1990年 - 1994年: ブロンド・アンビション・ツアーからベッドタイム・ストーリーズ
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1990年3月、シングル「ヴォーグ」を発表。ミュージック・ビデオで披露されたヴォーギングが流行して600万枚以上を記録する大ヒットとなる。4月には通算3度目のツアー「ブロンド・アンビション・ツアー」を敢行、来日公演を皮切りに4ヶ月間、全57公演を行った。5月、出演映画『ディック・トレイシー』を基に作られたサウンドトラック『アイム・ブレスレス』を発売。11月には初のベスト・アルバム『ウルトラ・マドンナ〜グレイテスト・ヒッツ』を発売し、全世界でソロ・アーティストのベスト・アルバムとしては史上最高売上となる3000万枚を記録する。アルバムからのシングル「ジャスティファイ・マイ・ラヴ」のミュージック・ビデオは、性的表現が過激と見なされMTV史上初の放送禁止となった。 1991年3月、第63回アカデミー賞で「スーナー・オア・レイター」が「アカデミー歌曲賞」を受賞。5月、第44回カンヌ国際映画祭において、「ブロンド・アンビション・ツアー」の舞台裏から彼女の私生活までを赤裸々に綴った自身初のドキュメンタリー映画『イン・ベッド・ウィズ・マドンナ』が初上映される。公開当時、ドキュメンタリー映画史上最高の世界興行記録を更新した。 1992年、米タイム・ワーナーと当時としては破格の6000万ドルで契約し、総合エンターテイメント会社「マーヴェリック」(Maverick)を設立、社長に就任する。7月、野球選手役で出演した映画『プリティ・リーグ』が公開、主題歌「マイ・プレイグラウンド」は自身10曲目となる全米1位を記録した。10月、5thスタジオ・アルバム『エロティカ』と、スティーブン・マイゼルによって撮影された自身初の写真集『SEX』を同時発売。『SEX』は過激な性的描写が物議を醸したものの、アメリカでは毎週50万部という驚異的なセールスを記録した。 1993年、主演を務めた映画『BODY/ボディ』と『スネーク・アイズ』が公開。9月から通算4度目のツアー「ザ・ガーリーショー・ツアー」を敢行し、12月の来日公演で千秋楽を迎えた。 1994年3月、米CBSのトーク番組『レイト・ショー・ウィズ・デイヴィッド・レターマン』で放送禁止用語を連発し、世間の非難を浴びた。10月、ベイビーフェイスをプロデューサーに起用した6thスタジオ・アルバム『ベッドタイム・ストーリーズ』を発売。アルバムからのシングル「テイク・ア・バウ」は自己最長記録となる全米7週連続1位を記録する大ヒットとなった。
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