コナミ時代とは? わかりやすく解説

コナミ時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 01:22 UTC 版)

岡本吉起」の記事における「コナミ時代」の解説

1981年コナミイラストレーターとして入社したが、デザインではなく企画部署回される出世作となるアーケードゲームタイムパイロット』は本人の談によれば当時の上司が企画した作品本人曰く教習所モチーフにしたドライブゲームとの事)を開発するフリしながら完全に独断作り上げたものだという。後戻りできない段階でようやく事後報告として上司披露報連相無しのこの行動は当然大い怒り買ったが、そのまま発売したところ記録的な大人気となり、上司態度一変させた。他に『ジャイラス』等を開発1983年コナミ退職するが、本人によれば「元々10月発売予定だったゲーム最後にコナミ退社する予定だった」ものの、8月夏休み取っている間に当時同僚だった有馬俊夫(後に『魔界村』等を開発)が社長に岡本連れて辞める」と見得切ったため、その煽り食って懲戒免職なりかけた。最終的に自主退職の形にはなったものの、会社においてあった私物書籍300冊など)は返還されなかったという。

※この「コナミ時代」の解説は、「岡本吉起」の解説の一部です。
「コナミ時代」を含む「岡本吉起」の記事については、「岡本吉起」の概要を参照ください。


コナミ時代(1990年 - 2014年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 03:53 UTC 版)

五十嵐孝司」の記事における「コナミ時代(1990年 - 2014年)」の解説

1990年大学卒業後、コナミ入社した。彼が最初に関わったプロジェクトは、教育ソフト部門シミュレーションゲームプログラマーだった。そのゲーム経営シミュレーションであり、開発チームは『ファイアーエムブレム』の影響受けていたが、12ヶ月後に開発中止された。彼はコンシューマー部門移りPCエンジン版出たな!!ツインビー』の敵プログラム手掛けたPCエンジンSUPER CD-ROM2恋愛シミュレーションゲームときめきメモリアル』では、彼はプログラマーとして働きつつ、ストーリー執筆担当した当時交際していた女性(後に妻となる人物)もコナミ従業員で、彼女は『悪魔城ドラキュラX 血の輪廻』に携わっていた。彼女は五十嵐に『ときめきメモリアル』のストーリー書き方アドバイスし五十嵐休憩時間に『血の輪廻』をプレイしていたという。五十嵐は『ときめきメモリアル』の続編手がけるようにと上司言われたが、その気がないことを上司伝え異動願い出た。『ときめきメモリアル』の売れ行き好調だったため上司もそれを受け入れ五十嵐希望する悪魔城ドラキュラ』の東京開発チーム悪魔城ドラキュラ開発チーム複数あった)へと加わった。 その開発チームスーパー32X用の『悪魔城ドラキュラシリーズ作開発始めたが、失敗終わった32XよりもPlayStation注力するというコナミ判断により同作開発中止された。次のプロジェクトPlayStation用ゲーム『悪魔城ドラキュラX 月下の夜想曲』で、五十嵐古川敏治と共作したシナリオプログラム担当した同作制作中も五十嵐引き続きときめきメモリアル』に関わっており、『ときめきメモリアル』と『月下の夜想曲』の開発行き来していた。同作制作途中にはディレクター萩原徹がプロデューサー昇進してプロデューサーディレクター兼任するようにもなり、五十嵐アシスタントディレクター昇格している。同作への批評家からの評価高く、後に「メトロイドヴァニア」と呼ばれるジャンル影響与えたが、売り上げには繋がらなかった。 『月下の夜想曲』のリリース後2000年発売されPlayStation用RPG『エルダーゲート』のディレクター務めたシナリオ重視した大作主義RPGは一旦中断すると再開後にプレイ意欲なくしてしまうという五十嵐体験から、気が向いたときにプレイでき、プレイするたびに新鮮さ感じられるようなゲーム作りたかったと語る。同作は『ファミ通』で40点中22点評価受けたその後1993年発売されていたX68000ゲーム悪魔城ドラキュラ』のPlayStationへのアレンジ移植作となる『悪魔城年代記 悪魔城ドラキュラ』でプロデューサー務めゲームボーイアドバンスでの『悪魔城ドラキュラシリーズ2作目となったキャッスルヴァニア 白夜の協奏曲』ではプロデューサーシナリオ務めた同作は『月下の夜想曲のようなゲーム作ることを目指しており、、『月下の夜想曲』のキャラクターデザイン手掛けた小島文美復帰させたこともその一環だった。五十嵐ゲームボーイアドバンス前作悪魔城ドラキュラ サークル オブ ザ ムーン時のゲーム機画面暗すぎると感じており、ゲーム画面をより明るくする必要性感じていた。 コナミ在籍中五十嵐は、しばしばカウボーイハットを被って革製の鞭を振り回す姿で表にあらわれ、E3などのメディアイベントにもその格好登場した2007年3月ライターのウォーレン・エリスは、『悪魔城伝説』のDVDアニメ制作五十嵐共同進めていることを発表したエリスは、新たなバックストーリー執筆含め同作シリーズ時系列合わせるために五十嵐どのように協力したのか、プリプロ用の資料を8回も書き直すように五十嵐求めたことを明かした何年にもわたる開発地獄経て、同プロジェクト2017年に『悪魔城ドラキュラ -キャッスルヴァニア-』としてネットフリックス公開された。 2008年東京ゲームショウ五十嵐漆黒の闇を纏い呪われた血族主役据えたPlayStation 3Xbox 360発売予定する新作ゲームティザー映像披露した五十嵐はのちに、同プロジェクトには多く時間予算費やされていたにも関わらず開発は順調ではなかったことを明かしている。並行してスペインデベロッパーMercurySteam五十嵐とは別で『悪魔城ドラキュラシリーズの新作プロトタイプ制作していたが、五十嵐はそれが自身プロジェクトよりもよく見えたと語る。コナミ五十嵐プロジェクトの中止決定し2010年MercurySteam開発による『キャッスルヴァニア ロード オブ シャドウ』を発売している。五十嵐その後2D悪魔城ドラキュラタイトルについての企画提案行っていない。 2011年Xbox 360横スクロールシューティングゲーム『オトメディウス エクセレント!』Kinectゲーム『リードミーズ(英語版)』のプロデューサー務めたほか、ニンテンドーDS用ゲームヒラメキパズル マックスウェルの不思議なノート』のローカライズにも携わった2011年末、彼はコナミソーシャル部門異動になったコナミビジネスモデルモバイルゲーム開発シフトしていくなか、五十嵐コンシューマーゲームのようにプレイできるモバイルゲーム開発しよう試みたが、タイトルリリースできなかった。五十嵐は自らのコンシューマーゲームでの経験が、ソーシャルゲームへの躍進妨げていると感じた2014年3月コナミ退職した五十嵐は『悪魔城ドラキュラシリーズで一番気に入っている作品について、開発携わったものの中では『月下の夜想曲』を挙げシリーズ全体では『悪魔城伝説』を挙げており、サウンド良さ世界設定が最も好きな理由としている。ほかにはシリーズ変化もたらした作品であるとして自分プロデュースしたキャッスルヴァニア 〜暁月の円舞曲〜』をお気に入り挙げている。

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