金造仏とは? わかりやすく解説

金造仏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 15:58 UTC 版)

長崎県指定文化財一覧」の記事における「金造仏」の解説

鋳造によって作られた国指定重文仏像は、五島市明星院銅造如来立像新上五島町極楽寺銅造如来立像対馬市黒瀬観音堂銅造如来坐像対馬市海神神社の銅造如来立像の4件がある。 名称位置指定日解説浄漸寺の銅造如来坐像 佐世保市上原町 浄漸寺 1999年2月17日 14世紀後半高麗鋳造されたと推測される全高60センチ如来像。来日の経緯不明慶長10年1605年平戸の勝音寺が焼失したため、本尊を浄漸寺に移したといわれる昭和28年1953年盗難遭いその際両手両耳欠損した。 鷹島銅造如来坐像 一体 松浦市鷹島町原免 1974年10月8日 江戸時代末期漁師引き上げた元寇沈船仏像軍船内に安置されていたとみられる長らく海底沈んでいたが、損傷少なく、額の白毫残存している。高麗前期鋳造だが、表情や衣の表現中国的で、印相来迎印を取る。 黒崎釈迦堂如来形坐像 壱岐市郷ノ浦町新田触 高源院 1977年1月11日 高麗後期鋳造されたと推測される全高67センチ如来像。像の底に釘跡が残っていることから、かつて底板張られていたことが予想され内部空洞供物があった可能性指摘される指先別の鋳型鋳込み本体に釘留めしている。 金蔵寺如来形坐像 壱岐市勝本町新城西触 金蔵寺 1977年1月11日 高麗後期鋳造されたと推測される全高73センチ如来像。来日の経緯不明釈迦院本尊として迎えられ本宮寺本尊を経て明治期金蔵寺渡った両手全身とは別の鋳型作られ釘で留めてある。全身部の鋳込みはやや粗雑補修痕もある。 大興寺如来形坐像本尊他2躯) 対馬市厳原町久根浜 大興寺 1980年10月24日 高麗前期鋳造されたと推測される全高78センチ本尊と、高麗後期末期追加され如来坐像2躯。追加如来本尊関連性はない。本尊造形新羅末期以後動的な手足ポーズや鋭い表情継承され大型の像と相まって躍動的である。 普光寺如来形坐像 対馬市峰町吉田 普光寺 1975年3月4日 元朝支配以後高麗鋳造されたと推測される如来像。来日の経緯不明頭頂円錐形尖っていること、襟の開きが狭いこと、裾のたわみが小さいことなど、ラマ教仏像影響を受け、温厚な高麗仏と異なった謹厳な姿をしている。 福泉寺金銅如来立像 対馬市厳原町久根田舎 福泉寺 1993年2月24日 8世紀後半新羅鋳造されたと推測される全高35センチ如来像。来日の経緯不明30センチ前後如来立像新羅盛期には少なといわれる光背失われているほかには損傷少なく新羅特有の精緻な衣文華美な台座装飾伝わっている。 旧金泉寺銅造如来坐像 松浦市星鹿町岳崎免 智福寺 2006年3月3日 高麗前期鋳造されたと推測される如来像。来日の経緯不明金泉寺明治5年1872年)に廃寺となり、智福寺保管している。大型鋳造仏であるため、内側には鋳型姿勢保持するために並べられ長方形型持ち跡が幾つか残っている。 大聖寺銅造大日如来坐像 平戸市木場町 大聖寺 2004年2月25日 大聖寺開山した住職経歴理由に、文禄・慶長の役朝鮮から簒奪した渡来仏と長らく推測されていた平安後期国産金造仏。穏やかな表情や平行の裳襞をはじめとする様式典型的な藤原様式で、木彫全盛期藤原時代には数少ない金造仏として重視される慈光寺金銅阿弥陀如来坐像 松浦市御厨町中野免 慈光寺 2008年2月22日 昭和58年1983年)に慈光寺の池に沈んでいたところを発見され高麗時代中期の像。本尊として安置されていた記録がないため、来日の経緯から池投棄され事情まで一切経歴不明釣り目ながら穏やかな表情湛えた高麗特有の姿をしている。 円通寺銅造薬師如来坐像 対馬市峰町佐賀 円通寺 1975年1月7日 高麗後期鋳造されたと推測される如来像。光背台座失われ代わり台座載せ替えられているが、像そのもの鍍金剥離本体損傷少なく総数少な高麗後期薬師如来中でも希少な像である。 長崎晧台寺大仏毘盧舎那仏坐像及び基台) 長崎市寺町 晧臺寺 2012年2月24日 延宝5年1677年逆流住職発願鋳造され全高3.6メートル毘盧舎那仏佐賀鋳物師による作品とされるが、デザイン宝冠頂き着色され唐風坐像蓮華模した青銅の基台も同時に指定され、基台を含めると高さ6メートル超える金谷寺菩薩坐像 壱岐市郷ノ浦町物部本村触 金谷寺 1980年2月29日 高麗鋳造されたと推測される全高73センチの像。ほぼ同型の像が糸島市の夷巍寺にあり、関連性問われる口元結んだ謹厳な表情一般的な高麗仏と違う特徴首筋から胸を回る円状に小穴あり、かつて実際に瓔珞挿してあったと想像される平戸市普門寺金銅菩薩立像 平戸市木ヶ津町 普門寺 1986年1月10日 奈良時代末期鋳造されたと推測される全高25センチほどの菩薩像表現技法パターン化され天衣が肩に掛かっていないことや腹帯途中で切れていることなど、奈良末期写し崩れ踏襲している。蓮台と一体成型され鋳型作られている。 法清寺銅造菩薩立像 対馬市厳原町樫根 法清寺 1986年1月10日 朝鮮三国時代鋳造されといわれる手乗りサイズ銅像で、来日の経緯不明面長彫り浅く、身を少しよじった細身立像で、底の広い蓮華座に立つ。小型のために一つ鋳型台座ごと鋳造され脚部省略されつながっている。 観音寺の観世音菩薩坐像 対馬市豊玉町小綱 観音寺 1973年5月18日 元朝紀元天暦3年1330年)、高麗浮石寺のために鋳造された旨が空洞内に納められ結縁文から読み取れる来日の経緯不明高麗特有の穏やかな微笑湛えつつも、衣紋表現細やかで、装飾性志向していると考えられる2012年韓国人窃盗団盗まれた。 弥勒菩薩半跏思惟像 長崎市西坂町 26聖人記念1982年1月25日 朝鮮三国時代鋳造されといわれる手乗りサイズ銅像で、来日の経緯不明昭和55年1980年)、隠れキリシタンの子孫が教会寄進した。イエス代わり仏として、救世信仰がある弥勒菩薩崇拝されてきたことを示している。 牟田観音堂半跏思惟像 松浦市星鹿町牟田免 1993年2月24日 朝鮮三国時代鋳造されといわれる手乗りサイズ銅像で、来日の経緯不明王冠着衣半跏思惟ポーズから弥勒菩薩見なされる長らく牟田免に伝わり共同管理・共有財産とされる小型のために装飾省略細部溶解はある。 大興寺誕生仏 対馬市厳原町久根浜 大興寺 1980年10月24日 高麗前期鋳造されたと推測される釈迦誕生像。4月8日灌仏会にて甘茶掛けるために用いられる用途限られるために細かな細工少ないが、釈迦像の特徴端的に表現している。蓮華台座含めて一つ鋳型鋳造している。

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