリット語と比較して俗語にあたるプラークリット語ガンダーラ語を記している。最古の仏教文献がこの文字で書かれた可能性がある。
  78. ^ Foreign Impact on Indian Life and Culture (c. 326 B.C. to C. 300 A.D.) Satyendra Nath Naskar, Abhinav Publications, 1996, p. 69 [11]
  79. ^ Marshall, "The Buddhist art of Gandhara", p. 101
  80. ^ Standing Buddhas: Image 1 Archived 2013-06-16 at the Wayback Machine., Image 2 Archived 2006-10-21 at the Wayback Machine.
  81. ^ ギリシアの古典彫刻の傑作の一つとも言われる。
  82. ^ The Belvedere Apollo: Image Archived 2014-06-03 at the Wayback Machine.
  83. ^ Full text of the Mahavamsa Click chapter XXIX Archived 2006-09-05 at the Wayback Machine.
  84. ^ Xinru Liu, The Silk Road in World History (New York: Oxford University Press, 2010), 42.
  85. ^ Kurt A. Behrendt, The Buddhist architecture of Gandhara, Handbuch der Orientalistik Brill, 2004, p. 13
  86. ^ Kurt Behrendt, Pia Brancaccio, Gandharan Buddhism: Archaeology, Art, and Texts, 2006 p. 10
  87. ^ "UW Press: Ancient Buddhist Scrolls from Gandhara" Archived 2013-04-08 at WebCite. Retrieved 2008-09-04.
  88. ^ Richard Salomon. Ancient Buddhist Scrolls from Gandhāra: The British Library Kharosthī Fragments, with contributions by Raymond Allchin and Mark Barnard. Seattle: University of Washington Press; London: The British Library, 1999. p. 181
  89. ^ a b c Heirman, Ann; Bumbacher, Stephan Peter (editors). The Spread of Buddhism, Brill, p. 57
  90. ^ Prebish, Charles S. Buddhism: A Modern Perspective, p. 47.
  91. ^ Prebish, Charles S. Buddhism: A Modern Perspective, p. 42.
  92. ^ Indo-Tibetan Buddhism. Snellgrove, David. Shambhala. Boston: 2003. p. 46
  93. ^ Teaching of Vimalakirti, Pali Text Society, p. 93
  94. ^ パーリ語を含むインド・アーリア語の総称。
  95. ^ Buddhism in Central Asia by Baij Nath Puri, Motilal Banarsi Dass Publishers, p. 130
  96. ^ van Bladel, Kevin (2011). "The Bactrian Background of the Barmakids". In Anna Akasoy and Charles Burnett and Ronit Yoeli-Tlalim. Islam and Tibet Interactions along the Musk Routes. Farnham, UK: Ashgate. pp. 43–88. ISBN 978-0754669562
  97. ^ Kurt A. Behrendt, The Buddhist architecture of Gandhara, Handbuch der Orientalistik Brill, 2004, p. 10
  98. ^ Behrent, Kurt. Gandhara, metmuseum.org Archived 2018-04-03 at the Wayback Machine.
  99. ^ a b Harvey, 2012, p. 195.
  100. ^ Warder, A.K. Indian Buddhism. 2000. p. 278
  101. ^ "Khotan – Britannica Online Encyclopedia". Britannica.com.
  102. ^ Silk, Jonathan, The spread of Buddhism in Central Asia. International Institute for Asian Studies, Newsletter No 68, 2014 Archived copy”. 2018年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月5日閲覧。
  103. ^ a b c d e f g h i Kudara, Kogi (2002). “A Rough Sketch of Central Asian Buddhism”. Pacific World: Journal of the Institute of Buddhist Studies 3 (4): 93–107. オリジナルの2018-04-06時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180406102117/http://www.shin-ibs.edu/publications/pacific-world/third-series-number-4-fall-2002/ 2018年4月5日閲覧。. 
