コナモン協会設立以後
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2002年10月頃、日本コナモン協会設立を思い立ち、準備を開始した。設立動機として、後に友人から「なぜ大阪にたこ焼き博物館がないのでしょうか」とのメールを受け取ったからだと明かしている。2003年3月7日、コナを挽く・練る・加熱のプロセスを知るための、子ども連れの家族にも楽しめる協会設立記念プレ・イベント「親子でたこ焼き塾〜粉を挽くところからはじめよう」(第1回ワークショップ)を大阪市中央区のキリンプラザ大阪で開催。同時に語呂合わせで5月7日を「コナモンの日」とし、日本記念日協会(長野県佐久市)から記念日認定を受けた。[要出典]同年5月7日には東京都豊島区東池袋の speakeasy (スピーキージー)において記念イベントを催し、この日を協会の発足日とした。協会の役員には、大阪大学浪花文化研究会顧問の阿部未奈子、民族学者の石毛直道のほか、民俗学者、料理研究家、料理評論家、文化プロデューサー、編集者、医者など、文化人、学者、業界関係者を理事に据えた。 同年9月1日に協会公式サイトを立ち上げ、12月22日に専用掲示板 (BBS)「こなもん食堂」(現・コナモン掲示板)を開設。熊谷は「『偉大なるコナモン』の魅力を“オモシロまじめ”に考える民間道楽団体」と称し、協会を関西のみならず信州の「お焼き」や大分の「団子汁」など郷土料理にまで手を広げて研究し、粉食文化を振興する拠点とした。[要出典] 協会の設立と並行して、2003年9月には『大阪たこ焼33ヵ所めぐり』(2003年度版)を西日本出版社(社長・内山正之)から出版。単なるたこ焼き屋の紹介ではなく、たこ焼き屋の立地条件、店の経営者のプロフィールなどを丹念に辿りつつ、たこ焼き文化から、たこ焼きの歴史まで目配りし、巡礼になぞらえた遊び心のある本にまとめ、熊谷真菜20年間の取材を集大成したものとなった。発売直後の週は、大阪駅・紀伊国屋書店梅田本店で、単行本全体で11位、実用書部門で1位となるなど、売れ行きは好調であった。熊谷のたこ焼き取材歴は20年をこえ、協会設立三年後に大阪で世界コナモン博覧会を、そして設立十年後にはコナモンミュージアム設立に向けた活動を宣言した。[要出典] 2004年3月4日、道頓堀のキリンプラザ大阪で日本コナモン協会第一回総会を開催。2005年には世界コナモン博覧会ではなく、「日本全国コナモンまつり2005」と題したイベントを大阪・なんばグランド花月前で開催。2006年4月、同協会主催で、コナモンの可能性を広げるため、高校生を対象に創作料理のレシピを競う「高校生創作コナモンバトル」を開催し、グランプリ(最優秀作)は長野県須坂高校のリンゴを蕎麦がきでくるんで揚げてつくる「産地直送! もぎたてりんご」に決定[要出典]。大阪府吹田市の千里万博公園にある「大阪ガス 生活誕生館ディリパ」にて開催した「日本全国コナモンまつり2006」会場でお披露目会を行なった。2006年の「コナモンまつり」開催にあわせて協会公式サイトをリニューアルすると同時に、自身のブログ『コナモン日記』を日本コナモン協会公式サイトへと移動した。ラーメン連、鉄板連、など協会認定「連」も少しずつ増え、公式サイトを持つ連も登場している。[要出典]
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