ハーネルMP41短機関銃
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MP41
弾倉を外した状態 |
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MP41 | |
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種類 | 短機関銃 |
製造国 | ![]() |
設計・製造 | ヘーネル |
仕様 | |
口径 | 9mm |
銃身長 | 251mm |
使用弾薬 | 9mmパラベラム弾 |
装弾数 | 32発(箱型弾倉) |
全長 | 860mm |
重量 | 3800g |
発射速度 | 約500発/分 |
歴史 |
ハーネルMP41短機関銃(ハーネルMP41たんきかんじゅう)とは、第二次世界大戦中にドイツで開発された短機関銃である。
開発経緯
1937年以来、ナチス・ドイツではMP28を警察用短機関銃として使用していた。MP28は第一次世界大戦で登場したMP18を改良したもので、1936年にはスペイン内戦にて活躍した。
その後ドイツ国防軍がMP40を採用すると、MP28は警察や親衛隊に払い下げられ、ドイツ国内や占領国での治安維持などに使用されるようになった。しかしMP28はMP40とは部品や弾倉に互換性を持たすことが出来なかった。そのためナチス・ドイツでは補給・生産面の両方から融通を利かせる為、MP28に変わる警察用短機関銃の開発に乗り出したのである。
MP41の登場
それまで勤めていたベルグマン社からヘーネル社に移籍していたヒューゴ・シュマイザーは同社でそれまで製作されていたMP28をベースにMP40の部品などを組合せ、1941年にMP40のバリエーションとしてMP41を設計開発した。
外見の特徴としてはMP40下部のピストルグリップと折畳式銃床を固定式の木製銃床に置き換えたような形状で、MP40にあった銃身下の部品(銃身保護用のガード)を省略、弾倉は32発用の専用箱型弾倉のほかにMP38やMP40に使用している弾倉の併用も可能であった。一方でMP28の構造も受け継いでいて、射撃制御機構はMP40とは異なり、アッパーレシーバーの下面に直接取り付けられており、その作動原理もMP28と同じである。トリガーの上部に装着されているフル・セミオート射撃切替用のクロスボルトスイッチも、MP28の様式と同じである。
MP41の特徴である木製銃床は、治安維持部隊などでは暴徒鎮圧の際に発砲するよりも銃床で殴ることが多かったため、非殺傷を目的とした鎮圧活動では役立ったとされる。
その後
生産されたMP41はその後、1941年にはドイツ保安隊や国家警察部隊(治安維持部隊)などに供給され大戦後半まで既存のMP28とともに使用されている。またMP41の大部分は同盟国であるルーマニア軍に供給され、詳細な関連は不明ながら、MP41はルーマニアで独自に設計・採用された短機関銃であるオリタM1941と全体のデザインが類似していた。
第二次世界大戦後もルーマニアでは1970年代まで使用され冷戦終結後、無可動実銃として日本にも僅かに輸入されている。優秀な短機関銃として旧ナチスドイツから東側諸国によって鹵獲されたものが親東側諸国・勢力に供給され、その一部は第一次インドシナ戦争やベトナム戦争、アルジェリア戦争などの第三世界における戦争や紛争で使われた。
使用国・組織
登場作品
- 『ちいさな独裁者』
- 「ヘロルト戦闘団」に加わるドイツ空軍兵士たちのうち一名が所持。
脚注
関連項目
マクラーレン・MP4/1
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最初のカーボンモノコック車としてデビューしたMP4/1
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カテゴリー | F1 | ||||||||||
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コンストラクター | マクラーレン | ||||||||||
デザイナー | ジョン・バーナード | ||||||||||
先代 | マクラーレン・M29F | ||||||||||
後継 | マクラーレン・MP4/2 | ||||||||||
主要諸元 | |||||||||||
シャシー | カーボンファイバー モノコック | ||||||||||
エンジン | 1981年-1983年: ミッドエンジン, 縦置き, コスワース DFY, 2,993 cc (182.6 cu in), NA, 90度 V8 1983年: ミッドエンジン, 縦置き, TAG ポルシェ PO1, 1,499 cc (91.5 cu in), ターボ, 90度 V6, |
