頼朝の桜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 14:11 UTC 版)
源頼朝は、城ヶ島と三崎の宝蔵山に数千株という大量の桜を植え込み、両岸を桜に囲まれた瀬戸(海峡)に船を浮かべて宴を催したと伝わる。戦国時代には北条氏康親子が桜見物のために3日間滞在しており、城ヶ島の春は磯山に桜が咲き乱れる絶景であった様子が偲ばれる。 この桜は現存していない。江戸時代後期に編纂された『俳諧三崎志』に枯死を惜しむ節があり、この頃には既に失われていたようであるが、対岸の三崎に「花暮(はなぐれ)」という地名を残している。花暮とは、三崎から眺めた城ヶ島の桜は、白波に桜が映って日が暮れるまで眺めても飽きないということに由来する(『三浦紀行』)。
※この「頼朝の桜」の解説は、「城ヶ島」の解説の一部です。
「頼朝の桜」を含む「城ヶ島」の記事については、「城ヶ島」の概要を参照ください。
- 頼朝の桜のページへのリンク