頼朝の再挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 04:10 UTC 版)
8月29日(9月20日)、頼朝は安房国平北郡猟島に到着した。同地で先発していた三浦一族らと、地元の豪族安西景益が頼朝らを迎え入れた。頼朝は和田義盛を千葉常胤へ、安達盛長を上総広常のもとへ派遣した。その他、小山朝政、下河辺行平そして豊島清元、葛西清重父子にも参陣するよう求めた。千葉常胤はただちにお迎えするとの返事を寄こし、挙兵して下総国府を襲い、平家一族の目代を殺したが(結城浜の戦い)、房総半島に大きな勢力を有する上総広常の向背には不安があった。9月13日(10月3日)、頼朝は300騎を率いて安房国を出立した。17日(10月7日)に頼朝は下総国府に入り、千葉常胤が一族を率いてこれを迎え、千葉氏の300騎を加えた。19日(10月9日)に武蔵国と下総国の国境の隅田川に達したところで、上総広常が2万騎の大軍を率いて参陣した。 29日(19日)の時点で、諸国の兵が集まり、2万5000余騎に膨れ上がっていた。 10月2日(10月22日)、頼朝は武蔵国へ入り、豊島清元、葛西清重、足立遠元、河越重頼、江戸重長、畠山重忠らが続々と参じた。頼朝の軍は数万騎の大軍に膨れ上がり、何らの抵抗を受けることなく10月6日(10月26日)に源氏累代の本拠地・鎌倉に入った。
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