関西地区以外での放送
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 07:05 UTC 版)
当番組は40年以上関西ローカルで放送されていたが、一時期地方局に番組販売され放送されていた時期がある。なお、前記の通り当番組はABCとサービスエリアの重複する大阪ガスの一社提供番組で、素材にも提供テロップが組み込まれていたことから、関西地域以外での放送においてこの提供部分はフリップやスポットCMの挿入により差し替えていた。 東京12チャンネル1968年4月3日、水曜22:30 - 23:00の枠で放送開始。同局での第1回は「マンションの女(第494回、ABC1968年3月30日放送分)」。 開始当日の朝日新聞の番組案内では「一人の部長刑事を通して社会の種々相を描く捜査もの。朝日放送の制作で、関西ではすでに五百回近く放送されているが、関東地区では初めての放送」とある。他方、同日の毎日新聞夕刊の案内では「大阪弁の一人の部長刑事の警察官像を描く」とある。 概ね、3週間ほどの遅れで放送されていた。なお一部、順番が入れ替わって放送されたこともあり、放送されなかった回もあった。 これ以降は、以下の通りに頻繁に放送時間の変更を繰り返した。 水曜日22:30 - 23:00(1968年4月3日「マンションの女」 - 1968年5月8日「犯罪方程式」) 月曜日23:15 - 23:45(1968年5月20日「私は一万円札」 - 1968年7月29日「道頓堀アングラ」) 日曜日22:30 - 23:00(1968年8月4日「置引き騒動」 - 1969年1月26日「通報者」) 日曜日00:00 - 00:30(1969年2月2日「荒廃の街」 - 1969年5月18日「コンクリートの森の中で」) 月曜日15:30 - 16:00(1969年5月26日「囚われの女」 - 1969年10月27日「死者のかけた罠」) 日曜日13:30 - 14:00(1969年11月2日「ときには母も」 - 1969年12月21日「もしもあなたが・・・」) 金曜日23:15 - 23:45(1970年1月2日「レモン警官」 - 1970年4月24日「3000枚歌集」) 火曜日16:00 - 16:30(1970年5月19日 - 1970年9月29日「青春の殺意」) 木曜日16:30 - 17:00(1970年11月5日「冷血の女」 - 1971年1月28日「白い顔の殺人者」)※この途中、1970年11月26日放送よりカラー放送化 水曜日23:15 - 23:45(1971年2月3日「パリの女たち」 - 1971年3月31日「金より大事なものはない」) 金曜日16:30 - 17:00(1971年4月16日「拳銃の魔力」 - 1971年9月17日「曽根崎署捜査本部 地下街の女」) 土曜日12:00 - 12:30(1971年10月2日 - 1972年3月25日「炎の部屋の女」) 日曜日13:30 - 14:00(1972年4月9日 - 1972年9月24日「(秘)(まるひ)素行調査報告書」) 土曜日16:15 - 16:45(1972年10月7日「土曜日の狂走・ナナハンの女」 - 1972年11月11日「第五の男」) 三重テレビ 開局間もない1969年12月3日、水曜22:30 - 23:00の枠で放送開始。同局での第1回は「千日前の女達」。 こちらも以下の通り、放送時間の変更が多かった。1970年代中期までは放送されていたもよう。 木曜日23:00 - 23:30(1972年3月30日「西班2PM2AM」まで) 木曜日22:30 - 23:00(1972年4月6日「炎の部屋の女」 - 1972年12月28日「赤ん坊が泣いていた」) 金曜日22:00 - 22:30(1973年1月5日「老人革命」 - 1973年3月30日「悲劇への序幕」) 木曜日22:30 - 23:00(1973年4月5日「ウエディングドレスを縫う女」 - 1974年3月28日「閉ざされた部屋」) 腸捻転ネット時代のTBS系列の地方局では、北海道放送(火曜19:30 - )・北陸放送(日曜22:30 - )・中部日本放送(火曜19:30 - )・山陽放送・中国放送(腸捻転解消直前は木曜23:30 - 24:00)・熊本放送(火曜19:00 - )・琉球放送がネットしていた。