頼朝への臣従とは? わかりやすく解説

頼朝への臣従

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 16:17 UTC 版)

河越重頼」の記事における「頼朝への臣従」の解説

治承4年1180年8月17日頼朝伊豆国にて挙兵同年8月26日、重頼は平家方に付いた同じ秩父一族である畠山重忠要請応じ江戸重長武蔵国武士団数千騎を率いて衣笠城攻め三浦義明討ち取る衣笠城合戦)。しかし10月4日勢力回復して再挙した頼朝武蔵国に入ると、畠山重忠江戸重長と共に傘下に入る。以降御家人として重く用いられる寿永元年1182年8月12日頼朝嫡男源頼家誕生。重頼の妻が産所である比企能員屋敷呼ばれ乳母として最初の乳を含ませる儀式を行う。弟の師岡重経鳴弦役を担った寿永3年1184年1月20日源範頼源義経頼朝代官とする源義仲追討軍が京都に向かう。重頼は嫡男重房と共に追討軍に参加都に入り、範頼・義経・重頼・重房他数騎で後白河法皇幽閉されていた六条殿に駆けつけ仙洞御所警護にあたる。8月6日一ノ谷の戦い後に義経鎌倉許可無く朝廷から検非違使任官を受け、頼朝怒りを買う。この時、重頼の弟・重経も共に兵衛尉に任官しており、頼朝から罵倒されている。9月14日頼朝の命により、娘(郷御前)が京に上って義経嫁ぎ、舅となる。 文治元年1185年)、頼朝義経対立し義経後白河法皇から頼朝追討院宣を受けると、重頼も頼朝から敵対視されるようになった11月12日義経縁戚であることを理由に、所領である伊勢国香取五カ郷を没収され大井実春給与され、他は重頼老母預かりとなる。重頼の娘婿である下河辺政義連座して所領没収された。 この後、重頼は嫡男重房と共に誅殺され、武蔵国留守所惣検校職は畠山重忠移された。

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頼朝への臣従

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 02:23 UTC 版)

畠山重忠」の記事における「頼朝への臣従」の解説

畠山氏坂東八平氏一つである秩父氏一族で、武蔵国男衾郡畠山郷(現在の埼玉県深谷市畠山)を領し同族には江戸氏河越氏豊島氏などがある。多く東国武士同様に畠山氏源氏の家人となっていた。父の重能は平治の乱源義朝敗死すると、平家に従って20年に亘り忠実な家人として仕えた治承4年1180年8月17日義朝三男源頼朝以仁王の令旨奉じて挙兵した。この時、父・重能が大番役で京に上っていたため領地にあった17歳の重忠が一族率いることになり、平家方として頼朝討伐向かった23日頼朝石橋山の戦い大庭景親大敗喫して潰走相模国まで来ていた畠山勢は鎌倉由比ヶ浜頼朝合流できずに引き返してきた三浦勢と遭遇合戦となり、双方死者出して兵を引いた26日河越重頼江戸重長軍勢合流した重忠は三浦氏本拠衣笠城攻め三浦一族は城を捨てて逃亡。重忠は一人城に残った老齢当主で、母方の祖父である三浦義明討ち取った衣笠城合戦)。 9月頼朝安房国再挙し、千葉常胤上総広常らを加えて2万騎以上の大軍膨れ上がって房総半島進軍し武蔵国入った10月、重忠は河越重頼江戸重長とともに長井渡し頼朝帰伏した。『源平盛衰記』によると重忠は先祖平武綱八幡太郎義家より賜った白旗持って帰参し、頼朝喜ばせたという。重忠は先陣命じられ相模国進軍頼朝大軍抵抗を受けることなく鎌倉入った。 重忠は御家人列し頼朝大倉御所への移転鶴岡八幡宮参詣警護などの『吾妻鏡』記事に重忠の名が見える。また、養和元年1181年7月鶴岡八幡宮社殿改築の上棟式で工匠に馬を賜る際に源義経とともに馬を曳いている。この頃に重忠は頼朝の舅北条時政の娘を妻に迎えている。だが、この時期の重忠は父の重能がいまだに平家方にあったこともあり、必ずしも頼朝信任得ていなかったとする見方もある。また、同じ秩父一族中でも小山田氏重用され畠山氏待遇面格差つけられ、更に平家郎党期に惣領地位占めていた河越氏は更に冷遇されて後に誅殺されるなど、頼朝一族間で待遇格差をつけて内部分断図ったとする見方もある。

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