1990年 - 2000年: ブレイク期
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「マライア・キャリー」の記事における「1990年 - 2000年: ブレイク期」の解説
デビュー当時のキャッチコピーは「7オクターブの音域を持つ歌姫」。音域をいっぱいにまで使った曲はデビューから今もなおよく見られ、最も高い声を出す人としてギネス・ブックに認定されていた。 1991年には女性アーティストとして3人目となる『ビルボード』誌のアーティスト・オブ・ザ・イヤーに選ばれる。 アルバム『Music Box』(1993年)、『Daydream』 (1995年)は全世界で各2500万枚を超える大ヒットとなった。Boyz II Menとのデュエット曲「One Sweet Day」は1995年から1996年にかけてBillboard Hot 100で16週連続No.1を獲得。この最長記録は2019年にリル・ナズ・X「オールド・タウン・ロード」が19週連続No.1を達成するまで、破られることはなかった。 1995年、キャンプ・マライアを設立して、低所得者層の恵まれない子ども向けに芸術や就業機会を学ぶ場を提供している。同時にFresh Air Fundの設立もしていて、1700万人以上のNYの治安が悪い地域の子どもたちに無料の夏休みを提供している。 1996年にはPeace Officer's Memorial Serviceに参加し、ビル・クリントン(第42代大統領)の前で「Hero」を披露した。 1997年、アルバム『Butterfly』からの1stシングル「Honey」を発表。この曲は当時の音楽界に衝撃を走らせ、マライアによるこの曲の発表によってポップスなどから、R&BやHip-Hopなどがアメリカでは全盛期を迎えることになった。 アルバム『Butterfly』では、張りのあるヴォーカルよりもささやくようなコーラスやフェイクが目立つようになる。音楽的にはそれまでのアダルト・コンテンポラリーから、多くのラッパーを起用したR&B、ヒップホップ系に大きくシフトした。後に彼女がバタフライをトレードマークとしているように、一時の商業的ポップ志向から離れ、マライア独自の芸術性・音楽性を開放していくきっかけとなった。ヒップホップビートのサンプリングや、ラップとヴォーカルの融合によるクロスオーバーは、マライアが1993年頃から試みている事でもあった。またミュージック・ビデオやステージ・パフォーマンスで、胸を強調したセクシーな衣装・表現が増え、この傾向は後の作品でますます強くなっていく。 1998年にはホイットニー・ヒューストンとのデュエット曲「When You Believe」(映画『プリンス・オブ・エジプト』主題歌)を発表。同年発売された初のベスト・アルバム『#1's』に収録された。 この時点で、彼女が会社(ソニー・ミュージック)に生み出した利益は1000億円を超えたと言われている。
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