スリランカにおける仏教の成立
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「仏教の歴史」の記事における「スリランカにおける仏教の成立」の解説
詳細は「スリランカの仏教」および「ミャンマーの仏教」を参照 「ディーパワンサ」などのスリランカの年代記では、アショーカ王の息子マヒンダ(巴: Mahinda)が紀元前2世紀にスリランカのあるセイロン島に仏教をもたらしたことが記されている。加えて、アショーカ王の娘サンガミッタ(英語版)(Sanghamitta、巴: Saṅghamitta)は、ビクニ(比丘尼、巴: bhikkhunī)と呼ばれる尼僧修道会を設立し、仏陀が成道したブッダガヤの菩提樹の苗木をもたらしアヌラーダプラに植樹した。マヒンダとサンガミッタはスリランカの上座部仏教の伝説的な創始者とみなされている。 彼らは、デーヴァナンピヤ・ティッサ(英語版)王(Devanampiya Tissa、紀元前307年 - 紀元前267年)をはじめ、他の多くの上流身分の者たちを仏教に改宗させたといわれている。 最初の仏教建築はヴァサバ(英語版)王(Vasabha、紀元前109年 - 紀元前69年、第1ランバカンナ朝(英語版))の時代にさかのぼる。古代のスリランカにおける主な仏教寺院や学院は、アヌラーダプラ大僧院(大寺、巴: Mahāvihāra)、アバヤギリヴィハーラ(英語版)(無畏山寺、巴: Abhayagiri vihāra)、およびジェータヴァナ(祇多林寺、巴: Jetavana)である。パーリ仏典は、戦争や飢饉が起こっても仏教の教えが保存されるよう、紀元前1世紀に書かれた。パーリ仏典は、中期インド・アーリア語群(英語版)(Middle Indo-Aryan languages)において完全な形で現存する唯一の仏典である。パーリ仏典は、アヌラーダプラ大僧院学派の伝統が反映されている。ブッダゴーサ(仏音(ぶっとん)、巴: Buddhaghosa、4世紀 - 5世紀)やダンマパーラ(護法、巴: Dhammapāla)など、後の上座部仏教におけるアヌラーダプラ大僧院派のパーリ語注釈者により、スリランカの伝統的仏典注釈書アッタカター(巴: Aṭṭhakathā)が体系化された。 スリランカでは、アバヤギリヴィハーラ(英語版)寺院やジェータヴァナ寺院において大乗仏教が学ばれており、大乗仏教にも一定の影響があったが、パラークラマ・バーフ1世(英語版)(Parakramabahu I。在位1153年 - 1186年)はアバヤギリヴィハーラとジェータヴァナの影響を廃したため、アヌラーダプラ大僧院派が支配的なものとなった。
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