言動・行動とは? わかりやすく解説

言動・行動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 03:41 UTC 版)

劉裕」の記事における「言動・行動」の解説

若いころ劉裕京口大地主である刁逵(刁協の孫)より3銭もの借金負っていた。宋書では返済当てがなく追い詰められていたとし、魏書では踏み倒しもくろむとされていたが、ともあれこの借金劉裕親交のあった琅邪王氏名士王謐に肩代わりしてもらっている。のちに王謐は桓玄配下として働いたが、過去恩義より劉裕は王謐の罪を問わず、むしろ新政権においても大い重んじた沈田子の父は孫恩参与しており、その為祖父沈田子自身反逆者家族として追われるとなっていた。逃亡生活中の沈田子出会った劉裕はその素質感じ入り匿うことを決意。「あなたは罪人として扱われている。今はただ付いてきなさい、そうすれば大丈夫だ」と告げ沈田子のための家を与えた劉牢之桓玄殺されたあと、何無忌劉裕今後身の振り方を問うた。劉裕単身でいれば危ういことを述べたうえ、共に京口に戻るべきことを勧めた桓玄打倒し直後劉裕は妻の弟の臧熹とともに宝物庫入った多く宝物所蔵されているのを見て劉裕臧熹に「この宝物欲しくないか?」と尋ねる。すると臧熹は「いまはお国再興専念するべきであり、我が楽しみにうつつを抜かしておるいとまはありません」と反論した劉裕笑って「そなたをからかってみたのだ」と言った劉裕桓玄打倒し直後劉穆之声望聞き、「いま未曾有の大仕事取り掛かっており、事務官急ぎ必要だ誰かいい人物を知らないか?」と劉穆之に問うた。劉穆之は「あなたの仕事支援するには才覚求められられます。あなたの目の前にいる人間才能超えるものは、ほぼ見当たらないでしょう」と回答した劉裕はこの返答に「あなたが自ら従ってくれたのならば、ことは済んだようなものだ」と笑った劉裕実権握った後、朝廷音楽流れていないことを殷仲文が指摘した興味がないのだと劉裕返答すると、殷仲文は「聴いていけばわかるようになる」と更に言う。そこで劉裕も「だから聞きたくないのだ」と答えている。 劉裕南燕征伐出ようと言うときに、南燕が行ルート糧秣焼き払い途中補給ができなければ危険であると説くものがあった。劉裕南燕軍はそこまで頭が回らない一笑に付したが、内心では一抹の不安抱えていた。いざ進発し、南燕領内差し掛かると、進軍ルートには穀物が実るがままとなっていた。それを見て劉裕は天を指さし言った。「吾が志は、ここに果たされた!」 劉裕普段劉穆之絶大な信任置いていた。「字が下手な一枚の紙六、七文字くらいの大きさ堂々と書けば良い」とのアドバイス受けても、素直に従うほどである。しかし南燕戦において、南燕同盟国であった後秦が「軍を引かねば我々が貴様らに襲いかかろう」と脅しをかけてきたとき、劉裕劉穆之相談もせず「やれるものならやってみろ」と一喝使者追い払う。この対応を劉穆之責めたが、「襲うと言うならば、宣言する前にやっているさ。戦の機微というやつで、お前の管轄外だから相談しなかったのだ」と返答した盧循軍を追討する際、劉裕の陣の旗が折れ、河中に沈んだ人々凶兆だと恐れたが、劉裕笑って往年の桓玄戦でも同じようなことがあった。今また同じことがあったのだ、これは賊どもが敗れる、と言う事さ」と告げた。 妻の兄の臧燾は晋国内学問教育深く携わる立場である。故に劉裕義兄宛て学問勃興を願う手紙したためている。その書面内容は「劉裕与臧燾書」と呼ばれ書道におけるテーマ一つとして知られている。 司馬休之部下である韓延之声望は、劉裕聞き及ぶところだった。そこで劉裕密書したため、「そなたらにも軍を差し向けるような形になってしまってはいるが、そもそもそなたらには何の落ち度もない。我は分け隔てなく多くの者を迎え入れたいと思っている」と勧誘した。これに対し韓延之は「今まさにわが主を討たんとしているにもかかわらず、この私に向けて甘言を囁かれる。なるほど、確かにその手段はなりふり構わぬもので御座いますね!」と痛烈に批判。それを読んで劉裕嘆息し、「これぞまさに人に仕えものの気概だな」と周囲の人間示した司馬休之攻めにあたり初戦にて娘婿の徐逵之らを失う痛手受けた。この事態劉裕激怒し、自ら先陣切ろうとする。引き留めようとした謝晦に「斬るぞ!」と恫喝したが、「臣なくとも天下回りましょうが、あなた様なしでは回りますまい!」と返され、ようやく思いとどまった王鎮悪劉裕司馬休之戦っている間、参戦しようとせず周辺での収奪行為をなしていた。劉裕はその振る舞い激怒王鎮悪呼び出し咎めようとしたが、むしろ王鎮悪説き伏せられ不問とした。 後秦滅亡果たした功績第一等は王鎮悪であったが、彼はその貪婪さでも有名であった長安陥落多く宝物私蔵その上であとから到着した劉裕出迎えた劉裕王鎮悪に「この覇業成し遂げたのは、まさにそなたの力あってのものだ」と労うと、王鎮悪は「劉裕様のご威光諸将の力あってのものであり、私にどれほど功績がありましょう!」