みなもと‐の‐よりまさ【源頼政】
源頼政
源頼政
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/25 07:37 UTC 版)
源 頼政(みなもと の よりまさ)は、平安時代末期の武将・公卿・歌人。兵庫頭源仲政の長男。清和源氏としては初めて従三位に叙せられた。後世においても、源三位(げんざんみ)の通称が伝わる(同時代的に「源三位」と称された人物は頼政に限らない)。また、父と同じく「馬場」を号とし馬場頼政(ばば の よりまさ)ともいう。
注釈
- ^ 『平家物語』「御輿振」は安元の強訴で頼政が縫殿の陣(朔平門)を守ったとするが、九条兼実は「神輿を射る事、武士の不覚なり。先年成親卿の事に依り、大衆参陣の時、左衛門の陣方、頼政これを禦ぐと雖も、大衆軍陣を敗る能はず、又濫吹を出さず、事の謂はれその人勢今度の万分の一に及ぶべからず」[2]と記している。これにより頼政が、嘉応元年(1169年)の嘉応の強訴で左衛門の陣(建春門の付近)を守っていたことが確認できる。一方、『玉葉』を見る限り頼政が安元の強訴に出動していたかは定かでなく、「御輿振」のエピソードは嘉応の強訴での活躍を元にした創作の可能性がある。
- ^ 『平家物語』では、享年74とする。
- ^ 野口実『武門源氏の血脈』(中央公論新社、2012年)や呉座勇一が唱えている。
出典
- ^ 元木泰雄『保元・平治の乱を読み直す』(日本放送出版協会、2004年)
- ^ 『玉葉』4月19日条
- ^ 上横手雅敬『平家物語の虚構と真実』講談社、1973年。
- ^ a b 上杉和彦 2007, p. 24–25.
- ^ 関幸彦 2004, p. 44.
- ^ 河内祥輔 2007, p. 189–198, 204–207.
- ^ 石川忠久『漢詩人 大正天皇 - その風雅の心』(大修館書店、2009年)p.95
- ^ “源平合戦の幕開け! なぜ以仁王と源頼政は挙兵するに至ったのか?”. 現代ビジネス (2022年1月24日). 2022年1月24日閲覧。
- ^ “源氏あやめ祭”. 伊豆の国市. 2012年2月22日閲覧。
- ^ “校区の概要・学校の沿革”. 東広島市立原小学校. 2012年2月22日閲覧。
- ^ 『公式観光ガイド 東広島ちょこっと旅』 (公益社団法人東広島市観光協会 2017年) 19頁、47頁
源頼政
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/19 06:21 UTC 版)
平氏全盛の世、源氏でありながら平治の乱の時、牛若丸の父である源義朝を見限り、平氏に属した武士。清盛に仕え、並の武士では到底不可能な出世を果たした老人である。平氏に仕えてはいるが、平氏に心服しているわけではない。そのことを清盛も薄々感づいているようである。
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