鎌倉幕府とは? わかりやすく解説

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鎌倉幕府 (かまくらばくふ)

12世紀末から1333年まで、将軍をはじめ、武士たちが政治行ったところです。鎌倉本拠地としました


鎌倉幕府

読み方:カマクラバクフ(kamakurabakufu)

日本初武家政権


鎌倉幕府

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/18 07:26 UTC 版)

鎌倉幕府(かまくらばくふ)は、源頼朝が創設した日本武家政権。この時代を鎌倉時代という。


注釈

  1. ^ ただし近年では逆に、武士の起源を有力農民ではなくて貴族の側とする見解が主流となった。詳細は『軍事貴族』『武士#「職能」武士の起源』の項目を参照。
  2. ^ 『百錬抄』寿永二年十月二十二日条によれば「十月十四日、(中略)東海・東山諸国の年貢、神社仏寺ならびに王臣家領の庄園、元の如く領家に随うべきの由、宣旨を下さる。頼朝の申し行いに依るところ也。」と記されている。『百錬抄』寿永二年十月二十日条参照。
  3. ^ 『吾妻鏡』には文治元年(1185年)10月18日以降の記述によれば「廿八、丁未、補任諸国平均守護地頭、不論権門勢家庄公、可充 課兵粮米段別五升之由、今夜、北条殿謁申藤中納言経房卿云々」とあるように、数度に渡り北条時政を通じて荘園公領を問わず反別五升の兵粮米の徴収権を与えられることを奏請した。さらに、九条兼実の日記『玉葉』によれば「二十九日、戊申、北条殿申さるるところの諸国守護地頭兵粮米の事、早く申請に任せて御沙汰あるべきの由、仰せ下さるるの間、帥中納言勅を北条殿に伝えらると云々」と記されている。『吾妻鏡』文治元年十二月六日条、『玉葉』『吉記』文治元年十二月二十七日条。参照。
  4. ^ もっとも、北村拓 著「鎌倉幕府征夷大将軍の補任について」、今江廣道 編『中世の史料と制度』続群書類従完成会、2005年、137 - 194頁。 のように、征夷大将軍はこの時代には完全に名誉職化しており、何らかの権限を付与されたものではないとする説もある。
  5. ^ 足利尊氏寄進状建武2年(1335年3月28日付(『神奈川県史』資料編3所収)[16]
  6. ^ 「将軍足利尊氏寄進状案」「将軍足利尊氏御教書案」(『神奈川県史』資料編3所収)、「惟賢灌頂授与記」(『鎌倉市史』史料編1所収)[16]
  7. ^ これら学説については井上光貞前掲書、国史大辞典編集委員会編前掲『国史大辞典 3』などに詳しい。

出典

  1. ^ 阿部猛; 佐藤和彦 編『人物でたどる日本荘園史』東京堂出版、1990年。 
  2. ^ 高橋富雄『征夷大将軍 もう一つの国家主権』中央公論社、1987年、73-74頁。 
  3. ^ 菱沼一憲『中世地域社会と将軍権力』汲古書院、2011年、161頁。 
  4. ^ 細川重男『鎌倉幕府の滅亡』吉川弘文館、2011年、132-133頁。 
  5. ^ 永井 2009, p. 53.
  6. ^ a b 永井 2009, pp. 3–24.
  7. ^ a b c 河内 2007, pp. 304–347.
  8. ^ 峰岸 2005, pp. 37–38.
  9. ^ 峰岸 2005, p. 57.
  10. ^ 峰岸 2005, p. 62.
  11. ^ 峰岸 2005, p. 63.
  12. ^ 永井 2003, pp. 148・150.
  13. ^ 『太平記』巻十「大仏貞直並金沢貞将討死事」
  14. ^ 『太平記』巻十「信忍自害事」
  15. ^ 『太平記』巻十「高時並一門以下於東勝寺自害事」
  16. ^ a b c d 「神奈川県:鎌倉市 > 小町村 > 宝戒寺」『日本歴史地名大系』平凡社、2006年。 
  17. ^ 佐藤弘夫 編『概説 日本思想史』ミネルヴァ書房、2005年。 
  18. ^ 鎌倉市. “鎌倉市のみどころ「大倉幕府」 かまくら GreenNet” (日本語). 2009年10月6日閲覧。 [リンク切れ]
  19. ^ 国史大辞典編集委員会編 編『国史大辞典 3』吉川弘文館、1983年、549頁。 
  20. ^ 岩田慎平 著「武家政権について」、元木泰雄 編『日本中世の政治と制度』吉川弘文館、2020年、316-330頁。ISBN 978-4-642-02966-7 
  21. ^ 川合康「鎌倉幕府の成立時期を再検討する」『じっきょう地歴・公民科資料』76号、2013年。/所収:川合康『院政期武士社会と鎌倉幕府』吉川弘文館、2019年、276-288頁。
  22. ^ 社会科Q & A — 歴史”. 帝国書院. 2022年1月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月17日閲覧。
  23. ^ 稲葉継陽 2012, p. 54.
  24. ^ 佐藤 1976.
  25. ^ 佐藤 1976, p. 5.
  26. ^ 佐藤進一 『日本の中世国家』 岩波現代文庫、2007年3月、66頁。
  27. ^ 村井章介「佐藤進一著『日本の中世国家』」『史学雑誌』第93巻第4号、史学会、1984年、95-96(p.510-521)、doi:10.24471/shigaku.93.4_510ISSN 0018-2478NAID 110002368296 
  28. ^ 吉田孝、上横手雅敬 「(書評)佐藤進一著「日本の中世国家」」『法制史研究』1984巻34号 1984年、177頁。
  29. ^ 奥山研司 「高校日本史における中世史像の変革 : 地頭制の取り扱いを通じて」『社会科研究』38巻 全国社会科教育学会、1990年、93頁。
  30. ^ 平雅行 「中世史像の変革と鎌倉仏教(1)」『じっきょう 地歴・公民科資料』No.65 実教出版、2007年10月、3-4頁。(2020年1月10日閲覧)
  31. ^ 安藤豊「歴史学習「鎌倉時代」に関する内容構成フレームの検討 : 中学校における中世史(「鎌倉時代」)学習内容再構築のための基礎的考察(その1)」『北海道教育大学紀要 教育科学編』第59巻第1号、北海道教育大学、2008年8月、40(p.39-42)、doi:10.32150/00005728ISSN 13442554NAID 110006825912 
  32. ^ 稲葉継陽 2012, p. 56.
  33. ^ 佐々木宗雄『日本中世国制史論』(吉川弘文館、2018年) ISBN 978-4-642-02946-9, p.13・150-151・182.
  34. ^ 『本郷和人 日本史の法則 kindle版 位置NO.2898/3041』河出書房新社、2021年。 
  35. ^ 『本郷和人 日本史の法則 kindle版 位置NO.2761/3041』河出書房新社、2021年。 
  36. ^ a b c d e f g h i 永井 2009, pp. 40–42.
  37. ^ 永井 2009, pp. 48–52.
  38. ^ 永井 2009, pp. 53–56.
  39. ^ a b 永井 2009, p. 42.


