1990年 - 2015年:生い立ち、芸能界入り
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1990年8月3日に岡山県で生まれた。父は地元・岡山県の小学校教員、祖父は地元農協の幹部、祖母は幼稚園教員。小学生・中学生時代は常にクラスの盛り上げ役で、小学生のころから同級生とお笑いコンビを組んで場を盛り上げていた。岡山市立平島小学校、岡山市立上道中学校、岡山県立岡山大安寺高等学校(現岡山県立岡山大安寺中等教育学校)を卒業。教員を目指し、島根大学教育学部に入学。陸上部に所属し、長距離選手だった。大学時代のゼミは加藤寿朗ゼミ(加藤教授はのちに教育学部の副学部長に着任)。しかし、大学は3年で中退した。中退の理由は、父と同じように教員免許を取っておけば仕事に困らないだろうという考えはあったが、周りの学生たちのように頑張りたい目標が無く、自分は何をやったらいいかと突き詰めて考えたところちょっと鬱っぽくなったこともあって本当に辛かったことを理由の一つとしている。このことから当時食べることでストレス発散していたところ、体重が一気に30kgほど増えたというエピソードも存在する。また他の理由には、ペットのハムスターが亡くなったことや、「ああもうこれは(大学を)辞め時だ」と感じたためということもあった。帰郷してしばらくは実家に滞在し、地元・岡山の劇団で活動したあと、大阪の音楽専門学校に進み、大阪で歌の活動を始めた。 大阪で活動していた当時、友人がワタナベエンターテインメントカレッジを受験すると聞いて2013年に一緒に上京し、同校に入学した。しかし、自身は歌手ではなくタレントの方を勧められ、バラエティタレントコースに入った。その中でネタの授業があったのをきっかけに、ネタ作りに興味を持った。お笑いライブを手伝ったことで「芸人」のかっこよさに惹かれ、芸人になることを決めた。同校を2015年9月に卒業したあと、ワタナベエンターテインメントに正所属となり、同年中にデビューした。ワタナベコメディスクール21期と同期扱いとなった。芸名の名付け親は、同じ事務所の先輩・はなしょーの杵渕はな。自分の芸名で悩んでいたときに初めて杵渕に会い、杵渕曰く当時のブルゾンは見た目が女子プロレスラーのような雰囲気だったことから、ブル中野のイメージと「ちえみっぽい!」という簡単なノリで3秒で決まったという。なお、ブルゾンというのは英語・フランス語で、"blouson" と書く。
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