父はやく死にしあと母風の盆
作 者 |
|
季 語 |
|
季 節 |
秋 |
出 典 |
|
前 書 |
|
評 言 |
おわら風の盆は越中八尾町で9月1日から3日まで行われる。それは虫送りの行事から始まったとも、二百十日の風を鎮めるためともいわれている。 五木寛之、高橋治の小説や、石川さゆりの『風の盆恋歌』で全国に知られるようになった。 わが師、古沢太穂は八尾から一山越した隣町の富山県上新川郡大久保町で生まれ育った。「山を越して歩いて風の盆に行ったことがあった」と聞いたことがある。その大沢野町は神通川沿い、カドミニウム汚染で公害の原点となった。 太穂先生は小学生の時に父を失い、長男として母を連れて上京、横浜などを転々とすることとなった。 この句は何も語らずに「父はやく死にしあと母」と「母」に焦点をしぼって、感慨深い。風の盆の哀愁のリズムを背景に、母の人生をさまざまに思わせる。 手指もて尽す差し引き盆流し カドミ田のいずれへ瀬音風の盆 も、掲出の句と同じく1979年に帰郷しての作品。 近年は「風の盆俳句大会」なども開催されるようになったが、この句は「風の盆」の句として深くこころに沁みる。 なお、八尾も大久保町の後身の大沢野町も今年、合併して富山市の一部となった。 画像:「越中八尾観光協会1990年ポスター」(掲載承認済) http://www.city.toyama.toyama.jp/yatsuo/nourin/owara/ |
評 者 |
|
備 考 |
- 父はやく死にしあと母風の盆のページへのリンク