林田紀音夫とは? わかりやすく解説

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林田紀音夫

林田紀音夫の俳句

いちにち雨の流れた海港を身に湛える
いつか星ぞら屈葬の他は許されず
また押流された土砂の量だけあきらめる
ペンキが乾くあいだの日射し母乳ゆたか
五月なかばの鉛の空母しんと浮く
低い融点の軍歌がざぶざぶ来る
口あけた封筒へ河の夕日満たす
夕月細るその極限の罪を負う
夜の沖へ訃報の走行粁数足す
夜間飛行を眼にとめてうすくなる寝嵩
少女が黒いオルガンであつた日の声を探す
引廻されて草食獣の眼と似通う
愛と同量の飢え暗澹と開渠を下る
手垢まみれの倉庫の四壁老いた海
星はなくパン買つて妻現われる
映画の使者にまた葬送の楽おなじ
晴れて硬質の午前の嘘に立ちどまる
枕ひとつの流れの中に夜を迎える
残像の少女の原色いつ失う
母胎につながり水色の灯の暮れ方
池が足下に日箭ふんだんな午後の桎梏
沖の曇天パン抱いて漂泊をこころざす
洗つた手から軍艦の錆よみがえる
浴槽から海へ流れて空白つづく
消えた映画の無名の死体椅子を立つ
滞る血のかなしさを硝子に頒つ
漂うブイの耐蝕の意志流れる漁船
濡れて消える煙草証言の後に似て
燐寸が燃やした束の間の女体の嵩
生殖の棟あがる快晴の幾日か経て
空港の灯の点に胃をあたためる
窓に他人の屋根また迫る朝の紅茶
筏で流れた夜のようにひらたく寝る
米洗う手の歳月を粗末にする
網の魚と父のいずれの眼を憐む
肌に移した遠望の島の藍
触れあう傘の雫流れて重たい海
訃の一方の窓ガラス夜空を貼る
鈍痛を訴える河口暮色も尽き
鉄の確かさで葉桜の一夜の影
鉛筆の遺書ならば忘れ易からむ
随所に鋏の類い日曜の午前終り
障子へ出た影うずくまる他人の家
隣る女に硝煙を嗅ぐ旅程の中
雨が傷めた少年の肩突込む夕刊
青い蟹となるぼくら爪がないために
青のゆらめく無残な酔いも父の死後
風の梢風の炊煙生身がすべて
養鱒の水落ちて青濁る秩序
騎馬の青年帯電して夕空を負う
 

林田紀音夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 13:24 UTC 版)

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林田 紀音夫(はやしだ きねお、1924年8月14日 - 1998年6月14日[1])は、俳人。本名は林田 甲子男(読みは同じ)[1]

朝鮮京城府に生れる。旧制大阪府立今宮職工学校(現・大阪府立今宮工科高等学校)出身。月並の宗匠俳句に親しんでいた父の影響で13歳のころより俳句をはじめ、戦前に「山茶花」「火星」などに投句。戦後下村槐太に師事し「金剛」に参加。その後堀葦男らとともに「十七音詩」を創刊(1965年終刊)、関西前衛派俳人の主要メンバーの一人として活躍。1962年金子兜太の「海程」に参加、同人。また1974年鈴木六林男の「花曜」客員同人になった。代表的な句に「鉛筆の遺書ならば忘れ易からむ」「黄の青の赤の雨傘誰から死ぬ」など。季語の情緒を嫌い、「風流から生活へ」の詩観から徹底して無季俳句を貫いた。1963年、第11回現代俳句協会賞受賞。1998年死去、73歳。

句集に『風蝕』『幻燈』『林田紀音夫句集』があり、2006年には唯一の弟子である福田基により全句集が刊行されている。

脚注

  1. ^ a b 『現代物故者事典 1997~1999』(日外アソシエーツ、2000年)p.481

参考文献

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