  104. ^ 「セリンディア」は、陸路をたどったアジアの東の果てをさすセリカ(Serika)とインド(India)の合成語。
  105. ^ 1840年にイギリス人ジェームズ・プリンセプによるカローシュティー文字の解読が、インドアショーカ王の磨崖碑文の解読につながった。
  106. ^ 言語論理医学美術精神性の5つの全てに通じたインドの僧を称する言葉。
  107. ^ Alexis Sanderson (2009). “The Śaiva Age: The Rise and Dominance of Śaivism during the Early Medieval Period”. In Einoo, Shingo. Genesis and Development of Tantrism. Tokyo: Institute of Oriental Culture, University of Tokyo. pp. 89 
  108. ^ The Gupta Empire by Radhakumud Mookerji p. 133 sq
  109. ^ 論理的な判断規範は、直接経験である現量と推論である比量のみであり、仏陀によって説かれた言葉であること(聖教量)という規範を排した二量説などを唱えた。
  110. ^ Warder, A.K. Indian Buddhism. 2000. p. 442.
  111. ^ Warder, A.K. Indian Buddhism. 2000. p. 442
  112. ^ ギリシャ的要素が排され、インド風の繊細な表現となった。バーミヤン雲崗にグプタ様式が見られる。
  113. ^ Personality of Xuanzang Sanzang
  114. ^ Buddhism in Andhra Pradesh, story of Buddhism: Buddhism in Andhra Pradesh, story of Buddhism”. 2007年3月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年6月27日閲覧。
  115. ^ Vajrayogini: Her Visualization, Rituals, and Forms by Elizabeth English. Wisdom Publications. ISBN 0-86171-329-X p. 15
  116. ^ Warder, A.K. Indian Buddhism. 2000. p. 443.
  117. ^ 密教の宝具。金剛杵(vajra)の半分が三日月型のナイフの形になっている。皮はぎを行う、または輪廻から存在を引き出す、無知を破壊すると考えられている。
  118. ^ 密教の儀式で用いられる髑髏杯。チベット仏教では髑髏に彫刻や装飾が施される。智慧と知識の象徴であり、弟子への知識の伝達を表す。
  119. ^ 音韻とその操作のための技術を含む。
  120. ^ Ray, Reginald A.; Indestructible Truth: The Living Spirituality of Tibetan Buddhism, 2000
  121. ^ 我執を超越した到達者の境地が表現されたタントラ。
  122. ^ Davidson 2002, 345/475.
  123. ^ Sanderson, Alexis. "The Śaiva Age: The Rise and Dominance of Śaivism during the Early Medieval Period." In: Genesis and Development of Tantrism, edited by Shingo Einoo. Tokyo: Institute of Oriental Culture, University of Tokyo, 2009. Institute of Oriental Culture Special Series, 23, p. 124.
  124. ^ Sanderson, Alexis; Vajrayana:, Origin and Function, 1994
  125. ^ チベット仏教ニンマ派による9分類の方法論の1つに挙げられる。英語版w:Yana (Buddhism)#Enumeration of yānas in Mahayana texts参照。
  126. ^ 6世紀に書かれ、現存する最古のインド仏教のタントラと言われている。: Mañjuśrī文殊菩薩を示す。
  127. ^ Sanderson, Alexis. "The Śaiva Age: The Rise and Dominance of Śaivism during the Early Medieval Period." In: Genesis and Development of Tantrism, edited by Shingo Einoo. Tokyo: Institute of Oriental Culture, University of Tokyo, 2009. Institute of Oriental Culture Special Series, 23, pp. 129–131.
  128. ^ Sanderson, Alexis. "The Śaiva Age: The Rise and Dominance of Śaivism during the Early Medieval Period." In: Genesis and Development of Tantrism, edited by Shingo Einoo. Tokyo: Institute of Oriental Culture, University of Tokyo, 2009. Institute of Oriental Culture Special Series, 23, pp. 144–145.
