設立から冷戦終了まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/08 04:55 UTC 版)
「スイス・リー」の記事における「設立から冷戦終了まで」の解説
1861年5月に発生したグラールスの大火災により、多数の市民が住居を失った際、大規模な災害に備える保険商品の必要性が認識され、クレディ・スイス、UBS、Helvetia Insuranceの出資により、1863年12月、チューリッヒでスイス再保険会社が設立された。翌1864年、ヨーロッパ諸国の保険会社に海上・火災再保険の提供を開始、1865年に生命再保険の、1881年に事故再保険の提供を開始した。1910年にアメリカ合衆国支店を開設、翌1911年にラテンアメリカに進出した。 設立初期はスイス国内の火災再保険が中心であったが、第一次世界大戦の勃発時、投資の中心はすでにイギリスとアメリカ合衆国に移っており、1916年、ロンドンを本拠とするマーカンタイル・アンド・ゼネラル保険会社(Mercantile&General Insurance Company)の株式の過半数を買収しイギリス事業を強化、のちにプルーデンシャルに売却することもあったものの1996年に同社を再度買収している。1923年、航空再保険の提供を開始、またニューヨークにアメリカの生命再保険事業を専門に取り扱う子会社のNorth American Reassurance Companyを設立した。他方、戦間期はドイツのバイエルン再保険会社を買収するなどヨーロッパ大陸側でも積極的な契約拡大を図ったものの、ナチス・ドイツの台頭に伴い、ドイツ企業との密接な関係は一旦終わりを迎えた。第二次世界大戦中、スイス連邦議会はスイス・リーに「連邦戦争保険」のテクニカル面での管理権限を与え、他方、戦争中に発生した負債は210億スイスフランを超え、10000件以上の請求が支払われた。 終戦後、東ヨーロッパ地域が共産党の支配下に入ると、スイス・リーはこれらの地域での事業の大半を失ったものの、アジア地域およびオーストラリアへ投資が振り向けられ、1955年にメルボルンに、翌1956年には香港にグループ会社を設立、また再保険以外の保険事業にも投資を拡げた。1964年の設立100周年では組織再編が行われ、世界75カ国の約1000社と再保険契約を締結していたが、1970年代以降も日本やラテンアメリカ地域など国際的な事業の拡大が目指され、1988年にイタリアのLloyd Adriaticoを買収、また同年スイス3位の再保険会社Union Reを買収した。
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