設立から小売業屈指の優良企業へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 14:05 UTC 版)
「ユーストア」の記事における「設立から小売業屈指の優良企業へ」の解説
株式会社ユーストアは、低コストによる未開発地域への店舗開発を基本に郊外を主力ターゲットに店舗展開を行うことで、鮮度の良い商品を安く提供する経営方針でスーパーマーケットを展開した企業である。 そのため、既成の市街地や商店街といった不動産価格の高い地域に出店するのではなく、人通りが少なくても地価は安くて広い敷地を確保できる郊外の田園地帯などで、近隣から自動車で来店しやすい道路状況になっている地区に広めの駐車場を併設した店舗を出店する戦略を採った。 なお、この広めの駐車場を持つ平屋建ての店舗を郊外に多数展開する戦略は、1972年(昭和47年)にアメリカで見学したKマートが急速に店舗を伸ばしていたことに着目したところから生まれたもので、同社が当時展開していた出店形式を元にしている。 この形式での店舗として、同社設立前にユニー本体がユーマート大樹寺店(のちのユニー大樹寺店)を開店しており、実際に営業する実験を行った後に会社を立ち上げる形となった。 また、1974年(昭和49年)から施行になった大規模小売店舗法への対応策として誕生した側面を持つため、布袋店(売場面積1,453m2)や蟹江店(売場面積1,467m2)のように設立当初は規制対象の売場面積約1,500m2を下回る規模での出店を行っていた。 しかし、1982年(昭和57年)以降は売場面積500~1,500m2の店舗も規制対象となったことから、法律の規制を避けて出店するという目的には、あまり役立たない形となった。 そうした目論見違いが一部あったものの、会社設立から1993年(平成5年)5月まで約17年間社長を務めた家田美智雄は、低コスト路線を徹底することで高収益企業へと成長させたと言われている。 そして、設立初年度から家田の社長在任中は毎年して増収を記録し続けた。(この連続増収記録は2005年(平成17年)2月期決算まで28期続いた。) また、この間には店舗の閉鎖も行わず、出店した全店舗を営業し続けていた。 その結果、1990年代初めごろには「大手総合スーパー系列の食品スーパーとしては唯一の成功例」と評されるところまで成長して業界の注目を集め、イトーヨーカ堂やしまむらなどと共に日本の小売業界を代表する優良企業と呼ばれるようになった。 こうした低コストを実現するため、年間売上高が約500億円で店舗数が19店に達していた1987年(昭和62年)10月時点でも本部はわずか16名で運営し、生鮮食料品が多く必然性が低いとして販売時点管理システム(POS)の導入も家田の社長時代には行われなかった。 その一方で、鮮度の良い商品を安く提供することを目指すため、「定休日前に売り尽くしをすることで、冷凍ケースなどの清掃を行い、休み明けの木曜日から鮮度の良い商品の販売を行う」との考えのもと、当時の定休日であった水曜日の前日に「火曜特売」を実施するようになったのも当時社長だった家田美智雄の発想であったとされている。 この火曜特売は、のちにユニーグループ全体で行われるようになった。 こうした低経費・高効率の経営体質を作り上げたことから、家田美智雄はユーストアの社長を退任する頃までには“怪物”の異名をとるほどの名物経営者として知られるようになった。
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