  129. ^ Huber, Toni (2008). The holy land reborn : pilgrimage & the Tibetan Reinvention of Buddhist India. Chicago: University of Chicago Press. pp. 94–95. ISBN 978-0-226-35648-8 
  130. ^ Conze, Edward (1993). A Short History of Buddhism (2nd ed.). Oneworld. ISBN 978-1-85168-066-5 
  131. ^ Conze, 1993, 106
  132. ^ Berzin, Alexander (2000). How Did Tibetan Buddhism Develop?: How Did Tibetan Buddhism Develop?”. 2016年6月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年6月4日閲覧。; Berzin, Alexander (1996). The Spread of Buddhism in Asia: Spread of Buddhism in Asia”. 2016年5月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年6月4日閲覧。
  133. ^ Berzin, Alexander, as above
  134. ^ Berzin, Alexander. Study Buddhism: Study Buddhism – an extensive source of Buddhist teachings”. 2016年5月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年5月28日閲覧。
  135. ^ ティソン・デツェン王の勅命で787年摩訶衍禅師が敦煌より招聘され、792年にチベットにおける仏教の布教が許可された。8世紀末にサムイェー寺においてインド仏教中国仏教の宗論が戦わされ、カマラシーラが率いるインド仏教が勝利を収めた(サムイェー寺の宗論)。797年摩訶衍禅師は敦煌に放逐され、以後チベットにおいてはインド仏教が正統と認定された。
  136. ^ Harvey, 2012, p. 210
  137. ^ Buddhism in China: A Historical Overview”. Saylor.org. 2014年7月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年3月7日閲覧。
  138. ^ Zürcher, Erik. 2007 (1959). The Buddhist Conquest of China: The Spread and Adaptation of Buddhism in Early Medieval China. 3rd ed. Leiden: Brill. pp. 32–34
  139. ^ Williams, Paul. Mahāyāna Buddhism: The Doctrinal Foundations.2008. p. 30
  140. ^ Oh, Kang-nam (2000). The Taoist Influence on Hua-yen Buddhism: A Case of the Sinicization of Buddhism in China. Chung-Hwa Buddhist Journal, No. 13, (2000). Source: [1] (accessed: January 28, 2008) p. 286 Archived March 23, 2010, at the Wayback Machine.
  141. ^ Nattier, Jan. The Heart Sutra: A Chinese Apocryphal Text? Archived 2016-02-11 at Wikiwix. Journal of the International Association of Buddhist Studies Vol. 15 (2), 153–223 (1992).
  142. ^ Crossroads of Asia, p. 209
  143. ^ Harvey, 2012, pp. 215–217.
  144. ^ Jerry Bentley, "Old World Encounters: Cross-Cultural Contacts and Exchanges in Pre-Modern Times" (New York: Oxford University Press, 1993), 81.
  145. ^ Orzech, Charles D. (general editor) (2011). Esoteric Buddhism and the Tantras in East Asia. Brill. p. 4
  146. ^ McRae, John (2003), Seeing Through Zen, The University Press Group Ltd, pp. 13, 18
  147. ^ McRae, John (2003), Seeing Through Zen, The University Press Group Ltd, pp. 13, 19–21
  148. ^ Heng-Ching Shih (1987). Yung-Ming's Syncretism of Pure Land and Chan, The Journal of the International Association of Buddhist Studies 10 (1), p. 117
  149. ^ Harvey, 2012, p. 223
  150. ^ Nan Huai-Chin. Basic Buddhism: Exploring Buddhism and Zen.York Beach: Samuel Weiser. 1997. p. 99.
  151. ^ Stanley Weinstein, "The Schools of Chinese Buddhism," in Kitagawa & Cummings (eds.), Buddhism and Asian History (New York: Macmillan 1987) pp. 257–265, 264.
  152. ^ a b c d Harvey, 2012, p. 224.
  153. ^ Nguyen Tai Thu. The History of Buddhism in Vietnam. 2008.
  154. ^ Prebish, Charles. Tanaka, Kenneth. The Faces of Buddhism in America. 1998. p. 134
  155. ^ 300 to 600 CE: Korea | Asia for Educators | Columbia University”. Afe.easia.columbia.edu. 2012年2月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年3月6日閲覧。
  156. ^ Vermeersch, Sem. (2008). The Power of the Buddhas: the Politics of Buddhism during the Koryŏ Dynasty (918–1392), p. 3.
  157. ^ Harvey, 2012, p. 225.
  158. ^ Dykstra, Yoshiko Kurata; De Bary, William Theodore (2001). Sources of Japanese tradition. New York: Columbia University Press. p. 100. ISBN 0-231-12138-5.
  159. ^ 岩波仏教辞典 1989, p. 893.
