鉛筆の遺書ならば忘れ易からむ
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評 言 | 紀音夫の第一句集『風蝕』の「流域(昭和27年~昭和31年)」の項、『月になまめき自殺可能のレール走る』『いづれは死の枕妻寐し月明に』『煙突にのぞかれて日々死にきれず』『死のごとき夜の颱風を素手で待つ』『造船の火を対岸にいのち脆し』といった、厳然と「死」を見つめた作品群の中に、この句はぽつんとある。昭和27年~昭和31年、紀音夫はまだ三十歳ぐらいだ。 戦争体験、生活苦、病苦を経て、生まれたこの一句・・まずは「忘れ易からむ」の途方もない虚無感が胸に刺さってくる。捨て鉢のうら寂しき笑顔が浮かんでくるようだ。しかしこの句、何度もくり返し味わっているうちに、割り切って、吹っ切って、どっしりと「生きること」に腰を据えたような安定感にふと気づかされる。「どうせ人生なんてものは」という自嘲のあとの、「それでも」生きてゆく姿勢がしっかりと見えてくるのだ。 ところで、もし実際に目の前に鉛筆で書かれた遺書があったとしたら、我々はどんな印象を持つだろうか・・。その佇まい、心中に悲しくも厳かに響いて、もしかしたら、より一層故人への追慕がつのり、より一層故人の生涯を愛おしく思うかもしれない。 「忘れ易からむ」転じて「忘れ難くなる」、かもしれない。 |
評 者 | |
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