コナミ入社前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/09 00:59 UTC 版)
17歳の頃にギターを始め、プログレッシブ・ロックバンド「カリスマ」を結成。このバンドのドラマーは後に手数王と呼ばれる菅沼孝三。その後、飢餓同盟の小西健司と共に「DADA」を結成。2枚のアルバムを残した。DADA解散後、イラン人サックスプレーヤー、ソーラブ・サダト・ラジュバーディ率いる「SADATO GROUP」にギタリストとして参加。ヨーロッパツアー等を行った。(SADATO GROUPのヨーロッパツアーについて語っていると思われるコラムがGUITARFREAKS 8thMIX & drummania7thMIX内、Musician's Room 5(MR5)に存在する) 1985年、後にコナミで共に仕事をすることとなる宇佐見斉や深見誠一(プロフィット深見)らとKENNEDYを結成。1stアルバム『Twinkling NASA』においては、DADAの音楽性を押し進め、シンセサイザーを中心としたメロディアスなロックを繰り広げていた。この後、元飢餓同盟の安田隆がメンバーとして参加。ライブアルバムとなった2nd『Kennedy!』において、メンバー同士が格闘し合うかの様な激しいライブパフォーマンスを繰り広げた。しかし、キーボーディストが不慮の事故により他界。KENNEDYは解散した。 KENNEDY解散後、安田、ノヴェラの五十嵐久勝と共にハードロックバンド、「Kremlin」を結成するも、短命で終わった。その後「After Dinner」、「MILLPLAT」を経て、コナミ株式会社の社内バンドコナミ矩形波倶楽部に「ルーズベルト泉」という名義で参加。安田はセラピストとして違う道を歩むことになった。 KENNEDYで活動していた頃、同時に複数のバンドプロジェクトを行っていた。そのうちの1つ、「再現レッドツェッペリン」では、ベースギターでテクニカルなフレーズを連発した。
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