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トランスミッション | マクラーレン / ヒューランド FGA 400 5速 MT | ||||||||||
主要成績 | |||||||||||
チーム | マールボロ マクラーレン・インターナショナル | ||||||||||
ドライバー |
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初戦 | 1981年モナコグランプリ | ||||||||||
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マクラーレン・MP4/1 (McLaren MP4/1) は、マクラーレンがF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カーで、ジョン・バーナードが設計した。単にMP4と呼称される場合もある。
1981年の第4戦から、1983年の最終戦まで実戦投入された。1981年はMP4/1、1982年はMP4/1B、1983年はMP4/1CとMP4/1Eが使用された。マシン名の「MP4」は、「Marlboro Project 4」の略称だが、「McLaren Project 4」の略称と言われることもある[1]。
MP4/1
1979年、1980年と不振のシーズンを過ごしたマクラーレンは、ロン・デニス率いるF2チーム「プロジェクト4」と合併してチーム体制を一新し、新体制としての第1作目のマシンがMP4/1である。ドライバーはベテランのジョン・ワトソンが旧体制から引き続いて残留し、No.2に新人でマールボロ(フィリップモリス社)とのパイプがあったアンドレア・デ・チェザリスを起用した。
MP4/1はフォード・コスワース・DFVエンジンを積むスタンダードなウィングカーではあるが、特徴としてモノコックを従来のアルミハニカムではなくカーボンファイバーで製作するという構造を持っていた。同年にロータス・88でもカーボンファイバー製モノコックが採用されたが、こちらは間にノーメックスと呼ばれるアラミド繊維を挟んでいた。MP4/1ではアルミハニカムを挟んだ構造だった。のちにフォーミュラ・レース界で主流となるのは、マクラーレンが採用したアルミハニカムを使用した構造のほうである。実戦に投入されるレーシングマシンのモノコック全体にカーボンが使用されたのはこのMP4/1が初であった[2]。本シャシーデビュー当時、このカーボン製モノコックの強度は従来のアルミハニカム製モノコックよりも約2倍の強度を持つとされた。基本構成はバーナードがアメリカで走らせたシャパラル2Kを踏襲したのか、当時のインディカーの雰囲気を纏っていた。
1981年シーズン
MP4/1が使用されるまでは前年までのマシンの改良版であるM29C,M29Fを使用。ワトソンは第4戦サンマリノGPから、デ・チェザリスは第6戦モナコGPから使用した。
MP4/1はワトソンの手によって第7戦スペインGPで3位、第8戦フランスGPで2位を獲得。さらにマクラーレンとワトソンの地元である第9戦イギリスGPでチームに3年ぶりとなる勝利をもたらした。 一方、新人デ・チェザリスは時折速さを見せるものの、経験不足から度々大きなクラッシュを起こしたため、MP4/1でのポイント獲得は叶わなかった。しかし、クラッシュのたびに彼が無傷の生還を繰り返すことで皮肉にもカーボンモノコックの安全性を証明することになった。
スペック
記録(1981年)
年 | マシン | タイヤ | No. | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | ポイント | ランキング |
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1981 | MP4/1 | M | ![]() |
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28 | 6位 | ||
7 | ![]() |
10 | 7 | Ret | 3 | 2 | 1 | 6 | 6 | Ret | Ret | 2 | 7 | ||||||||
8 | ![]() |
Ret | Ret | 11 | Ret | Ret | 8 | DNS | 7 | Ret | 12 |
MP4/1B

単にMP4Bと呼称される場合もある。MP4/1を1982年のレギュレーションにあわせて改良した。1982年は可動スカートが一時的に認められたため、サイドウイング部分で発生するダウンフォース量が1981年よりも増加した。そのため、特に高速コースではフロントウイングが省かれる場合が多くなった。
1982年シーズン
