設立~16ビット機時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 15:50 UTC 版)
「トレジャー」の記事における「設立~16ビット機時代」の解説
トレジャーの創業者であり社長でもある前川正人は、子供の頃からゲーム業界で働くことを夢見ており、中学生の時にプログラミングを覚え始めた。彼は大学でプログラムを学び、卒業後コナミに入社した。コナミ時代の前川は、のちに彼とともにトレジャーを設立することになる同僚たちとともにアーケードゲーム『ザ・シンプソンズ(英語版)』(1991年)、『バッキー・オヘア(英語版)』(1992年)、スーパーファミコン用ソフト『悪魔城ドラキュラ』(1991年)、『魂斗羅スピリッツ』(1992年)、『アクスレイ』(1992年)など様々のゲームを開発した。1991年、前川と複数名のコナミ従業員は、『ガンスターヒーローズ』(1993年)へと繋がるオリジナルゲームの企画を立案したが、その提案は会社によって却下された。前川と彼のチームは、コナミが『悪魔城ドラキュラ』や『ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ』といったすでに定評が固まったシリーズの続編に依存する傾向をみせていたことに不満をつのらせていた。ユーザーはオリジナルのゲームを求めていると彼らは感じ、1992年にコナミを離れてトレジャーを設立すると『ガンスターヒーローズ』の開発を続けた。 トレジャーは1992年6月19日に設立された。社名には業界にとってのtreasure(宝物、大事なもの)になりたいという思いが込められている。設立当時の従業員数は10名強だった。コナミ時代はスーパーファミコン用のゲームを手掛けていたスタッフが多かったにもかかわらず、『ガンスターヒーローズ』をメガドライブ用に開発することに決めたのは、彼らが目指していたビジュアルやゲーム性には同ハードのMC68000マイクロプロセッサが必要であったためである。パブリッシング契約をセガに持ちかけた当初、トレジャーには実績がなかったため企画は通らなかったが、代わりに『マクドナルド トレジャーランドアドベンチャー(英語版)』(1993年)の開発を請け負うことになった。同作の開発開始から数カ月後、『ガンスターヒーローズ』の開発が承認された。トレジャーのスタッフは2つのチームに分かれ、両作を並行して開発した。スタッフはコナミよりもセガの下で働くほうが自由度が高いと感じていた。 先に完成したのは『マクドナルド トレジャーランドアドベンチャー』だったが、トレジャーはオリジナルのゲームをデビュー作としてリリースしたかったので、『ガンスターヒーローズ』を最初に発売することにした。北米のゲーム雑誌『GameFan』は同作に魅了され、同年トレジャーに初の英語インタビューを行った。次にリリースされた『マクドナルド トレジャーランドアドベンチャー』は、トレジャーがライセンスを受けてゲームを開発する流れを作ることになった。小さなスタジオであるトレジャーは、ライセンスゲームで得られた収益をオリジナルプロジェクトの開発に充てていた。16ビット機時代のトレジャーは、スプライトの動きが滑らかであることからその後もメガドライブ用ゲームの開発を続け、セガファンの間で人気を集めた。『ガンスターヒーローズ』以降、トレジャーは4つの開発チームに分けられ、『ダイナマイトヘッディー』(1994年)、『幽☆遊☆白書 魔強統一戦』(1994年)、『エイリアンソルジャー』(1995年)、『ライトクルセイダー』(1995年)を開発した。
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