菖蒲塚古墳とは? わかりやすく解説

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菖蒲塚古墳

名称: 菖蒲塚古墳
ふりがな あやめづかこふん
種別 史跡
種別2:
都道府県 新潟県
市区町村 新潟市
管理団体 新潟市(昭5・10・4)
指定年月日 1930.04.25(昭和5.04.25)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 前方円型古墳ニシテ松林中ニアリ略々南西ニ面シ前方部高サ九尺後円部高サ十尺主軸ノ長サ約百五十九尺旧規完存シ越後地方ニ於ケル前方円型墳中最モ形体ノ整ヒタルモノナリ約百年前後円部ノ頂上ニアル経塚発掘シテ経筒古鏡等ヲ発見セリ
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菖蒲塚古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 03:41 UTC 版)

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菖蒲塚古墳
所在地 新潟県新潟市西蒲区竹野町字菖蒲
位置 北緯37度46分1.15秒 東経138度51分56.56秒 / 北緯37.7669861度 東経138.8657111度 / 37.7669861; 138.8657111座標: 北緯37度46分1.15秒 東経138度51分56.56秒 / 北緯37.7669861度 東経138.8657111度 / 37.7669861; 138.8657111
形状 前方後円墳
規模 墳丘長53m
史跡 国の史跡「菖蒲塚古墳」
有形文化財 鼉龍鏡(新潟県指定文化財)
特記事項 日本海側沿岸部最北端の前方後円墳
地図
菖蒲塚古墳
菖蒲塚古墳
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前方後円墳の北限・南限
1:角塚古墳(太平洋側北限)
2:坊主窪1号墳(日本海側内陸部北限)
3:菖蒲塚古墳(日本海側沿岸部北限)
4:塚崎51号墳(南限)

菖蒲塚古墳(あやめづかこふん)は、新潟県新潟市西蒲区竹野町にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定され、鼉龍鏡は新潟県指定有形文化財に指定されている。

概要

角田山東麓の台地先端部にある[1]。本古墳は菖蒲山金仙寺境内に所在し、その周辺は「越王」(こしわ)と通称されている所である。 全長53メートル、後円部径33メートル、同高さ3メートルで、前方部高さ2メートルと後円部より前方部が低い。 新潟県内では最大クラスである[1]日本海側で最北端に位置する柄鏡形の古式前方後円墳であり、1930年(昭和5年)に国の史跡に指定された。

内部主体は明らかでない。石室を有しない木棺直葬ではなかったかと推定されている。

沿革

当古墳の最も古い資料としては1812年(文化9年)刊行の「北越奇談」で、盗掘され、鏡が出土したことが記されている。その鏡と伝えられている鼉竜鏡(だりゅうきょう)が新潟県の有形文化財に指定されている。径22.7センチメートル、仿製鏡(ぼうせいきょう)[2]で、古墳時代前期のものと推定されている。 言い伝えにより、古墳の中には源頼政の妻菖蒲御前が葬られた墓とされている。また、隣接する隼人塚古墳には、家臣である猪隼太の墓とされた(古墳の造成時期は、当該古墳と同時期と考えられている。)

2002年2003年に古墳の範囲の確認のために巻町教育委員会が調査を行い、その結果、緩やかな傾斜を持つ台地の上に全体の形を設計した後、周囲に溝を掘り、その際に出た土などで盛り上げて作られた墓であることが判明[1]。その際、土質の異なる土を交互に盛るなどして強化する工夫がなされた[1]

経塚

当古墳の墳丘上には、平安時代から室町時代にかけて経塚が営まれている。経塚から出土した銅製経筒、陶製壺、銅鏡等の遺物は「越後国菖蒲塚古墳経塚出土品」として1962年(昭和37年)に国の重要文化財(考古資料)に指定されている(金仙寺蔵)。

出土品

鼉龍鏡(新潟県指定文化財)
東京国立博物館展示。
溝から発見[1]。古墳の上から転落したと考えられる[1]。壺の特徴から、古墳時代前期の後半に作られたことが明らかになった[1]
銅鏡
江戸時代に出土しただ龍鏡[1]。直径23.7センチメートルで新潟県内では最大の鏡である[1]。新潟県の有形文化財に指定されている。個人蔵(東京国立博物館に寄託)。
勾玉・管玉
新潟市歴史博物館に保管されている。勾玉(長さ2.3センチメートル)はヒスイ製で1点、碧玉製管玉(長さ1.7~3.4センチメートル)は7点。古墳の後円部の埋葬室内に副葬品として納められていた。国の重要文化財「越後国菖蒲塚古墳経塚出土品」の附(つけたり)指定。

文化財

国の史跡

  • 菖蒲塚古墳 - 1930年(昭和5年)4月25日指定[3]

新潟県指定文化財

  • 有形文化財
    • 鼉龍鏡 越後国菖蒲塚古墳出土 1面(考古資料) - 東京国立博物館寄託。1962年(昭和37年)3月29日指定[4]

関連文化財

  • 越後国菖蒲塚古墳経塚出土品 一括
    国の重要文化財(考古資料)。所有者は金仙寺、新潟市歴史博物館保管。1962年(昭和37年)2月2日指定[5][4]
    平安時代に菖蒲塚古墳上で営まれた経塚からの出土品(附指定の一部は菖蒲塚古墳出土品)。内訳は以下。
    • 銅経筒 1口 - 賀應二年三月十一日在銘。
    • 陶製壺 2口
    • 銅鏡 残闕共 5面分
    • 青白磁小壺 1口
    • 青白磁盒子 1合
    • (附指定)
      • 銅経筒残闕 1口分 - □(亨)禄三天七月廿三日在銘。
      • 硬玉勾玉 1箇、碧玉管玉 7箇 - 菖蒲塚古墳出土。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f g h i 新潟市の遺跡 新潟市発行”. 新潟市域の遺跡一覧表7(遺跡番号601から700まで). 新潟市. 2020年7月24日閲覧。
  2. ^ 中国鏡を摸して、国内で製作した鏡
  3. ^ 菖蒲塚古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  4. ^ a b 新潟県の文化財一覧 (PDF) (新潟県ホームページ)。
  5. ^ 越後国菖蒲塚古墳経塚出土品 - 国指定文化財等データベース(文化庁

関連項目

外部リンク


菖蒲塚古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 14:54 UTC 版)

聖塚・菖蒲塚古墳」の記事における「菖蒲塚古墳」の解説

菖蒲塚古墳(あやめづかこふん)は、方墳1983年度昭和58年度)に試掘調査実施されている。 墳形方形で、東西32.3メートル南北32.0メートル、高さ5.1メートルを測り、聖塚古墳比べて一回り小さ規模になる。墳丘2段築成。墳丘表面では葺石円筒埴輪列(朝顔形埴輪含む、体部外面黒斑)が認められる墳丘南側では造出認められており、造出含めた墳丘長は38.0メートル測る造出はその基部台状張り出しを伴う特異な2重形態であり、聖塚古墳とは様相異にする主体部埋葬施設明らかでない。以上より築造時期聖塚古墳同様の古墳時代中期5世紀前半頃と推定される聖塚古墳先行か)。

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