1979年終盤に引退したニキ・ラウダが現役復帰し[2]、ワトソンも契約更新し残留[2]。1年をかけて熟成させたMP4/1の改良型であるので、この年4勝を挙げてマクラーレンはトップチームへの復帰を果たした。また、ワトソンがタイトル争いに絡むも、信頼性に関してはいまだに難があり、両ドライバー合わせて11回ものリタイヤを喫した。最終的にシーズン途中から欠場したディディエ・ピローニと同点のランキング3位に終わった(ピローニと同ポイントだが、上位入賞回数の差で、ピローニが2位、ワトソンが3位となった)。
スペック
記録(1982年)
年 | マシン | タイヤ | No. | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | ポイント | ランキング |
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1982 | MP4/1B | M | RSA![]() |
BRA![]() |
USW![]() |
SMR![]() |
BEL![]() |
MON![]() |
USA![]() |
CAN![]() |
NED![]() |
GBR![]() |
FRA![]() |
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AUT![]() |
SUI![]() |
ITA![]() |
CPL![]() |
69 | 2位 | ||
7 | ![]() |
6 | 2 | 6 | DNS | 1 | Ret | 1 | 3 | 9 | Ret | Ret | Ret | 9 | 13 | 4 | 2 | |||||
8 | ![]() |
4 | Ret | 1 | DNS | DSQ | Ret | Ret | Ret | 4 | 1 | 8 | DNS | 5 | 3 | Ret | Ret |
MP4/1C

新たに施行されたフラットボトム規制により、今までとは違ったマシンデザインが求められるようになった[3]。ブラバムのようにほとんどサイドポンツーンをなくしてしまうチームもあったが、バーナードはサイドポンツーンを残し「コークボトルライン」と呼ばれるポンツーン後端を絞り込んだ形状を考案した[3]。こうすることによりリヤタイヤ付近の気流の流れを改善することができた。マシンデザインはバーナードによって洗練されていたが、いかんせんコスワースDFVやその後継であるDFYエンジンは、新勢力となりつつあったターボエンジンに比べると非力だった。エンジンの面で足を引っ張られたマクラーレンとしては早急にターボエンジンを獲得する必要性に迫られたが、共同チームオーナーであるマンスール・オジェ率いるTAGを通じポルシェとの提携に成功した。
1983年シーズン
シーズン序盤から中盤にかけてはMP4/1Cを使用。しかし、第2戦アメリカ西GPでワトソンが1勝を挙げるにとどまっていた。
ラウダが第12戦より、ワトソンが第13戦からMP4/1Eをドライブした。あわせて7回の出走のうち、5回がリタイヤ、1回が失格で完走扱いが1回きり(残り6周でトラブルのためストップ)という散々な結果だったが、実戦に投入できたことで1984年シーズンが始まる前に問題点を洗い出すことができた。
スペック
- タイヤ ミシュラン
- サスペンション フロント・プッシュロッド式ダブルウィッシュボーン/リヤ・ロッキングアーム
- エンジン フォード・コスワース・DFV、DFY
- 気筒数・角度 V型8気筒・90度
- スパークプラグ チャンピオン
- 燃料・潤滑油 ユニパート
記録(1983年)
年 | マシン | タイヤ | No. | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | ポイント | ランキング |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1983 | MP4/1C | M | BRA![]() |
USW![]() |
FRA![]() |
SMR![]() |
MON![]() |
BEL![]() |
USE![]() |
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GBR![]() |
GER![]() |
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NED![]() |
ITA![]() |
GBR![]() |
RSA![]() |
34 | 5位 | ||
7 | ![]() |
Ret | 1 | Ret | 5 | DNQ | Ret | 3 | 6 | 9 | 5 | 9 | 3 | ||||||||
8 | ![]() |
3 | 2 | Ret | Ret | DNQ | Ret | 13 | Ret | 6 | DSQ | 6 |