  160. ^ 577年、百済の威徳王が、経論、律師、禅師、比丘尼、呪術師、造仏工、造寺工を贈った[159]との記述もある。
  161. ^ a b Harvey, 2012, p. 226.
  162. ^ Powers, John (2000). "Japanese Buddhism". A Concise Encyclopedia of Buddhism. 1. Oxford: Oneworld Publications. pp. 103–107.
  163. ^ 岩波仏教辞典 1989, p. 628.
  164. ^ 南都六宗のうちでは、法相宗三論宗が有力であったとする記述もある。[163]
  165. ^ Harvey, 2012, p. 227.
  166. ^ a b Harvey, 2012, p. 228.
  167. ^ Dobbins, James C. (1998). "Envisioning Kamakura Buddhism". In Payne, Richard K. Re-visioning Kamakura Buddhism Archived 2017-12-30 at the Wayback Machine.. Honolulu: University of Hawai'i Press. ISBN 0824820789.
  168. ^ Kenneth R. Hal (1985). Maritime Trade and State Development in Early Southeast Asia. University of Hawaii Press. p. 63. ISBN 978-0-8248-0843-3.
  169. ^ "Hinduism in Southeast Asia" Archived 2016-12-21 at the Wayback Machine.. Oxford Press. 28 May 2013. Retrieved April 4, 2018.
  170. ^ T'oung Pao: International Journal of Chinese Studies. 1958. p. 185
  171. ^ Higham, C. (2014). Early Mainland Southeast Asia. Bangkok: River Books Co., Ltd., ISBN 978-6167339443.
  172. ^ Drs. R. Soekmono, (1988) [First published in 1973]. Pengantar Sejarah Kebudayaan Indonesia 2, 2nd ed. Yogyakarta: Penerbit Kanisius. p. 37.
  173. ^ Jerry Bentley, Old World Encounters: Cross-Cultural Contacts and Exchange in Pre-Modern Times (New York: Oxford University Press, 1993), 72.
  174. ^ W., T. (1897). "Review of A Record of the Buddhist Religion, as Practised in India and the Malay Archipelago (A.D. 671–695), I-Tsing" Archived 2018-05-11 at the Wayback Machine.. Journal of the Royal Asiatic Society of Great Britain and Ireland: 358–364.
  175. ^ Jerry Bently, 'Old World Encounters: Cross-Cultural Contacts and Exchanges in Pre-Modern Times (New York: Oxford University Press, 1993), 72.
  176. ^ Jerry Bently, 'Old World Encounters: Cross-Cultural Contacts and Exchanges in Pre-Modern Times (New York: Oxford University Press, 1993), 73.
  177. ^ Munoz, Paul Michel (2006). Early Kingdoms of the Indonesian Archipelago and the Malay Peninsula. Singapore: Editions Didier Millet. ISBN 981-4155-67-5.
  178. ^ a b Skilling, Peter, The Advent of Theravada Buddhism to Mainland South-east Asia https://journals.ub.uni-heidelberg.de/index.php/jiabs/article/viewFile/8854/2761
  179. ^ Gombrich, Richard Francis. Theravāda Buddhism: A Social History. 1988. p. 3
  180. ^ Lieberman, Victor B (2003). Strange Parallels: Southeast Asia in Global Context, C. 800–1830, Volume 1: Integration on the Mainland. Cambridge University Press. pp. 115–116. ISBN 978-0-521-80496-7.
  181. ^ Myint-U, Thant (2006). The River of Lost Footsteps – Histories of Burma. Farrar, Straus and Giroux. ISBN 978-0-374-16342-6. pp. 64–65
  182. ^ Taw, Sein Ko (1892). The Kalyani Inscriptions Erected by King Dhammaceti at Pegu: Text and Translation (PDF) Archived 2012-10-22 at the Wayback Machine.. Rangoon: The Superitendant, Government Printing, Burma. iv–v
  183. ^ Gyallay-Pap, Peter. "Notes of the Rebirth of Khmer Buddhism," Radical Conservativism.
  184. ^ Cœdès, George (1968). Walter F. Vella, ed. The Indianized States of Southeast Asia. trans. Susan Brown Cowing. University of Hawaii Press. ISBN 978-0-8248-0368-1.
