菖蒲塚古墳
菖蒲塚古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 03:41 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動菖蒲塚古墳 | |
---|---|
所在地 | 新潟県新潟市西蒲区竹野町字菖蒲 |
位置 | 北緯37度46分1.15秒 東経138度51分56.56秒 / 北緯37.7669861度 東経138.8657111度座標: 北緯37度46分1.15秒 東経138度51分56.56秒 / 北緯37.7669861度 東経138.8657111度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 | 墳丘長53m |
史跡 | 国の史跡「菖蒲塚古墳」 |
有形文化財 | 鼉龍鏡(新潟県指定文化財) |
特記事項 | 日本海側沿岸部最北端の前方後円墳 |
地図 |
菖蒲塚古墳(あやめづかこふん)は、新潟県新潟市西蒲区竹野町にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定され、鼉龍鏡は新潟県指定有形文化財に指定されている。
概要
角田山東麓の台地先端部にある[1]。本古墳は菖蒲山金仙寺境内に所在し、その周辺は「越王」(こしわ)と通称されている所である。 全長53メートル、後円部径33メートル、同高さ3メートルで、前方部高さ2メートルと後円部より前方部が低い。 新潟県内では最大クラスである[1]。日本海側で最北端に位置する柄鏡形の古式前方後円墳であり、1930年(昭和5年)に国の史跡に指定された。
内部主体は明らかでない。石室を有しない木棺直葬ではなかったかと推定されている。
沿革
当古墳の最も古い資料としては1812年(文化9年)刊行の「北越奇談」で、盗掘され、鏡が出土したことが記されている。その鏡と伝えられている鼉竜鏡(だりゅうきょう)が新潟県の有形文化財に指定されている。径22.7センチメートル、仿製鏡(ぼうせいきょう)[2]で、古墳時代前期のものと推定されている。 言い伝えにより、古墳の中には源頼政の妻菖蒲御前が葬られた墓とされている。また、隣接する隼人塚古墳には、家臣である猪隼太の墓とされた(古墳の造成時期は、当該古墳と同時期と考えられている。)
2002年・2003年に古墳の範囲の確認のために巻町教育委員会が調査を行い、その結果、緩やかな傾斜を持つ台地の上に全体の形を設計した後、周囲に溝を掘り、その際に出た土などで盛り上げて作られた墓であることが判明[1]。その際、土質の異なる土を交互に盛るなどして強化する工夫がなされた[1]。
経塚
当古墳の墳丘上には、平安時代から室町時代にかけて経塚が営まれている。経塚から出土した銅製経筒、陶製壺、銅鏡等の遺物は「越後国菖蒲塚古墳経塚出土品」として1962年(昭和37年)に国の重要文化財(考古資料)に指定されている(金仙寺蔵)。
出土品
- 壺
- 溝から発見[1]。古墳の上から転落したと考えられる[1]。壺の特徴から、古墳時代前期の後半に作られたことが明らかになった[1]。
- 銅鏡
- 江戸時代に出土しただ龍鏡[1]。直径23.7センチメートルで新潟県内では最大の鏡である[1]。新潟県の有形文化財に指定されている。個人蔵(東京国立博物館に寄託)。
- 勾玉・管玉
- 新潟市歴史博物館に保管されている。勾玉(長さ2.3センチメートル)はヒスイ製で1点、碧玉製管玉(長さ1.7~3.4センチメートル)は7点。古墳の後円部の埋葬室内に副葬品として納められていた。国の重要文化財「越後国菖蒲塚古墳経塚出土品」の附(つけたり)指定。
文化財
国の史跡
- 菖蒲塚古墳 - 1930年(昭和5年)4月25日指定[3]。
新潟県指定文化財
関連文化財
- 越後国菖蒲塚古墳経塚出土品 一括
- 国の重要文化財(考古資料)。所有者は金仙寺、新潟市歴史博物館保管。1962年(昭和37年)2月2日指定[5][4]。
- 平安時代に菖蒲塚古墳上で営まれた経塚からの出土品(附指定の一部は菖蒲塚古墳出土品)。内訳は以下。
- 銅経筒 1口 - 賀應二年三月十一日在銘。
- 陶製壺 2口
- 銅鏡 残闕共 5面分
- 青白磁小壺 1口
- 青白磁盒子 1合
- (附指定)
- 銅経筒残闕 1口分 - □(亨)禄三天七月廿三日在銘。
- 硬玉勾玉 1箇、碧玉管玉 7箇 - 菖蒲塚古墳出土。
脚注
関連項目
- 山谷古墳 - 近隣に位置する古墳
- 観音山古墳 (新潟市) - 近隣に位置する古墳
- 金仙寺 (新潟市)
外部リンク
- 菖蒲塚古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- 国指定史跡 菖蒲塚古墳 - 新潟市
菖蒲塚古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 14:54 UTC 版)
菖蒲塚古墳(あやめづかこふん)は、方墳。1983年度(昭和58年度)に試掘調査が実施されている。 墳形は方形で、東西32.3メートル・南北32.0メートル、高さ5.1メートルを測り、聖塚古墳に比べて一回り小さい規模になる。墳丘は2段築成。墳丘表面では葺石・円筒埴輪列(朝顔形埴輪含む、体部外面に黒斑)が認められる。墳丘南側では造出が認められており、造出を含めた墳丘長は38.0メートルを測る。造出はその基部に台状の張り出しを伴う特異な2重形態であり、聖塚古墳とは様相を異にする。主体部の埋葬施設は明らかでない。以上より、築造時期は聖塚古墳と同様の古墳時代中期の5世紀前半頃と推定される(聖塚古墳に先行か)。
※この「菖蒲塚古墳」の解説は、「聖塚・菖蒲塚古墳」の解説の一部です。
「菖蒲塚古墳」を含む「聖塚・菖蒲塚古墳」の記事については、「聖塚・菖蒲塚古墳」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- 菖蒲塚古墳のページへのリンク