頼朝の舅とは? わかりやすく解説

頼朝の舅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 07:10 UTC 版)

北条時政」の記事における「頼朝の舅」の解説

平治の乱敗死した源義朝嫡男頼朝伊豆国配流された事によりその監視役となる。妻・牧の方実家平頼盛家人として駿河国大岡牧を知行していた。やがて頼朝と娘の政子恋仲となった当初この交際反対していた時政であったが、結局二人婚姻認めることとなり、その結果頼朝後援者となる。 治承4年1180年4月27日平氏打倒促す以仁王の令旨伊豆の頼朝に届くが、頼朝動かずしばらく事態静観していた。しかし源頼政敗死に伴い伊豆知行国主平時忠交代すると、伊豆国衙の実権伊東氏掌握して工藤氏北条氏圧迫した。さらに流刑者として伊豆滞在していた時忠の元側近山木兼隆伊豆国目代となり、また頼政の孫・有綱は伊豆にいたが、この追捕のために大庭景親本領下向するなど、平氏方の追及の手東国にも伸びてきた。自身危機中にあることを悟った頼朝挙兵決意し安達盛長使者として義朝時代から縁故のある坂東の各豪族協力呼びかけた。時政頼朝挙兵計画練り山木兼隆攻撃目標定めた挙兵前に頼朝工藤茂光土肥実平岡崎義実天野遠景佐々木盛綱加藤景廉らを一人ずつ私室呼びそれぞれ密談行い未だ口外せざるといえどもひとえに汝を頼むによって話す」と言い、彼らに自分だけが特に頼りにされていると思わせ奮起させたが、「真実密事」については時政のみが知っていたという(『吾妻鏡』治承4年8月6日条)。

※この「頼朝の舅」の解説は、「北条時政」の解説の一部です。
「頼朝の舅」を含む「北条時政」の記事については、「北条時政」の概要を参照ください。

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