1990年 - 2010年(長野県リーグ/北信越リーグ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 00:17 UTC 版)
「AC長野パルセイロ」の記事における「1990年 - 2010年(長野県リーグ/北信越リーグ)」の解説
1990年、長野県北信地域の複数の高校サッカー部OBを中心に長野エルザサッカークラブとして発足。1996年、北信越フットボールリーグに昇格。1999年に県リーグに降格するも翌年北信越リーグに再昇格すると、松本、金沢、JAPANサッカーカレッジ(JSC)らと争い、2002年に初優勝。全国地域サッカーリーグ決勝大会(以下「地決」)に初出場している。2004年には全国社会人サッカー選手権大会(以下「全社」)、天皇杯に初出場するが、いずれも初戦で敗れた。 2005年、支援組織として「Athle-nagano」が発足。2006年、「長期的視野に立ち、地元出身者を活かし、高いレベルの指導者により、選手を育成しながらJを目指したい」という考えから、イラン代表元監督のヴァルデイル・バドゥ・ヴィエイラが監督に就任。要田勇一、貞富信宏の2人のプロ契約選手の獲得や、天然芝グラウンド(千曲川リバーフロントスポーツガーデン)への練習拠点の移転、クラブハウスの設置、更には選手が半日就労後に行う2部練習の体制等を発表するなど、ヴィエイラの方針に則った練習環境の整備が行われた。 2007年1月15日に運営組織を株式会社化。また商標登録の関係から新たなクラブ名を公募し、名称を長野エルザサッカークラブからAC長野パルセイロへ改称。2008年2月には長野市、千曲市、須坂市、中野市の4市や競技団体など30団体で構成する「ホームタウンながの推進協議会」が発足した。 2008年は北信越リーグおよび第44回全社で優勝したが、第32回全国地域サッカーリーグ決勝大会はグループリーグ3位で敗退。翌2009年は北信越リーグで2位に終わり、JFL昇格はならず。ヴィエイラがシーズン終了後に退任した。 2010年、コーチの薩川了洋が監督に就任。JSCから移籍してきた諏訪雄大や宇野沢祐次の活躍もあり、北信越リーグを無敗(12勝2分)で制す。9月の鈴木政一(ジュビロ磐田元監督)の強化本部長就任を経て、第46回全社、第34回地決をともに準優勝し、同年12月8日に日本フットボールリーグ(JFL)理事会でJFLへの入会が承認された。
※この「1990年 - 2010年(長野県リーグ/北信越リーグ)」の解説は、「AC長野パルセイロ」の解説の一部です。
「1990年 - 2010年(長野県リーグ/北信越リーグ)」を含む「AC長野パルセイロ」の記事については、「AC長野パルセイロ」の概要を参照ください。
「1990年 - 2010年」に関係したコラム
-
CFDのトウモロコシ相場は、生産国や消費国の情勢、気候などにより値動きが大きくなります。この値動きは、テクニカル指標では分析できないほど荒い値動きになります。ここでは、過去のトウモロコシ相場を振り返り...
- 1990年 - 2010年のページへのリンク