  185. ^ Harvey, 2012, p. 376
  186. ^ Bhagwat, Ramu (2001年12月19日). “Ambedkar memorial set up at Deekshabhoomi”. Times of India. http://articles.timesofindia.indiatimes.com/2001-12-19/mumbai/27228796_1_dr-ambedkar-narayanan-smarak-samiti 2013年7月1日閲覧。 
  187. ^ Harvey, 2012, p. 377
  188. ^ 杉本 2012, p. 298.
  189. ^ テーラ(Thera)は「長老」の意。
  190. ^ a b c Harvey, 2012, p. 378.
  191. ^ 川島 2002, p. 167.
  192. ^ Harvey, 2012, p. 379.
  193. ^ Harvey, 2012, p. 398.
  194. ^ Harvey, 2012, p. 394.
  195. ^ Pranke, Patrick. On saints and wizards, Ideals of human perfection and power in contemporary Burmese Buddhism
  196. ^ Harvey, 2012, p. 395.
  197. ^ Harvey, 2012, p. 385.
  198. ^ a b Harvey, 2012, p. 397.
  199. ^ 1993年に立憲君主制に移行してからは、国王を選挙する9人の王室評議会のメンバーのうち2人が上座部仏教から出される体制となっている。
  200. ^ a b Harvey, 2012, p. 403.
  201. ^ 明治5年4月25日太政官布告133号。
  202. ^ Harvey, 2012, p. 409.
  203. ^ 従来の仏教にある神格化の側面を否定し、「人間」(霊)と「生命」(礼拝や儀式)の側面に重点を置いた仏教の考え方。
  204. ^ Harvey, 2012, p. 409–410
  205. ^ Harvey, 2012, p. 412
  206. ^ Clark, Donald N. (2000). Culture and customs of Korea. Greenwood Publishing Group. ISBN 978-0-313-30456-9.
  207. ^ a b c Harvey, 2012, p. 414.
  208. ^ インドに亡命政府を樹立した。
  209. ^ a b Harvey, 2012, p. 417.
  210. ^ NUPI – Centre for Russian Studies
  211. ^ 現在は、ロシア連邦カルムイク共和国となっている。宗教の融和策をとるキルサン・イリュムジーノフ大統領の時代(1993年 - 2010年)に仏教の復興が見られ、2004年にはダライ・ラマ14世カルムイク共和国を訪問した。
  212. ^ "80th anniversary of Das Buddhistische Haus in Berlin – Frohnau, Germany". Daily News (Sri Lanka). April 24, 2004.
  213. ^ Harvey, 2012, 420.
  214. ^ Harvey, 2012, 422.
  215. ^ Harvey, 2012, 421.
  216. ^ Harvey, 2012, 424.
  217. ^ Harvey, 2012, 426.
  218. ^ Harvey, 2012, 432.
  219. ^ ニンマ派カギュ派サキャ派ゲルク派の4派のこと。
  220. ^ Harvey, 2012, 437.
  221. ^ Harvey, 2012, 437–438
  222. ^ Adherents.com estimates twenty million for "Lamaism (Vajrayana/Tibetan/Tantric)." http://www.adherents.com/adh_branches.html#Buddhism Archived 2017-08-03 at the Wayback Machine.
  223. ^ Fronsdal, Gil (1998). "Insight Meditation in the United States: Life, Liberty, and the Pursuit of Happiness," Archived 2014-03-27 at the Wayback Machine. in C.S. Prebish & K.K. Tanaka (1998), The Faces of Buddhism in America, University of California Press.
  224. ^ ミャンマーのレディ・サヤドーの瞑想法が、ミャンマー人ウ・バ・キンによってインドに伝えられ、1976年にヴィパッサナー国際瞑想アカデミーが設立されたとの記述もある(ヴィパッサナー瞑想)
  225. ^ Harvey, 2012, p. 449.
  226. ^ Harvey, 2012, p. 451.
  227. ^ Harvey, 2012, pp. 454, 456
  228. ^ Harvey, 2012, p. 456
  229. ^ Harvey, 2012, p. 457.





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  仏教の歴史のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「仏教の歴史」の関連用語

仏教の歴史のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



仏教の歴史のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの仏教の歴史 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS