1990年 - 2001年
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「ラジニカーント」の記事における「1990年 - 2001年」の解説
1990年1月に『Panakkaran』(バッチャン主演作『Laawaris』のリメイク映画)に出演し、同作はブロックバスターを記録した。続けて出演した『Athisaya Piravi』(チランジーヴィ主演作『Yamudiki Mogudu』のリメイク映画)、『ダルマドゥライ 踊る!鋼の男』も興行的な成功を収めた。1991年には『タイガー・炎の3兄弟』でバッチャンと2度目の共演を果たし、同作への出演は『バーシャ! 踊る夕陽のビッグボス』を製作するきっかけを与えた。同年11月には『マハーバーラタ』を題材としたマニ・ラトナム(英語版)の『ダラパティ 踊るゴッドファーザー』で主演を務めた。同作ではマンムーティ(英語版)と共演してカルナとドゥルヨーダナに基づいたキャラクターを演じ、批評家から高い評価を得た。この時期にはヒンディー語映画、テルグ語映画のリメイク映画に多く出演し、1992年には『Annaamalai』(『Khudgarz』のリメイク映画)に出演した。同年1月に『Mannan』(ラージクマール(英語版)主演作『Anuraga Aralithu』のリメイク映画)に出演し、興行的な成功を収めた。1993年の『Valli』では初めて脚本を手掛け、プロデューサーを兼務した他にカメオ出演している。同年には『ヤジャマン』では村長役を演じ、1994年に出演した『ヴィーラ 踊るONE MORE NIGHT!』は結末が賛否両論となったものの興行的な成功を収めた。 1995年にはスレーシュ・クリシュナ(英語版)の『バーシャ! 踊る夕陽のビッグボス』に出演し、同作の記録的ヒットと批評家からの絶賛によりラジニカーントは大衆にとってスター俳優から「半神」に近い崇拝の対象へと変わった。また、『Pedarayudu』(『Nattamai』のリメイク映画)では友人モハン・バーブ(英語版)のためにリメイク権を取得するため協力し、同作にも友情出演している。同年8月には『Aatank Hi Aatank』でアーミル・カーンと共演した。同年10月にK・S・ラヴィクマール(英語版)の『ムトゥ 踊るマハラジャ』(モハンラル主演作『Thenmavin Kombath』のリメイク映画)で主演を務め、同作は日本で半世紀振りに公開されたインド映画となった。同作は日本で4億円の興行収入を記録し、ラジニカーントの大規模なファン層が形成された。この人気はニューズウィークでも取り上げられ、「ラジニカーントはレオナルド・ディカプリオに代わり、流行りの人気俳優となった」と報じている。2006年12月14日にインド首相マンモハン・シンは日本の国会で行った演説の中で、『ムトゥ 踊るマハラジャ』が日本人の間で人気を得ていることを引き合いに日印関係の良好さについて言及している。同年12月には『Bhagya Debata』でベンガル語映画デビューし、1997年には『アルナーチャラム 踊るスーパースター』で興行的な成功を収めた。1999年に『パダヤッパ いつでも俺はマジだぜ!!(英語版)』でラムヤ・クリシュナ、サウンダリヤー(英語版)と共演してブロックバスターを記録した。
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