1990年 - 1998年:Appleの衰退
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「Macintosh」の記事における「1990年 - 1998年:Appleの衰退」の解説
1990年5月に発売されたMicrosoft Windowsの第3弾、Windows 3.0は、MS-DOSをベースにしたグラフィカルなOSではあったが、高価なMacintoshと同等の機能と性能を備えた初めてのWindowsであった。当時、MacintoshはまだWindowsよりも優れていると考えられていたが、この時点でWindowsは「平均的なユーザにとっては十分な性能を持っていた」とされていた。また、前年にジャン=ルイ・ガセーがMacの利益率を下げることを断固として拒否していたことも追い討ちをかけた。さらに、1989年には急激に拡大したパソコン業界を揺るがす部品不足が発生し、Apple USAの責任者であるアラン・ローレンは値下げを余儀なくされ、Appleの利益率は低下した。 これを受けて、Appleは1990年10月に比較的安価なMacを発売した。2001年初頭までは、Macintosh SEの廉価版であるMacintosh Classicが最も廉価なMacとして販売された。MC68020を搭載したMacintosh LCは、ピザ箱のような独特の筐体にカラーグラフィックを搭載し、512×384ピクセルの低価格カラーモニタを販売していた。また、Macintosh IIsiは、20MHzのMC68030で、拡張スロットを1つ付けただけのものであった。この3機種はいずれもよく売れたが、Appleの利益率はそれまでの機種に比べてかなり低かった。 1991年には、32ビットに書き換えられたMacintoshシステム「System 7」が発売され、カラーグラフィックスの性能向上(Truecolor対応)、仮想メモリの導入、ネットワーク、協調マルチタスクの標準化などが行われた。また、この時期、Macintoshは「スノーホワイト」デザインから少しづつ脱却し、Frogdesignに支払っていた高額なコンサルティング料も払わなくなっていた。Appleは、1989年にロバート・ブルーナーを雇ってデザインを内製化を進め、彼はApple Industrial Design Groupを設立し、すべてのApple製品の新しいデザインを担当することになった。同年10月にはMacintosh Classic II、Macintosh LC IIのほか、Appleの最上位機種であるMacintosh Quadra(700、900)と、Macintosh Portableに比べて現在のノートパソコンに近いPowerBook(100、140、170)の2つのコンピュータファミリーが発売された。ソニーがAppleのために開発・製造したPowerBook 100と、Apple社内で開発されたPowerBook 140, 170は、キーボードをスクリーンの下に配置し、トラックボールとパームレストのためのスペースを確保するなど、後に標準となる斬新なデザインを採用している。 1993年、Appleはさらに広い市場を開拓するために、PerformaとQuadraの間に位置し、その名の通りAppleの製品群の中心となるMacintosh Centrisを発売した。1994年に、Appleは新たな入力デバイスとして、PowerBook 500シリーズからトラックパッドへ移行した。また、モトローラのMC680x0アーキテクチャの採用が中止され、1991年にApple、IBM、モトローラの3社で結成されたAIM連合が設計したRISCアーキテクチャであるPowerPCが採用された。この新しいプロセッサファミリーは、Macintoshの新しいファミリーであるPower Macintosh(後にPower Macと略される)を生み出した。1995年1月、生産開始から1年も経たないうちに、Appleは100万台の販売を発表し、相対的な成功を示した。 しかし、このような努力にもかかわらず、インテルのマイクロプロセッサとMicrosoft Windowsシステムを搭載したPC互換機に押され、Appleのシェアはますます低下していった。この傾向は、新しいIntel Pentium搭載のコンピュータやWindows 95の発売により、ますます強まっていった。後者は、PCのマルチメディア機能を向上させ、WindowsのインターフェースをMacのシステムにどんどん近づけていった。これを受け、AppleはOSのライセンスプログラムを開始し、他社がSystem 7を搭載したコンピューターを販売できるようにした。これらのマシンは「クローン」と呼ばれている。しかし、これらのクローンのシェアは、主にAppleのMacintoshのシェアを侵食しただけで、その目的は達成されなかった。 スティーブ・ジョブズの復帰直前の1997年5月に、Appleの20周年を記念し、12,000台の「Twentieth Anniversary Macintosh」が発売された。しかし高価格に見合わない低性能で販売は、ふるわず大幅値下げで在庫処分された。この機種は、当時PowerBookに搭載されていたようなフラットスクリーンを搭載しているのが特徴で、Appleのデスクトップパソコンとしては初の試みだった。 1997年7月、ジョブズがAppleで復権した後、廃止されたCoplandプロジェクトに代わって、System 7.7がMac OS 8と改称された。AppleはSystem 7のみをサードパーティメーカにライセンスしていたため、クローン製品の販売に終止符を打つことができた。
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