加々美荘の立荘と伝領とは? わかりやすく解説

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加々美荘の立荘と伝領

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/03 14:36 UTC 版)

加々美荘」の記事における「加々美荘の立荘と伝領」の解説

加々美荘に関する初見史料建永元年1206年慈円起請文・『門葉記』 で、鎌倉時代建永元年藤原忠通の子天台座主慈円が「小僧養育禅尼」から加々美荘譲られている。同史料拠れば慈円前年三条白川坊(京都府京都市東山区)から東山大谷吉水坊に移した青蓮院道場・大懺法院(だいせんほういん、後に改称して「大成就院」)に加々美荘付属させ、年貢二百段を禅尼菩提供養と、大懺法経営の資に充てさせたという。「小僧養育禅尼」は閑院流西園寺家の祖である藤原通季の娘で藤原経定の妻であった人物で、久寿2年1155年出生慈円乳母になっていたと考えられている。 「養育禅尼」の父・通季は天皇家関わりの深い人物であるが甲斐国との接点見出されていない一方で慈円の父は甲斐国と関係の深い藤原忠実の子・忠通であることから、忠実時代加々美荘摂関家領となり、一代限りで「養育禅尼」に譲与され、「小僧養育禅尼」の死後慈円譲与された経緯考えられている。 また、建暦3年1213年2月慈鎮所領譲状・『華頂要略』 に拠れば、健暦3年慈円天台座主辞するにあたって青蓮院門跡朝仁親王への所領譲状案を作成しており、「別相伝」の極楽寺領とされている。天福2年1234年)の慈源所領注文では大懺法院の後身である大成就院領として准布三百段の負担定められており、鎌倉時代には青蓮院門跡であった考えられている。 建武3年1336年9月17日勧修寺寺領目録(「勧修寺文書」)に拠れば南北朝時代建武3年には京都市山科区所在する勧修寺領として見られる

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「加々美荘の立荘と伝領」を含む「加々美荘」の記事については、「加々美荘」の概要を参照ください。

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