易姓革命とは? わかりやすく解説

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えきせい‐かくめい【易姓革命】

読み方:えきせいかくめい

中国古代政治思想天子天命受けて国家統治しているから天子の徳が衰えれば天命も革(あらた)まり、有徳者(他姓の人)が新たに王朝創始するとするもの。


易姓革命

読み方:エキセイカクメイ(ekiseikakumei)

中国における王朝交替に関する学説


えきせいかくめい 【易姓革命】

中国古来政治思想統治者の姓が易わること、つまり王朝がかわることを易姓といい、それは天命が革まったからなのだ、とする考え方儒教思想よるもので、統治者天子)は天命によって天下治めているのであり、天子の家(姓)に不徳の者が出れば天命別の有徳者に下り(命が革まる)、王朝交代する天子の姓が易わる)というもの。王朝更迭のこと。→ 天命

易姓革命

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/29 18:02 UTC 版)

易姓革命(えきせいかくめい)とは、古代中国において起こった孟子らの儒教に基づく、五行思想などから王朝の交代を正当化する理論[1]

概要

周の武王が殷の紂王を滅ぼした頃から唱えられ、は己に成り代わって王朝に地上を治めさせるが、を失った現在の王朝に天が見切りをつけたとき、「革命(天める)」が起きるとされた。それを悟って、君主天子、即ち天の子)が自ら位を譲るのを「禅譲」、武力によって追放されることを「放伐」といった。

後漢から禅譲を受けた曹丕は「の行ったことがわかった(堯舜の禅譲もまたこの様なものであったのであろう)」と言っている。後漢劉氏)から(曹氏)のように、前王朝(とその王族)が徳を失い、新たな徳を備えた一族が新王朝を立てた(わる)というのが基本的な考え方であり、血統の断絶ではなく、徳の断絶が易姓革命の根拠としている。儒家孟子は易姓革命において禅譲と武力による王位簒奪の放伐も認めた[1]

ほとんどの新王朝では、史書編纂などで歴代王朝の正統な後継であることを強調する一方で、その正当性を強調するために前王朝と末代皇帝の不徳と悪逆が強調される。典型的な例として、の逸話が伝わる。また煬帝のように悪い諡号を贈られたり、諡号や廟号自体を贈られない場合もある。一方で、への反逆者である李自成を討って天下を継承したのようなケースでは、明の末代皇帝崇禎帝は顕彰され、諡号や廟号も贈られている。

このように、易姓革命論は王朝交代を正当化する理論である[1]。またこの理論があったために劉邦朱元璋のような非支配階層出身者の支配を肯定することが出来たと言える。これは西洋、とりわけ古代ローマの後継である東ローマ帝国を除いた、広範な西ヨーロッパ社会において、君主の血統が最も重視されたことと対照的である。西ヨーロッパの諸国では、ある国の君主の直系が断絶した際、国内に君主たるに相応しい血統の者が存在しない場合には、他国の君主の血族から新しい王を迎えて新王朝を興すほど血統主義が支配的であった。易姓革命には批判もあり、例えば江戸幕府による封建体制下の日本では、山鹿素行という学者が異を唱え、日本の万世一系思想と対比して中朝事実という書を記した。 反面、秦末の陳勝は「王侯将相寧んぞ種あらんや」の名言で易姓革命を肯定し、史上初の農民反乱である陳勝・呉広の乱を起こした。 この乱は、後に楚漢戦争を経て漢王朝が興るきっかけとなった。

五行思想面からの説明では、万物には木火土金水の徳があり、王朝もこの中のどれかの徳を持っているとされた。たとえば、の末期を揺るがした184年黄巾の乱は、「蒼天已死 黄天當立 歳在甲子 天下大吉(蒼天已に死す、黄天当に立つべし、歳は甲子に在りて、天下大いに吉とならん、『後漢書』71巻 皇甫嵩朱鑈列傳 第61 皇甫嵩[2])」のスローガンが掲げられた。漢朝は火の徳を持っているとされ、漢朝に代わる王朝は土の徳を持っているはずだとの意味である。

脚注

  1. ^ a b c 日本国語大辞典,世界大百科事典内言及, ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,デジタル大辞泉,百科事典マイペディア,世界大百科事典 第2版,大辞林 第三版,日本大百科全書(ニッポニカ),精選版. “易姓革命(えきせいかくめい)とは”. コトバンク. 2019年8月29日閲覧。
  2. ^  范曄. 後漢書/卷71. - ウィキソース. 

関連項目


易姓革命

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 14:30 UTC 版)

「殷」の記事における「易姓革命」の解説

夏の桀王暴政敷き、その治世はひどく乱れた。これに対し、殷の湯王(契から数えて13代目天乙ともいう)は天命受けて悪政正すとして、賢人伊尹助け借りて蜂起、鳴条の戦で夏軍を撃破し、各都市破壊、こうして夏は滅亡した現代考古学調査によると、夏の都市のひとつであった望京遺跡では、殷による激し破壊虐殺の跡が見つかっている。遺骨多く手足刃物切断されたり、顔が陥没しており、実際には殷が力によって、中原支配者の座を勝ち取ったことがしのばれる遺跡からは夏人のどれも毀損された遺骨と共に殷の青銅武器出土する

※この「易姓革命」の解説は、「殷」の解説の一部です。
「易姓革命」を含む「殷」の記事については、「殷」の概要を参照ください。

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