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鎌倉幕府

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守護使不入」の記事における「鎌倉幕府」の解説

本来、守護には大犯三箇条義務遂行のため、本人あるいはその代理である役人使者国内公領荘園への立ち入る権利認められていたが、鎌倉幕府は国司領家本所権門)との対立回避するために、国司領家本所守護による干渉受けない特例地域設ける事を承認していた。これは御成敗式目によって一層明確化され、不入地に犯罪者などが逃げ込んだ場合でもその追捕国司領家によって行われ不入地の境界線守護側に引き渡すと言う原則成立した

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鎌倉幕府

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安堵状」の記事における「鎌倉幕府」の解説

武家においては鎌倉幕府の頃には惣領に対して下文庶子に対してはこれよりも格下下知状をもって安堵状書式としたが、嘉元3年1303年)に安堵状作成するのをやめ、前の権利者による譲状外題安堵行って下知状代用とした。

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鎌倉幕府

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炎立つ (NHK大河ドラマ)」の記事における「鎌倉幕府」の解説

源頼朝みなもと の よりとも) 演:長塚京三 義家玄孫で鎌倉幕府初代将軍平氏打倒兵を挙げ義経合流し義経活躍により平氏滅亡させる義経無断官位得たことを理由謀反人扱いし、義経奥州逃れたことを知ると、義経もろとも奥州藤原氏を滅ぼすことで奥州支配目論む源義経みなもと の よしつね) 演:野村宏伸 同じく義家玄孫頼朝異母弟。 京の五条大橋弁慶決闘その様子を見ていた似らに武勇認められ奥州青年時代をすごす。国衡が指南する馬術弓術には積極的に取り組むが、泰衡が指南する国史勉強には関心示さず、泰衡を悩ませる頼朝決起を知ると「二度と平泉には訪れない」と泰衡と約束交わして平泉を起ち、頼朝元に駆けつけ源平合戦活躍し平氏滅亡させる。やがて頼朝不仲になり、泰衡との約束について迷った奥州逃れる。秀衡の前で頼朝討伐の策を披露するなど復讐機会うかがっていたが、一方で自分存在平泉危うくすることに心を痛めていた。 常盤御前ときわ ごぜん) 演:松田美由紀 義経の母。 京で義経再会し奥州逃れるつもりであることを知らされる義経の妻 演:高取茉南 頼朝追われ義経と共に奥州逃れてくる。 源行家みなもと の ゆきいえ) 演:筑前翠瑶 頼朝叔父多田蔵人行綱(ただ くろうど ゆきつな) 演:三田村周三 多田源氏北条時政ほうじょう ときまさ) 演:本郷功次郎 頼朝の舅北条宗時ほうじょう むねとき) 演:湯江健幸 時政長男北条義時ほうじょう よしとき) 演:黒樹洋 時政次男武蔵坊弁慶むさしぼう べんけい) 演:時任三郎 義経家臣佐藤継信さとう つぐのぶ) 演:上田雄太 義経家臣佐藤忠信さとう ただのぶ) 演:小林良平 義経家臣安達藤九郎盛長(あだち とうくろう もりなが) 演:勝部演之 御家人土肥実平(どい さねひら) 演:小野進也 御家人新田忠常にった ただつね) 演:舘大介 御家人千葉胤頼(ちば たねより) 演:山口眞司 御家人三浦義村みうら よしむら) 演:大森啓祠朗 御家人加藤景廉(かとう かげかど) 演:小野了 御家人佐々木高綱ささき たかつな) 演:熊谷俊哉 御家人富樫泰家(とがし やすいえ) 演:渡辺哲 安宅の関守。 義経一行を見逃す

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鎌倉幕府

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山賊王」の記事における「鎌倉幕府」の解説

北条高時 本作最大の敵。

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鎌倉幕府

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雑務沙汰」の記事における「鎌倉幕府」の解説

鎌倉幕府において雑務沙汰所管したのは、東国については問注所鎌倉市中については政所だった。

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鎌倉幕府

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土倉役」の記事における「鎌倉幕府」の解説

鎌倉時代から徴収が行われたと推定されており、特に京都土倉延暦寺及びその傘下であった祇園社支配受けていたため、両者からの徴税を度々受けた他、朝廷からも臨時徴税受けた。その徴税頻繁ぶりは建武式目では土倉保護について1条置いているほどであった

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