藤原経定とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 藤原経定の意味・解説 

藤原経定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/08 09:52 UTC 版)

 
藤原経定
時代 平安時代後期
生誕 康和2年(1100年)?[1]
死没 久寿3年1月28日1156年2月20日
官位 正三位権中納言
主君 白河上皇堀河天皇鳥羽天皇崇徳天皇近衛天皇
氏族 藤原北家大炊御門家
父母 父:藤原経実、母:藤原通俊の娘
兄弟 経定、隆通、光忠懿子経宗、先実、通定、静経、公性、頼源、覚観
藤原通季の娘、源仲政の娘
頼定、定雅、成定 、乗信、玄利、行乗、行真
テンプレートを表示

藤原経定(ふじわら の つねさだ)は、平安時代後期の公卿藤原北家大炊御門家大納言藤原経実の子。官位正三位権中納言

家嫡となれなかった経定

藤原経実の長男であり懿子の兄であったが、生母の実家の差から昇進が遅く、家は藤原公実の娘である藤原公子を母とする弟・経宗が継いだ。また、保元の乱の直前に薨去したことになる。

経歴

以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

系譜

  • 父:藤原経実(1068-1131)
  • 母:藤原通俊の娘
  • 妻:藤原通季の娘
  • 妻:源仲政の娘
  • 妻:家女房
  • 生母不明の子女
    • 男子:藤原定雅
    • 男子:藤原成定
    • 男子:乗信
    • 男子:玄利
    • 男子:行乗
    • 男子:行真

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 『公卿補任』による。『尊卑文脈』では没年が55歳とあるため、康和4年(1102年)生まれとなる。
  2. ^ 山槐記』によれば29日
  3. ^ 『公卿補任』によれば先に出家したという。

出典




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「藤原経定」の関連用語

藤原経定のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



藤原経定のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの藤原経定 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS