1990年-2000年代
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「日本における同性愛」の記事における「1990年-2000年代」の解説
1990年2月、東京都府中市の「東京都府中青年の家」に宿泊した「動くゲイとレズビアンの会」(OCCUR)のメンバーがキリスト教団体のメンバーらから差別・中傷されるなどトラブル発生。都職員も不適切な対応。その後、翌年に予定していた2回目の宿泊の申し込みを拒否される。OCCURが東京都に抗議し「東京都青年の家事件」としてマスメディアで取り上げられる。 12月、文藝春秋の雑誌『クレア』(91年2月号)が「ゲイルネッサンス'91」を特集。 12月、『IMAGO』(2月号 青土社)で「ゲイの心理学」特集。 1991年2月、東京都府中青年の家裁判が起こされる。 4月、『SPA!』「ゲイの聖地・新宿二丁目ヌーベルバーグ体験ルポ」(4月24日号)掲載。 5月、『DIME』「仕事ができる女はゲイが好き」(5月16日号)掲載。 6月1日、「プライベート・ゲイ・ライフ―ポスト恋愛論」(学陽書房,伏見憲明)発刊。 6月22日、日本初の一般向けドッキュメンタリーゲイ映画『らせんの素描』(小島康史監督)公開。 6月、『IMAGO』(8月号 青土社)で「レズビアン」特集。 7月20日、リヴァー・フェニックスとキアヌ・リーブスがゲイの男娼役で主演した「マイ・プライベート・アイダホ」公開。 8月、『インパクション』(インパクト出版会)71号で「ゲイリベレーション」特集。 テレビ朝日系『こだわりTV PRE☆STAGE』で同性愛が特集された。伏見憲明が企画にも参加。同性愛が専門的、多角的に取り上げられたテレビ番組としては日本初。 東京都港区・芝浦「GOLD」でゲイナイト「THE PRIVATE PARTY」開催。同時期、大阪「ゲネシス」(心斎橋ビブレ)でも開催。 1992年3月6日~8日、第1回「東京国際レズビアン&ゲイ映画祭」中野サンプラザにて開催。 7月、『別冊宝島』「ゲイの贈り物」。 8月、フジテレビ系『NONFIX』でゲイ団体の活動をドキュメントした「ピンクトライアングル 素顔の同性愛者たち」放送。 10月24日、豊川悦司と筒井道隆がゲイを演じた映画「きらきらひかる」公開。 朝日放送系「My Teacher's Love ゲイ先生の日常風景」放送。 1993年1月、『別冊宝島』「ゲイのおもちゃ箱」。 7月8日、テレビ東京系『TVチャンピオン』で「ニューハーフ料理名人選手権」放送(翌年3月3日も第2回放送)。 8月、西野浩司「新宿二丁目で君に逢ったら」刊行。 9月、オープンリーゲイの橋口亮輔監督の映画作品で袴田吉彦が主演した「二十才の微熱」公開。一般向けの本格的ゲイ映画としては日本初。 10月9日、奥田瑛二演じるゲイが登場した滝田洋二郎監督「眠らない街 新宿鮫」公開。 10月18日、『アエラ』「当世大学生事情 キャンパスに咲く“ゲイ・ルネサンス”」(1993年10月25日号)掲載。 10月20日、同性愛について本格的に取り上げた日本テレビ系連続テレビドラマ『同窓会』放送。 12月、『マルコポーロ』(1994年2月号)「普段着のゲイ」掲載。 1994年厚生省(現在の厚生労働省)が同性愛を治療の対象から除外した世界保健機関(WHO)などの見解を踏襲。 文部省(現在の文部科学省)が児童生徒指導書の「性非行」の項目から同性愛を削除。 2月17日、『別冊宝島』「ゲイの学園天国」。 3月24日、TBS系『上岡龍太郎がズバリ!』で「ゲイ50人集合」放送。その後「サラリーマンのゲイ」、「ミス・ダンディ」も取り上げられる。 3月31日、TBS系『上岡龍太郎スペシャル』「ミスターレディー全国大会・第1回」放送。 4月、「GAY-FRONT関西」(現G-FRONT関西)が「ぷあぷあ」など既存3団体を統合して発足)。 8月28日、ゲイ・パレード(ILGA日本が中心の実行委員主催)が日本で初開催される。各種ニュースや9月放送TBS系『ドキュメントDashDash』などで取り上げられる。 9月29日、TBS系『上岡龍太郎スペシャル』「ミスターレディー全国大会・第2回」放送。 11月、ゲイ雑誌『Badi』(95年1月号)創刊。 1995年日本精神神経学会が同性愛を治療対象から除外したWHOの見解を尊重すると発表。 2月、『SPA!』ゲイ特集「ゲイたちの素顔が知りたい」掲載。 3月、ゲイ雑誌『G-men』創刊。 8月、西野浩司のゲイ短編小説集「ティッシュ」刊行。 