1990年 - 2002年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/21 20:59 UTC 版)
「イランの核開発計画」の記事における「1990年 - 2002年」の解説
1990年初頭、ロシアはイランにロシアの原子力専門家と技術情報を提供する共同研究機関「ペルセポリス」を設立した。ロシア連邦宇宙局など5つのロシア機関がイラン政府のミサイル改良を援助した。イランとの技術情報の交換はロシア対外情報庁(SVR)のトルブニコフ長官が個人的に承認した。当時のボリス・エリツィン大統領はイランに民生用原子力技術を提供する一方で、その問題を米国政府と話し合うという「二股政策」を取った。 1990年、イランは、核開発計画の新たなパートナー探しのために国外に目を向けた。しかし極端に異なる政治的風土と懲罰的な米国の経済制裁により候補はほとんど見つからなかった。 1995年、イランは、ロシアの原子力省と契約を交わし、部分的に完成していたブーシェフル原発の工事再開を目指し、2009年完成をめどに、すでにあるブーシェフル第1原発ビルへの915メガワット級VVER-1000加圧水型原子炉の設置を開始した。 1996年、米国は1980年代からイランに小型原子炉など核技術を提供してきた中国に対してエスファハーン原子力技術センターのウラン転換施設建設から撤退するよう説得することに成功した。しかし、中国政府はイラン政府に施設の設計図を提供し、同政府はIAEAに計画継続を通知、当時のモハメド・エルバラダイIAEA事務局長は同建設地への訪問さえ行った。
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