腸捻転解消後、広島県では広島ホームテレビが深夜枠で一時期放送していた他、同局は「アーバンポリス」も平日午前中の再放送枠で放送したことがある。また、岡山県・香川県でも腸捻転解消後は相互乗り入れ前の岡山放送・瀬戸内海放送が一時期放送していた。 青森テレビでは、1971年8月 - 11月時点は、火曜 18:00 - 18:30に放送。1972年5月 - 7月時点は日曜 23:00 - 23:30に放送していた。 秋田テレビでは、1972年に木曜 22:30 - 23:00に放送していた。 南海放送(日本テレビ系列)では、1973年に水曜 22:30 - 23:00に放送していた。 高知県では、腸捻転時代から解消後に至るまで高知放送(日本テレビ系列)が木曜19時からネットしていた。 1970年代から1980年代にかけては、テレビ神奈川が「部長刑事」を放映。放映時間の変遷は以下の通り。火曜日21:30 - 22:00(1973年4月3日「大阪の女」 - 1973年10月2日) 月曜日21:30 - 22:00(1973年10月8日「俺とお前の関係」 - 1974年3月25日「愛と憎しみの亀裂」) 日曜日21:00 - 21:30(1974年4月7日「天使の微笑」 - 1975年12月28日「月光哀歌」) 日曜日22:30 - 23:00(1976年1月11日「襲われたデカ」 - 1976年3月28日) 水曜日23:15 - 23:45(1976年4月7日「待父売りの少年」 - 1976年9月29日「殺しのディスコ・サウンド」) 金曜日22:20 - 22:50(1976年10月8日 - 1978年3月31日「遥か彼方のオホーツク」) 金曜日22:30 - 23:00(1978年4月7日「老人と地震とどじょう達」 - 1979年3月30日「人生すご六・七転び八転び」) 水曜日22:30 - 23:00(1979年4月4日「自殺少年」 - 1980年3月26日「星空の舞台さよなら公演」) 1995年、北陸朝日放送が午前の再放送枠で『アーバンポリス』(戸上班黒木編)の一部を放送していた時期がある。 瀬戸内海放送では過去に水曜19時(1976年時点)や日曜23時に放送していた他、『アーバンポリス24』を篠田三郎・勝野洋時代は金曜17時台に、小野寺昭時代は土曜朝10時台に放送していた。 1999年から2000年頃には山口朝日放送でも『アーバンポリス』を火曜朝10時台に放送していた。 長野朝日放送では勝野洋時代の『アーバンポリス』を平日の朝11時台に放送していた。 親会社が朝日新聞社と関係の深い岐阜放送でも、「部長刑事シリーズ」が番販にて放映された(2000年4月1日 - 2002年4月29日)。「アーバンポリス」出海班編の中盤から放映を開始し(同局での第1回は「何も書けなかった供述調書」)、その後「シンマイ。」を経て、「警部補マリコ」の終了まで放映を続けた(放送時間は2001年9月22日まで土曜12:30 - 13:00。「シンマイ。」末期の2001年10月15日からは月曜12:00 - 12:30。本放送より2 - 4週遅れ)。なお、このうち「シンマイ。」では、レギュラーの刑事役の俳優が不祥事を起こして逮捕されるという事態が起こった。朝日放送では再編集などの為、その後の2 - 3週分を科学番組に差し替える措置をとった。しかし、実質的に時差ネット状態だった岐阜放送では、その後流す予定だった数回分を全て放送中止に、さらに、朝日放送で再開後の数回分も放送しなかった(2001年6月16日から7週にわたり休止、その間はテレビショッピング番組などに差し替え。同8月4日より放送を再開)。従って岐阜放送では、ストーリーの重要な部分がかなり飛んでしまう形になった。なお、当該俳優が演じる刑事は、ストーリー上「新しく設置された所轄の帳場(捜査本部)への出向が決まった」という形で処理された。
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