と答えた劉裕はそれを聞いて「そなたには馮異学んでほしいものだが」と笑った光武帝配下将の馮異功績のみならず財産に対して恬淡であったため、そうからかったのである長安入りした後、姚興の娘を妾として寵愛したが、謝晦諫められたため、すぐに暇を出した。 劉裕長安から建康戻ろうというとき、劉義真副官王鎮悪をつけた。王鎮悪長安生まれであり、誰もがの裏切りを懸念していた。沈田子そのこと劉裕告げると、劉裕は「やつの周りにはそなたらがいる。もしやつが良からぬことを企んだところでそれは自滅するに過ぎない。もうこれ以上言ってくれるな」と回答した劉裕はもともと武を優先し学問には心得がなかった。貴顕となってからは教養なければならない一念発起清談挑戦もしている。しかし皆劉裕遠慮し、本気で論破をすることはなかった。その中にあって鄭鮮之は容赦なく論破。このことに対し劉裕は「この無学者を本気でねじ伏せてくれるのは、彼だけなのだ」と感じ入っている。ただし鄭鮮之は普段から劉裕にその直剛ぶりをからかわれるような、比較気安い間柄であったことを付記しておく。 宋王に任ぜられた後、劉裕主だった臣下とともに宴会開いたその折に「我が地位低かった頃、このような立場なりたいとは願ってもいなかったのだが」と述懐している。あわせてこれだけ栄達をしてしまって心安らぐ暇もない。かくなる上は爵位返還の上建康にて余生送りたいものだが」と語った劉裕出身京口であり、建康ではない。この言葉違和感気付いた傅亮は、真夜中、すでに戸締まりなされた劉裕屋敷訪問し禅譲の手続き勧めたい、と劉裕発案した劉穆之死後劉裕は自らの補佐がいなくなった、と嘆いていた。それに対し范泰が「英才は他にもおりましょう確かに劉穆之の功は絶大ですが、結局は志半ば倒れてしまったではないですか」と応じると、劉裕笑いながら「そなたは真の名馬の素晴らしさ知らんのだ」と語った劉裕劉道憐兄弟親交厚かった貴族謝裕死亡。その絶望劉道憐宛てた手紙の中で、以下のように記している。「このショックからは、なかなか立ち直れそうにない。お前とて似たようなものだろう。あの方には多くのことを受け入れていただいたこれから先にもともに仕事させていただきたい、と思っていたのに。どうすればいい、どうすればいいのだ!」 即位後の劉裕は、主要な領地統括血族固めていた。中でもお膝元である揚州刺史の座を、弟の劉道憐でなく次男劉義真与える。この人事を義母蕭文寿咎めたところ、「息子であればその決裁に関する諮問自分のもとに来ます。しかし道憐に任せたそうは行かない加えて揚州刺史仕事は非常に多く、とても道憐ではさばききれんのです」と言い切った。 病に倒れた時、臣下らは祈祷師呼んで平癒祈ろうとしたが、劉裕はそれを却下した神仏のたぐいを信じていなかったがゆえである。 劉裕危篤の床に伏したとき、皇太子劉義符に向け、以下のように告げている。「檀道済に幹略はあるが、大きな戦略描けるような人間ではない。徐羨之傅亮にはまず叛意どないだろう謝晦何度従軍させたが、非常に機略通じている。叛意芽生えるとしたら、おそらくこの男からだ。会稽郡江州辺り左遷しておいた方がいいだろう劉裕は己を厳しく律し法度をもまた厳正に整えた彼の馬には余計な飾り物などなく、けばけばしい楽奏などにうつつを抜かすこともなかった。財貨はすべて外府に預けており、私藏することはなかった。何事にも簡素好み履物は常に木の下駄、神虎門から散歩に出ることを好んだが、從者多くとも十数人ほどであった自室では子らと共に過ごしひとたび公務離れれば公服を擲ち、家族らと親しんだ。のちに孝武帝劉駿劉裕居宅取り壊して、その跡地に玉燭殿を建築しようと考えた。そこで群臣とともにそこに入ってみれば、土がむき出しの壁に、粗末な燈籠や、麻の繩拂が掛かるのみであったという。 長女劉興弟には貧しかったころの着物与えたうえで、「我々の出自飽くまで貧しかったことを忘れ、贅沢におぼれるものがあったら、これを示して戒めるように」と語っている。後日劉興弟は劉義隆諫める際にその着物用いている。 自他ともに厳し劉裕であったが、初孫劉興弟と徐逵之の子)の徐湛之と五男の劉義恭には非常に甘く、常に側に侍らせるほどの寵愛見せていた。 劉裕熱病持病として抱えていたが、加えて晩年には現役時代戦傷がひどく痛むようになり、座るにも寝るにも常に冷やしておかねばならなかった。ある人が石でできた寝台献上劉裕の熱にひどく具合良かったが、劉裕は「木製ベッドでも経費掛かるのに、ましてや石製では」と、すぐさまそのベッド取り壊させた。

※この「言動・行動」の解説は、「劉裕」の解説の一部です。
「言動・行動」を含む「劉裕」の記事については、「劉裕」の概要を参照ください。

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