1972年開局時から80年代までとは? わかりやすく解説

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1972年開局時から80年代まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 01:39 UTC 版)

テレビ神奈川」の記事における「1972年開局時から80年代まで」の解説

開局当初テレビ局経験のある社員少なかったため、新人社員日本テレビテレビ朝日からの出向者より指導受けたという。1972年2月5日試験電波発射し3月5日午前11時からテストパターン放送開始し、鶴見親局から初め電波発射された。その後3月31日まで本社演奏所設備鶴見親局試験中継局試験兼ねたサービス放送」を開始サービス放送初日主な放送番組は、12時から『忍者ハットリ君+忍者怪獣ジッポウ』の第1話12時30分から「ドキュメンタリー 日本の美日光東照宮」、13時から映画辺境追跡』、14時15分から19時までテストパターン19時から『河童の三平 妖怪大作戦』の第1話1930分から「ドキュメンタリー あすをひらくロボットただ今開発中」、20時から映画夜霧よ今夜も有難う』を放送し2130分に終了した以降上記番組加えて3月15日16日には「神奈川県 ア・テスト解答速報」、3月31日には「大洋VS南海オープン戦中継」を放送した1972年4月1日午前9時からテストパターン放送同日午前9時30開局本放送開始午前9時30分から午前10時55分まで開局記念放送第1号番組はばたけTVK」を本社演奏所第1スタジオから生放送出演者津田文吾第7代神奈川県知事)、飛鳥田一雄(第18横浜市長)、河野謙三尾崎一雄高木東六桐島洋子柳原良平。他に、ミスTVK横浜市電運転士横浜港寄港する外国船の船長出演した)。開局当日キャッチコピーは「本日放送スタート!TVKキャッチしよう!! パパはやく,ママ出ているTVK」である。開局当日整備され親局鶴見局42ch、中継局小田原局46ch・平塚局31ch・久里浜局47ch。1972年5月1日開局した中継局南足柄局45ch。開局時の平日番組編成は、午前中に教育番組正午ワイドショー暮らしワイド リビング・ポート』、午後と夜はテレビ映画平日の放送開始時間は朝の9時30分、放送終了時間は夜の23時40分テレビ神奈川における最長寿番組は「JAグループ神奈川」提供の『緑への歩み』だった(2008年3月終了)。開局翌日1972年4月2日スタートである。 もともとは神奈川県筆頭に、横浜市朝日新聞毎日新聞読売新聞産経新聞中日新聞(5紙が同じ持株数を堅持)、ラジオ関東(現・アール・エフ・ラジオ日本)などが主要株主であった神奈川県経営権握っていた頃は、平日9:35 - 11:00金曜夕方神奈川県教育委員会制作教育放送学校放送)が組まれていた。津田文吾県知事同局社長会長務めた事がある経営80年代前半まで実に苦しかったと言われ経営不振80年初頭リストラなどにより壊滅状態になっていた制作体制だが、90年代初頭自社制作率は約70%までになり、東のTVK、西のKBS京都当時近畿放送、現・京都放送)とも呼ばれた1972年5月3日第20回 横浜みなと祭り国際仮装行列〜マーチ・イン・ヨコハマ」からTVK独占カラー生中継放送開始放送時間生放送午前1110分 - 午後0時30分で中継録画放送午後6時から午後7時25分だった。放送当日キャッチコピーは「ことしは、みなと祭り仮装行列茶の間見られます」「すぐそこニュース茶の間TVK」「TVKやっぱりいいねおかあさん」の3つのキャッチコピーだった。番組ゲスト小山明子橘家円蔵立川談志下重暁子花村えいじ、三遊亭栄橋解説は六川英一司会石倉輝夫)。 関東圏独立放送局では初となるマスター設備主調整室)の更新三ツ池送信所親局)の送信機更新1983年から1984年掛けて行い音声多重放送ステレオ放送)への対応をいち早く実現したステレオ放送番組第1号は「SPOPS」(1984年10月 - 提供:丸井 制作TVK)であり、第2号番組は「かながわの景勝50選」(制作協力:プロダクションモスラ・制作著作TVK)である。※これらの番組は、音声多重試験番組兼ねて放送されていた。 1985年からステレオ放送番組増えテレビ番組初の試みである「環境ビデオ」(BGV) の放送番組サラダ・ボウル」(制作TVK制作協力日本電子工学院(現・日本工学院専門学校)、PLAY BILL日商岩井(現・双日))や「ブレイン・パッケージ」(制作TVK制作協力日本電子専門学校 他)がスタートした。同番組は、海外風光明媚な空撮ビデオ映像最新アーティスト音楽流したり、完全オリジナルによるインストゥルメンタル曲を流す28分間番組だった。また「サラダ・ボウル」は、1986年年頭朝日新聞テレビ考え連載トップバッターとして全国紹介された。 1987年横浜舞台だったテレビドラマ『あぶない刑事』セントラル・アーツ制作日本テレビ系)の第22話動揺」において、スタジオ調整室のシーン撮影協力をしている(撮影協力クレジットは「テレビ神奈川ではなくTVKテレビ」)。 内田康夫小説横浜殺人事件」(浅見光彦シリーズ)のヒロインである横浜テレビ藤本紅子モデルは、坂本紅子(現・コンテンツ制作部専任部長)である。映画通で知られおしゃべりトマト」「TVグラフィック42番街」などの映画コーナー、「HAMA大国」の司会等を経て2011年まで放送されていた「1230アッと!!ハマランチョ」のプロデューサー担当していた。 『ファンキートマト』『おしゃべりトマト』『ミュージックトマト』などのいわゆるトマトもの」では、MCのことをDJディスクジョッキー)ならぬVJビデオジョッキー)と称していた。これは、プロモーションビデオ大量に流す構成踏まえDJテレビらしい呼び名置き換えた結果である。この名残で、現在でもtvk放送中番組での最長寿番組である「ビルボードTOP40」での中村真理VJ呼ばれている。

※この「1972年開局時から80年代まで」の解説は、「テレビ神奈川」の解説の一部です。
「1972年開局時から80年代まで」を含む「テレビ神奈川」の記事については、「テレビ神奈川」の概要を参照ください。

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