スリランカにおける伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/14 06:12 UTC 版)
スリランカの年代記であるマハーワンサとディーパワンサには、満月の夜、祭りの日にスリランカに到着したマヒンダを歓迎する宴が開かれた際の伝説が残されている。その伝説によると、狩猟のためにミヒンタレーまで遠征していたアヌラーダプラ王国のデヴァーナンピヤティッサ王の前に、頭を剃りあげた姿のマヒンダが現れた。当時、アショーカ王とデヴァーナンピヤティッサ王は非常に緊密な関係にあり、マヒンダとも何度か会ったことがあったが、マヒンダの出家姿を見て非常に驚き、最初は誰なのかわからなかった。挨拶を交わしたのちマヒンダはスートラを開き、王家の狩りの宴の中で仏教の教えが語られた。マヒンダら一行はのちにアヌラーダプラへも招かれ、宮中の宴でも一行は法(ダルマ)を説いた。 その後も彼は王宮と庭園(ナーランダー庭園)で説話を行うことを国王に認められ、ここからスリランカ仏教の布教が始まった。この時使用されたマハーメガ庭園にはマヒンダの弟子らが暮らすようになり、のちに初期スリランカ仏教の中心となった。 その後、マヒンダはサンガに加わりたいという女性の仏教徒らのために姉妹で尼であるサンガミッターをスリランカに呼び寄せ、その際にブッダガヤから菩提樹の枝木をスリランカに持参させた。その後、マヒンダはミヒンタレーに戻りその地に王国第二の僧院を建設した。加えて、その僧院に仏塔を建設し、マウリヤ朝から仏舎利を取り寄せた。 マヒンダはデヴァーナンピヤティッサ王の死後も80歳まで生き、スリランカで死没したと伝えられている。デヴァーナンピヤティッサ王の息子、ウッティヤ王はマヒンダのために国葬を執り行い、ミヒンタレーに彼の遺物を収容するための仏塔を建設した。
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