古沢勘兵衛とは? わかりやすく解説

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古沢勘兵衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/17 15:09 UTC 版)

古沢 勘兵衛 (ふるさわ かんべえ、1902年(明治35年)1月10日[1] - 1973年(昭和48年)5月2日)は、日本柔道家講道館9段、大日本武徳会教士[2])。元朝鮮総督府柔道教官。


注釈

  1. ^ 大会後、古沢について工藤は「武専の塙団右衛門とは聞いていたが、聞きしに勝る怪力の持ち主」と感嘆していたという[4]
  2. ^ 古沢と同じタイミングで9段に昇段したのは、鯨岡喬、山中良一、林岩三、大島耐二、高橋秀山の5氏[9]
  3. ^ 1953年(昭和28年)に第2回全国高校柔道大会が地元・栃木県の日光市で開催された折、古沢は久し振りに旧友に会えるだろうと珍しく試合会場に顔を出している。この時、かつて接戦を繰り広げた工藤一三と肩を抱きながら懐かしがっていたという[6]
  4. ^ 栃木県鹿沼市で行われた柔道大会に顔を出し、依田徳蔵と再会し多いに語らったという[5]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad 『柔道名鑑』「名鑑」「八段の部」「は」「八段 古沢勘兵衛」P53 - 国立国会図書館デジタルコレクション 2024年4月17日、国会図書館デジタルコレクション デジタル化資料個人送信サービスにて閲覧。
  2. ^ 野間清治 (1934年11月25日). “柔道教士”. 昭和天覧試合:皇太子殿下御誕生奉祝、810頁 (大日本雄弁会講談社) 
  3. ^ a b c d e 工藤雷介 (1965年12月1日). “八段の部 古沢勘兵衛”. 柔道名鑑、53頁 (柔道名鑑刊行会) 
  4. ^ a b c d e f g h くろだたけし (1984年12月20日). “名選手ものがたり62 古沢勘兵衛9段 -塙団右衛門の異名をとった怪力の持ち主-”. 近代柔道(1984年12月号)、66頁 (ベースボール・マガジン社) 
  5. ^ a b c d e 『柔道』22(1) 「朝鮮の追想」依田德藏 P20 - 国立国会図書館デジタルコレクション 2024年4月12日、国会図書館デジタルコレクション デジタル化資料個人送信サービスにて閲覧。
  6. ^ a b c 工藤雷助 (1973年5月25日). “昭和初期の“十傑””. 秘録日本柔道、164頁 (東京スポーツ新聞社) 
  7. ^ a b c d 『写真解説 講道館柔道 附録 全日本柔道 高段者名鑑 昭和三十一年度版』講道館 編「全日本柔道高段者名鑑 昭和三十一年三月三十日現在」「八段【栃木県】」「古沢勘兵衛」P2 - 国立国会図書館デジタルコレクション 2024年4月13日、国会図書館デジタルコレクション デジタル化資料個人送信サービスにて閲覧。
  8. ^ a b 『柔道』34(8)「各地区だより」「栃木県」「一、人事消息」P23 - 国立国会図書館デジタルコレクション 2024年4月17日、国会図書館デジタルコレクション デジタル化資料個人送信サービスにて閲覧。
  9. ^ a b 香川弘 (1968年7月1日). “新九段の横顔”. 機関誌「柔道」(1968年7月号)、20頁 (財団法人講道館) 


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