古沢太穂とは? わかりやすく解説

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古沢太穂

古沢太穂の俳句

一つください小さき手へ今年舞う
思わしくない」などまだ無心蝌蚪とりに
あめっこ市林火に買いたき咳あめも
うしろ手が楽ですともう石榴たわわ
とまれ古稀夏大根の曳く辛み
ぶだう苗寸土に植ゑて子とゐる日
やつにも注げよ北風が吹きあぐ縄のれん
ロシア映画みてきて冬のにんじん太し
一夜凉し山湖が音を断つ家に
三の酉おかめの笑みで四十路で
二人子よ夜寒の枕寄せねむり
二月北さすB寝台に小ごえまだ
五月来る朝日半円に土管の影
代々木踏切越す老優と咳落し
仰向けに寐る猫木犀林散るよ
倒れし稲茎の枯色重ね曇る
冬蕪の真つ白な尻積みあげゆく
冬雲の大きしじまに歩み入る
初すずめ一合の酒冷すまじ
十あまりや別に置かれし日焼茄子
十軒あまりの闇市の裏冬田なす
千鳥も老いも夜明けの素足九十九里
午前の秋風山荘ぬけて草の絮
午前充つ午後はだか寐す誕生日
啄木忌春田へ灯す君らの寮
夜へ声ひき焼藷や過ぐ銀座裏
夢に芹摘み溜めており寒に入る
妻の掌のわれより熱し初螢
孤児たちに映画くる日や燕の天
実の向日葵少年グローブに油ぬる
寒すみれ地球がゆるぶねと瞠る
寒の背負い元号を負う謂れなし
寒鮒にそへあたたかき飯なりき
小さく握れり粉雪慣いの塩むすび
山吹や写真羽織の白樺派
島も詩も朝寒むわれと身じろがず
工場地帯へ虻が先ゆく運河わたる
幸と言うか土用の梅をわずかに干し
怒濤まで四五枚の田が冬の旅
故旧忘れ得べきやメーデーあとの薄日焼
日本海見し日の短か波郷の忌
書棚混み霧笛の近く十二月
本漁ればいつも青春肩さむし
枇杷の花くりやの石に日がさして
桐の花湯上りの子は栗のように
歩を倦まぬ象と子らの頭終戦日
歯こまかき子の音朝餉のきうり漬
江東区は存して秋の雨波紋
海にも降り良寛母の墓粉雪
炉を囲み顔面土器に似るは誰ぞ
 

古沢太穂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/15 14:20 UTC 版)

古沢 太穂(ふるさわ たいほ、1913年大正2年)8月1日 - 2000年平成12年)3月2日)は、俳人。本名は古沢 太保(ふるさわ たもつ)。「道標」主宰、新俳句人連盟会長、現代俳句協会顧問を歴任。第12回多喜二・百合子賞受賞。

略歴

富山県上新川郡大久保町(現・富山市)生まれ。生家は料理屋兼芸妓置屋。幼くして父を失い、一家は東京から横浜へ。法政大学商業学校(現在の法政大学中学校・高等学校)を経て、1938年東京外国語学校(現在の東京外国語大学)専修科ロシヤ語学科卒業[1]。その後結核のため療養生活に入る。療養所で俳句を勧められ、1940年、「馬酔木」を購読。のち加藤楸邨の「寒雷」創刊とともに参加。

戦後1947年赤城さかえらと同人誌「沙羅」を創刊。秋元不死男の推薦で新俳句人連盟に参加[2]、同連盟の中央委員長(後会長と改称)を長く務める。その後、顧問。1951年、職場の俳句サークルを母体として同人誌「道標」を創刊。1972年、「沙羅」と「道標」を合併して「道標」を太穂主宰誌とする。そのほか、1956年に秋元不死男、小林康治らとともに横浜俳話会を発足した。

1980年、句集『捲かるる鴎』で第12回多喜二・百合子賞を受賞、1983年、第32回横浜文化賞受賞[3]

その作風は変革の抒情ともいうべきものであるが、太穂自身は「自然流」としている。またスローガン的な俳句とは異なる、社会の矛盾を突きつつも人間味のある句を作った[4]根岸森林公園(横浜市中区)には、1983年作の「少年どち若葉染みに来くつわ展」の句碑(古澤太穂句碑建立委員会、1986年)がある[5]

1990年、現代俳句協会顧問に就任[6]

2000年3月2日、肺炎のため86歳で死去。

人物

句集、著作

  • 『三十代』神奈川県職場俳句協議会、1950年
  • 『古沢太穂句集』現代書房、1955年
  • 『火雲』現代俳句協会、1982年
  • 『捲かるる鴎』竹頭社、1979年
  • 『捲かるる鴎』新日本文庫、1983年(解説:松田ひろむ
  • 『古沢太穂-花神コレクション〈俳句〉』花神社、1993年
  • 『うしろ手』新俳句人連盟、1995年
  • 『古沢太穂全集』新俳句人連盟、2013年
  • 『古沢太穂全集 補遺 戦後俳句の社会史』新俳句人連盟、2015年

脚注・出典

  1. ^ 『古沢太穂全集』(新俳句人連盟)「古沢太穂年表」953頁。
  2. ^ 『古沢太穂全集』(新俳句人連盟)「古沢太穂年表」954頁。
  3. ^ 第62回神奈川文化賞・スポーツ賞贈呈式」『神奈川県』。
  4. ^ 武田伸一 「古沢太穂」 金子兜太編 『現代の俳人101』 新書館、2004年、116-117頁。
  5. ^ 安藤今朝吉「古澤太穂句碑」『市民グラフヨコハマ』第116号、2001年6月、14頁。
  6. ^ 『古沢太穂全集』年表、961頁。
  7. ^ 月刊『俳句人』1993年11月号「特集・板垣好樹追悼」より。
  8. ^ 『俳句人叢書26 望月たけし 氷平線』(新俳句人連盟)著者略歴より。
  9. ^ 「近現代俳人系統図」[『新版・俳句歳時記(第三版)』(雄山閣)の別刷り]ほかによる。
  10. ^ 「70周年祝賀会」『俳句人』2017年2月号、p4-7。

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