父の顔歡送群の中に濡れ
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評 言 |
六林男は、昭和15年(21歳)の時入隊し、7月豪雨の朝、大阪港より華中漢口に送られた。すでに国中が戦時一色の時代であった。出征してゆく者に、群衆は旗を振り音楽で鼓舞し送り出した。そんな豪雨の歓送群の中に、父は息子を見送るために立っていた。ここから六林男の戦争が始まったのである。 負傷者のしづかなる眼に夏の河 遺品あり岩波文庫「阿部一族」 をかしいから笑ふよ風の歩兵達 夕ぐれの見えざものを撃ち渇く 墓標かなし青鉛筆をなめて書く 射たれたりおれに見られておれの骨 これら多くの作品を六林男は検閲の度頭に入れこんでは消滅し、また書いて持ち帰った。そんな話を会う度に聞かせてくれた。後になって気付くのだが、六林男は、戦争を語り継ぐことを生き残った者の使命としていたのである。その後の混沌とした戦後を生き抜くこともまた闘いであった。 暗闇の眼玉濡さず泳ぐなり 昇降機ひたすら降る片手がない 焼跡を濡らして葱を洗いいる 俳句の己へのテーマを「戦争と愛」として、生涯を生きた俳人である。作品からのイメージと同じ朴訥な風貌とともに胸の奥深く六林男の言葉が残っている。 (『荒天』 『谷間の旗』より) 写真提供=Brett Jordan |
評 者 |
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備 考 |
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