9月、『IMAGO』(11月号 青土社)で「ゲイ・リベレーション」特集。 12月16日、橋口亮輔監督の2作目で、岡田義徳主演「渚のシンドバッド」公開。 12月27日、日テレ系『日本全国ニューハーフ100人・美と根性の祭典・第1回』放送。 1996年3月26日、日テレ系『日本全国ニューハーフ100人・美と根性の祭典・第2回』放送。 6月、北海道札幌市で国内で2番目に早いLGBTパレード「第1回レズ・ビ・ゲイ・プライドマーチ札幌」(99年以降レインボーマーチ札幌)初開催。 ゲイ専用出会い系サイト「MEN'S NET JAPAN」開設。 高校の男性教師と男子生徒との同性愛関係を描いた福島次郎『バスタオル』が第115回芥川賞候補に。 1997年5月、『現代思想』「総特集レズビアン/ゲイ・スタディーズ」。 9月、府中青年の家裁判で控訴審判決。動くゲイとレズビアンの会の訴えが認められ結審。 4月12日、刑務所内での看守による少年への性的虐待を告発した映画「スリーパーズ」公開。 12月、西野浩司のゲイ短編小説集としては2作目の「森の息子」刊行。 1999年- 12月18日、ホモ新撰組を描いた映画『御法度』公開。 1990年代終わり-2000年頃 - ゲイ向け携帯サイト「ゲイモード」開設。 2003年4月27日、上川あやがトランスジェンダーを表明して、世田谷区議会議員に当選。 8月、東京都新宿区・新宿二丁目にLGBTコミュニティセンター「コミュニティセンターakta」開館 9月14日、北海道札幌市にて開催された「レインボーマーチ札幌」の上田文雄市長がスピーチをし、LGBTのイベントに参加した初の自治体首長になった。 同年秋より都市再生機構が同性間のカップルにも住宅の貸し出しを認める。 12月、宮崎県都城市が全国で初めて同性愛者の人権擁護を明記した条例可決・施行。 2004年性同一性障害者特例法成立。 11月、京都府初の「レインボーパレード」開催。 2005年大阪府議会議員であった尾辻かな子(のち参議院議員、衆議院議員)が自身がレズビアンであることをカミングアウト。 9月18日、レインボーマーチ札幌に北海道知事・高橋はるみのメーセッジが寄せられる。 9月、大阪市でも同性間カップルに住宅の貸し出し認める。 2006年5月13日、兵庫県神戸市で同市初のLGBTパレード「神戸ゲイパレード」開催。 9月22日、宮崎県都城市が新市移行に伴い旧共同参画条例から「性的指向」を削除し可決(同年10月1日施行)。 10月22日、大阪府初のLGBTパレード「関西レインボーパレード」開催。 2007年5月4日、福岡県初のLGBTパレード「クィア・レインボー・パレード in 博多」開催。 8月11日、第6回「東京プライドパレード」に初めて厚生労働省と東京都が後援につき、桑原敏武渋谷区長と中山弘子新宿区長からメッセージが寄せられる。
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1990年~2000年代
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「藤井岳彦」の記事における「1990年~2000年代」の解説
テクノが流行りだした大学生の頃、友人に「すごく衝撃的なパーティに連れてってもらって強烈な体験」をし、ジョイ・ベルトラムやエイフェックス・ツインのようなクラブサウンドを制作するようになる。 1995~1996年頃、LTJブケム等によって世界的に流行していたドラムンベースを作り始め、アーティストとしてアナログレコードのリリースやDRUM & BASS SESSIONSへの出演を果たす。 アーティスト活動に区切りが付いた頃、雑誌「サウンド&レコーディング・マガジン」で募集していた「beatmaniaのサウンドクリエイター」に応募し、竹安弘、南雲玲生との面接を経てコナミに入社。 BEMANIシリーズでは、ワープ・レコーズのブラック・ドッグやエイフェックス・ツイン、オウテカのような本格的なクラブサウンドを紹介すべく、テクノやエレクトロニカを中心に提供。 2004年にコナミを退社。napakickのNapalmと共に期間限定ユニット「MAGIC GANG」を結成、コナミ入社前の楽曲を集めたアルバム「BEYOND THE DEAD FUTURE」やコンピレーション・アルバムをリリース。 松武秀樹が代表取締役社長を務めるミュージック・エアポートに入社。
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