MP4/1E
MP4/1Cで1983年シーズンをスタートしたマクラーレンは、1984年シーズンから投入する新車MP4/2にTAG(ポルシェ)ターボエンジンを搭載することを決めていた。しかし、ドライバーであるニキ・ラウダが「1984年まで待てない」と発言したことを受け、急遽MP4/1Cにターボエンジンを搭載したマシンとしてMP4/1Eを製作することとなった。デザイナーであるバーナードは1984年まで熟成させてから実戦投入するという考えだったため、1983年途中からのMP4/1Eの投入の説得に時間を要した。
MP4/1EからMP4/3まで搭載されることとなったTAGターボエンジンは「TAGポルシェ」とも呼称される。これはTAGの資金でポルシェがターボエンジンを製作したためである。バーナードは自分が理想と考えたサイズのエンジンを得るために、ポルシェ側に開発段階からサイズ、重心や補機類の配置などを事細かに注文をつけた。
最初のMP4/1Eのテスト時は、MP4/1Cにターボエンジンを積み替えただけのマシン状態での走行となったため、DFVエンジンとターボエンジンのあまりのパワーの差にブレーキなどが悲鳴を上げるほどだった。
スペック
- タイヤ ミシュラン
- サスペンション フロント・プッシュロッド式ダブルウィッシュボーン/リヤ・ロッキングアーム
- エンジン TAG TTE PO1(ポルシェ)
- 気筒数・角度 V型6気筒・80度
- ターボ KKKツインターボ
- スパークプラグ チャンピオン
- 燃料・潤滑油 ユニパート
記録(1983年)
年 | マシン | タイヤ | No. | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | ポイント | ランキング |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1983 | MP4/1E | M | BRA![]() |
USW![]() |
FRA![]() |
SMR![]() |
MON![]() |
BEL![]() |
USE![]() |
CAN![]() |
GBR![]() |
GER![]() |
AUT![]() |
NED![]() |
ITA![]() |
GBR![]() |
RSA![]() |
0 | -位 | ||
7 | ![]() |
Ret | Ret | DSQ | |||||||||||||||||
8 | ![]() |
Ret | Ret | Ret | 11 |
通算成績
- 予選最高位2位 (0PP)
- 6勝
脚注
- ^ Doug Nye (1987). Mclaren: The Grand Prix, CanAm and Indy Cars. Hazleton Publishing. p. [要ページ番号]. ISBN 0-905138-54-6
- ^ a b c D'Allesio 1999, p. 16.
- ^ a b D'Allesio 1999, p. 17.
参考文献
- D'Allesio, Paolo「マクラーレンMP4ストーリー」『オートスポーツ』第36巻第2号、三栄書房、1999年1月、12-21頁。
MP4/1
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/15 02:41 UTC 版)
「マクラーレン・MP4/1」の記事における「MP4/1」の解説
1979年、1980年と不振のどん底にあったマクラーレンはロン・デニス率いるF2チーム「プロジェクト4」と合併してチーム体制を一新し、新体制としての第1作目のマシンがMP4/1である。ドライバーはベテランのジョン・ワトソンと、新人のアンドレア・デ・チェザリスを据えた。 MP4/1はフォード・コスワース・DFVエンジンを積むスタンダードなウィングカーではあるが、モノコックを従来のアルミハニカムではなくカーボンファイバーで製作するという構造を持っていた。同年にロータス・88でもカーボンファイバー製モノコックが採用されたが、こちらは間にノーメックスと呼ばれるアラミド繊維を挟んでいた。MP4/1ではアルミハニカムを挟んだ構造だった。のちに主流となるのは、マクラーレンが採用したアルミハニカムを使用した構造のほうである。実戦に投入されるマシンのモノコック全体にカーボンが使用されたのはMP4/1が初めてである。デビュー当時でカーボン製のモノコックとアルミハニカム製モノコックでは強度で約2倍の差があった。
※この「MP4/1」の解説は、「マクラーレン・MP4/1」の解説の一部です。
「MP4/1」を含む「マクラーレン・MP4/1」の記事については、「マクラーレン・MP4/1」の概要を参照ください。
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