7階からの生還者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 22:45 UTC 版)
「千日デパート火災」の記事における「7階からの生還者」の解説
自力脱出者 7階プレイタウンから生還した者の中で、自力で脱出できた者が10人いる。内訳は以下の表のとおりである。 7階プレイタウンからの自力脱出者脱出手段男性女性計備考エレベーター0 1 1 ホステス1人、A1エレベーター(北東側)で脱出 B階段0 2 2 クローク係1人、ホステス1人 ホール窓(東2)からの飛降り2 0 2 客1人はアーケード上に張られたワイヤー目掛けて飛降り、従業員1人は窓から垂直にアーケードへ落下 救助袋3 2 5 救助袋の外側を馬乗りで降下 合計5 5 10 全員生存者 7階プレイタウン滞在者以外の自力脱出者としては、地下1階に宿直で滞在していたデパート電気係と気罐係の計2人、1階に滞在していたデパート保安係員4人とプレイタウン関係者10人の計14人、3階で22時ごろまで残業をしていたニチイ千日前店関係者2人とデパート売場で電気工事をおこなっていた工事作業員5人の計7人、4階にいた同じくニチイ千日前店関係者2人、6階でボウリング場建設工事をおこなっていた工事作業員ら5人と館外で作業をしていて火災を知らせにビル内に入った1人の計6人の合計31人がいる。1階のホステス1人と6階滞在者の工事作業員らを除く他の全員は階段または出入口を使用してビル外に避難しており、一部の者は出火時に消火活動を行っていたにも関わらず、それらに負傷者はいない。6階滞在者の工事作業員らは、全員が6階作業場からデパートビル西側ベランダに移動し、そこからビル外に出て、ビル南西角の鉄骨の足場を利用して5階まで降りた。そのあと避雷針のワイヤーと給水パイプを利用して南西側のアーケード屋根へ降りてアーケード備え付けの梯子で地上へ全員避難した。1階のホステス1人については、エレベーターで客と一緒に7階へ向かい、プレイタウンにいたホステス1人と同乗して地上まで無事に引き返した。 B階段を使って避難した2人の女性 B階段を使って避難できた2人のうち、クローク係の女性は、エレベーターホールに白煙が漂っているのを感じ、隣の電気室にいる電気係にそのことを知らせた。電気係は現状を知らせようとホール内へ向かっていった。その直後にA南エレベーターから噴き出す煙の量が急激に増してきて、数メートル先も見えない状況に陥ったために、クローク係の女性は危険を感じてすぐにB階段から避難した。クローク係の女性は、自分の持ち場のすぐ後ろに避難階段があることをあらかじめ知っており、さらにはクロークがB階段に直結していたことが幸いし自力で脱出できた。またその数分後にもう1人のB階段を使って避難に成功したホステスは、接客中に煙の流入に気付いて客席からレジに向かったが、店内放送で「落ち着いてください」と流れたため、元の客席に戻ってしばらく座っていたが、煙に巻かれたため避難することにした。猛煙と停電による暗闇の中、手探りでフロアを進み、男性用トイレと女性用トイレに交互に入って嘔吐したり、ハンカチを水に濡らして口に当てたりした。そして壁伝いにエレベーターホールに出て、なんとかB階段にたどり着き、無事に地上へ脱出できたという。この女性が猛煙と熱気、暗闇の恐怖に晒されながらもB階段を目指せたのは、普段から退勤時にエレベーターを使わず「健康のために」という理由でB階段を利用していたからであり、事前に持っていた情報が自力脱出の成功に大きな影響を与えた。 7階窓から飛び降りて助かった男性客 7階東側窓からアーケード屋根に飛び降りて助かった男性客1人は、火災覚知の初期にほかのプレイタウン関係者同様、エレベーターホールへ行ったり、ほかの非常口を目指したりしたが、いずれも使えずに避難が不可能になったため、東側窓に移動した。そのときの状況を男性は次のように語っている。 友達と飲んでいたら急に煙が店内にたちこめたので、火事だと思い、エレベーターの乗り場へ飛んで行った。しかしここはすでに人でいっぱいのため、反対側の非常口へかけつけたが、これも使えなかった。火が店内まで回り、キャーッという悲鳴がうずまき、客もホステスもパニック状態だった。最後の逃げ口として窓へ取り付き、ガラスを割ったがものすごい煙と火に攻められた。別の窓から次々に客とホステスが耳をつんざく悲鳴を残しては飛び降りていった。頼みのツナの梯子車は私の窓にはやって来ず、いっしょにいた5、6人は順々に飛び降りた。私は10数年前から趣味でダイビングをしていたので降りる見当はつけやすかった。歩道にある電柱を支えるロープ(アーケード上の補強ワイヤー)をめがけて飛び降りた。ちょうどおなかの部分がロープに当たり、その反動でアーケードの屋根にドスンと降りて助かった。気が付くと腕時計もなく、下着もおなかの部分でちぎれていた〔ママ〕。 — 男性客N.M.さん、産経新聞 1972-05-14 また一方で次のように語った。 