銅造如来坐像(法隆寺献納)
主名称: | 銅造如来坐像(法隆寺献納) |
指定番号: | 3063 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1958.02.08(昭和33.02.08) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 飛鳥 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 飛鳥時代の作品。 |
銅造如来坐像
主名称: | 銅造如来坐像 |
指定番号: | 3140 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1963.07.01(昭和38.07.01) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 平安 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 平安時代の作品。 |
銅造如来坐像(法隆寺献納)
主名称: | 銅造如来坐像(法隆寺献納) |
指定番号: | 3179 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1965.05.29(昭和40.05.29) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 飛鳥 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 飛鳥時代の作品。 |
銅造如来坐像(法隆寺献納)
主名称: | 銅造如来坐像(法隆寺献納) |
指定番号: | 3180 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1965.05.29(昭和40.05.29) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 飛鳥 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 飛鳥時代の作品。 |
銅造如来坐像
主名称: | 銅造如来坐像 |
指定番号: | 3339 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1979.06.06(昭和54.06.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | 台座に元嘉十四年五月一日韓謙造像の銘がある |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 宋 |
年代: | 437 |
検索年代: | |
解説文: | 本体及び台座を一鋳とし、光背は別に鋳造している。台座には南朝の宋代元嘉十四年、韓謙が父母妻子兄弟の為に造ったものであることを銘記しているが、尊名については明らかでない。やや面長な面部に品よく引き締った目鼻立ちを表し、撫で肩の体部はまとまりがよい。また衣には左右相称に板状の襞を重ね一種整斉の趣きがあり、火焔光は充分な張りがあって本体及び四脚付宣字座とよく調和している。 本像は前代からの仏像の中国化の一帰結を示すもので、しかも北朝とは異なる様式を示し、きわめて作例の少ない南朝の遺品として正に貴重な一作である。 |
銅造如来坐像
主名称: | 銅造如来坐像 |
指定番号: | 3359 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1981.06.09(昭和56.06.09) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 平安 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 衲衣を偏袒右肩にまとい、結跏趺坐する如来像で、尊名は定かではない。ロウ型の原型により両手先を含む本体の全てを一度に鋳成したもので、金厚は平均し、鋳上りも良い。像は頭部を大ぶりに造り、上体部の肉取りは豊かで、両足の厚みも充分にとって極めて安定した姿を示している。その量感豊かな表現は平安初期像を思わせるが、目鼻立ちの彫りは浅く、表情も穏やかさにまさるあたりを考えると、制作は十世紀とみられる。平安時代前期の金銅仏は数少なく、石川・伏見寺阿弥陀如来坐像、三重・和具観音堂如来坐像が重要文化財の指定をうけているが、本像はそれらに伍して遜色ない優品として注目される。なお像は火をかぶっているものの、保存状態は比較的よい。 |
銅造如来坐像
主名称: | 銅造如来坐像 |
指定番号: | 3362 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1981.06.09(昭和56.06.09) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 新羅 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 右肩を露わし、説法印を結んで結跏趺坐する如来像で、当地では子育ての神様として篤く信仰されている。大型のせいか、像は頭から右手にかけての肉身部と、左手、両足を含む着衣部の二つに分けて鋳造し、もとは銅鋲でかしめ留めとしていたようである。肉髻部をうず高く造り、大きく弧を描く眉や抑揚の強い眼をあらわした下ぶくれの顔に、一種肉感的な盛唐の影響が認められる。体部の肉取りも自然で充実した様を示し、これをおおう衲衣の襞は力強く変化に富んで、いささかも省略するところがない。像は火災にあって割れや歪曲が甚しいが、そのような損傷を補って余りある力量感あふれる優品で、加えて当初の台座の一部も遺存している。本国の朝鮮半島にもない新羅金銅仏中出色のできばえを示す作例が、古来半島と因縁の深い対馬の一閑村に伝来したことは貴重である。 |
銅造如来坐像
主名称: | 銅造如来坐像 |
指定番号: | 3423 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1991.06.21(平成3.06.21) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 飛鳥 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 当寺薬師堂の本尊として伝えられた如来形の小金銅仏である。右足を外に結跏趺坐【けつかふざ】し、垂下する着衣が方形の台座(現状は失われている)の正面を広く覆う裳懸座【もかけざ】の形式をとる。その全容は一つの蝋型【ろうがた】から鋳造し、躰部は中空としているが厚さは一センチ前後と、かなり厚手に作る。僅かに一か所鋳直した左手第三指が失われている。首に溶銅が固まる際のいわゆる引け割れがあり、おそらく後世の火災で開いたために頭部が傾いている。表面も軽く火をうけた形跡を示し、現状は鍍金【ときん】をとどめていない。 大きめの頭部は髪際を一段高くして螺髪【らほつ】は刻まず、単純な形の目鼻立ちと捻塑的な柔らかさをみせる肉どりの面貌は童顔を思わせよう。躰部には衲衣を二重にめぐらし、右臂の下方から正面にわたす先端を左前膊にかけ、胸元に右肩よりかかる下衣と帯紐の結び目をのぞかせる。まるい両肩より腕を躰側にそわせて臂を曲げ、左手は膝におき上に向けて指を軽く曲げ、右手は僅かにあげて前に向ける。ふっくらとした大きな手足を除いてモデリングを著しく控えめとした身体の造形も童子の印象を与えるであろう。着衣の複連点という二点を線でつなぐ文様で縁取る深い襞や、その並行線と波形の繰り返しによる意匠構成を強調しているところにも特色がある。 このような表現は中国六世紀後半の彫刻様式をうけて作られた白鳳仏【はくほうぶつ】に共通するものである。長く引く眉と二重瞼の眼の間が開き鼻筋の短い顔立ちは法隆寺献納金銅仏中の一七六号観音菩薩立像や一四七号如来坐像(いずれも重要文化財)など童顔童子形像と呼ばれる一群の諸像に似通う。衲衣の両手首にかかる部分を筒状の袖口とする形式も、それらのほか奈良・法輪寺木造薬師如来坐像(重要文化財)に認められる。こうした法隆寺あるいは斑鳩【いかるが】に伝来した七世紀後半の遺例との関わりは製作の時期や作者の系統を推測させよう。本像が地方に伝存する意義は大きい。 |
- 銅造如来坐像のページへのリンク