墓標かなし青鉛筆をなめて書く
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自身が負傷したバターン・コレヒドール戦での経験をテーマにした「死と倦怠の記録2」中の一句。戦場で、墓標という死・無・静などを表象する場と、それと隣り合わせに青鉛筆を舐め俳句を書くという、生々しい作家の生の動作との対照が詠まれている。もちろん、墓標は戦死した兵士のものであり、転戦中ならばその戦場に埋められるもので、後日改葬でもされなければ誰も墓参には来ない。それどころか、あっというまに埋めた場所すら不明になってしまうだろう。そのような死の間近にある場所で、それが明日は我が身であるということを覚悟しつつ、私は句を詠み、手帳に記すのだ、と詠んでいるのだろう。すごみのある一句。六林男は後に「僕は、俳句を性根入れてやってみようかなと思ったのは、戦場の塹壕の中です。戦争というのは政治の一形態としての手段ですからね。僕の場合は戦前から社会性派なんですよ。戦場で戦争は俳句を書くというのが社会性でしょう。」(「俳句朝日増刊」1999.08)と語っている。掲句の詠まれた背景の解説になっていよう。一瞬、林田紀音夫の「鉛筆の遺書ならば忘れ易からむ」を連想させるが、背景も生命力のベクトルも対照的である。 |
評 者 |
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備 考 |
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