二回目に、エビ飛び見たいな形で飛び降りた。ゆっくり降りている、という意識があって、うまくいったと思った。 — 男性客N.M.さん、週刊朝日 1972-05-26 アーケード屋根に張られた2本のワイヤーをめがけて飛び降りた際に、腹がワイヤーに当たって助かったという。肋骨骨折、腹部裂傷の重傷を負ったが、19年間続けていた趣味のダイビング経験が活かされ九死に一生を得た形である。それでも飛び降りるのを1度はあきらめ、10分くらいは窓枠にぶら下がって逡巡してから飛び降りたという。もう1人の男性もアーケード屋根に落下して助かった。こちらは、猛煙と熱気から逃れようと窓枠にぶら下がっているうちに力尽きて、垂直にアーケードヘ落下したが左大腿部骨折と左肘骨折の重傷を負いつつも一命を取り留めた。 救助袋で脱出に成功した女性 救助袋の外側を馬乗りになって降下して助かったホステスの1人は、そのときの状況を次のように語った。 私はボックスでお客さんにビールをついでいました。もうみんなめちゃくちゃ、どこへ逃げていいかわからず、とにかく強そうな男の人にくっついていけばと思った。そばにいた背の高い人の背広のそでを握りしめて、窓のところまでたどりつきました。私は10何人目かに窓わくを乗り越え、布につかまった。下を見てはいけないと考え、両手に満身の力をこめてすべり降りた。私の両手の上に次の男のひとのおしりがのっかり、すべり降りているうち、まさつで手の平が熱くなり、破れて血が出たのがわかった。でも、この手を離したらおしまいだと思って……〔ママ〕。 — ホステスM.K.さん、読売新聞 1972-05-14 ホステスは、地上まであと3、4メートルのところで手を離し落下、両腕と腿の座創、左足首を捻挫した。 消防隊による救助者 消防隊のはしご車(計5台)による7階からの救出者は50人で、救出された全員が生還できた。7階プレイタウンフロアからの避難路を探す際に、あまり右往左往せず、いち早く外窓に取りついた者がはしご車に救われた。体力が残っていた者は窓枠を乗り越え、はしごの先端から自力ではしご伝いに降りてきており、おもに男性が多かった。消防隊の救助でリフターに乗せられて降下した者は、窓際で失神していたか体力が弱っていた者、女性であった。また消防隊は救助袋から脱出途中に転落してきた3人(男性2人、女性1人)をサルベージシート(救助幕)で受け止めて救助した。サルベージシートの設置には通行人20人程度の協力を仰いだ。 消防隊による7階プレイタウンの救助者救助方法救助担当男性女性計状況はしご車による救助南消防本署・はしご車分隊(L4) 0 2 2 ホステス更衣室窓から2人をリフターで救助。 北消防本署・はしご車分隊(L8) 10 0 10 タレント室窓から8人、厨房窓から2人を梯子伝いに救出。 阿倍野消防本署・はしご車分隊(L5) 18 2 20 バンドマン室窓から2人をリフターで救助、18人を梯子伝いに救出。 西消防本署・はしご車分隊(L6) 6 4 10 ホール窓(北東4)から女性3人をリフターで救助、他7人を梯子伝いに救出。 東消防本署・はしご車分隊(L9) 5 3 8 ホール窓(東1)から男性4人および女性1人、同窓(東2)から男性1人、同窓(北東6)から女性2人を救出。 小計 39 11 50 サルベージシート(救助幕)による救助南消防署・南阪町PR分隊(PR200) 2 1 3 ホール窓(北東6)設置の救助袋から脱出途中に転落してきた3人をサルベージシートで受け止め救助。 合計 41 12 53 全員生存者。7階プレイタウン滞在者の生存者は、自力脱出者と合わせて合計63人である。 統率の取れた集団 バンドマン10人は、火災覚知の初期段階からバンドリーダーの指示でステージ裏のバンドマン控室に全員が待機していた。ステージ裏の小部屋(ボーイ室、バンドマン控室、タレント室)は、ベニヤ板で間仕切りされた簡易的な部屋であったが、細かく仕切られフロアから隔絶されていたことで煙の汚染が比較的緩かった。だがF階段の電動シャッターを開けたことで7階プレイタウンに大量の猛煙と有毒ガス、熱気が流入するようになり、それ以降は小部屋にも煙が大量に入るようになっていた。バンドマンらはドアの隙間に布や鼻紙を詰めて煙を凌ごうとしたが効果がなかった。そこでバンドリーダーは、部屋に普段から置いてあった野球のバットで窓を叩き割り、一緒に避難している仲間たちに順番に外気を吸わせて救助を待った。バンドマン控室の窓に阿倍野消防本署・はしご車分隊のはしごが伸びてきて救出が始まったのは22時56分である。はしごの先端についていた消防ホース(ノズル)が邪魔して、はしごと窓枠の間に30センチメートルほどの隙間ができていた。バンドリーダーは自分の体重を掛けてノズル(ホースの先端部分)を押し下げ、すき間を解消した。そのすぐあとに最初の2人がリフターで降下、その後を18人の避難者がはしごを自力で降りていった。
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