設立から倒産まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 20:18 UTC 版)
「エレックレコード」の記事における「設立から倒産まで」の解説
1969年に設立され、1970年、広島フォーク村の吉田拓郎をスカウトし、1971年6月リリースされた『よしだたくろう オン・ステージ ともだち』がヒットし、会社が軌道に乗る。 その後も泉谷しげる、佐藤公彦ら人気ミュージシャンのレコードをリリースし急成長。設立時は新宿の喫茶店の2階、僅か15坪の事務所だったが、3年で年商20億、新宿管内では伊勢丹に次ぐ高額納税企業になった。7階建ての本社ビルを建設し、最盛期には社員100人を越えた。 しかし1972年以降は、吉田拓郎や泉谷しげるをはじめとする看板アーティストの移籍・独立が相次いだ。1972年1月には吉田拓郎がCBSソニーに移籍。1973年には、海援隊が『風雲編』を最後にテイチクレコードへ移籍、スタッフの一人が音楽出版社を設立。1974年5月にはスタッフの一人が古井戸とともに音楽出版会社を設立。1974年10月には泉谷しげるが『黄金狂時代』を最後にレコード会社を移籍。1975年7月にはケメ(佐藤公彦)が『遠乗りの果て』を最後にレコード会社を移籍した。 1974年12月には、URCレコードの販売を受託している。 エレックレコードは1976年7月15日、1,300万円の不渡りを出して倒産した。負債総額は12億円。エレックレコードの社員であった門谷憲二は、倒産の原因を放漫経営と分析している。
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